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誰かを悪者にできる天真爛漫さ

とある方のポストで、こんな記事が目に入ってきました。

だから韓国人は反日感情が強く、自殺率が高い…被害者意識を高ぶらせる「剥奪感」という特殊な感覚
持っていなかったのに「奪われた」という矛盾


友人によると、日本の保守派の方に絶大な人気を誇る韓国人ライターさんだそうです。
例えばこの記事が、一定の誰かを煽るために書いたとか、お金の為に書いたとか、その他あらゆる書いた理由を考え抜いたとしても、余りにも一方的でひどい部分が見受けられたため、反論します。その後の何かは望んでいません。私は私の意見を率直に述べるだけです。


まず、私の感覚からしたら、相対的剝奪感は全くもって特殊な思考ではありません。差別するのが妥当とされて搾取されてきた立場の人間からしたら至って普通の感覚だと思います。

私が長らくずっと語り続けていて、これからも語り続ける必要のある項目と言えば「学歴差別」ですが、今回の記事を読んだ時、非常なる腹立たしさに襲われました。
それは、学歴差別に関連し私の中にハッキリと存在している感覚が「剝奪感」だからです。

私の思想については、こちらの記事が分かりやすいでしょう。


当該記事では「剝奪感」を抱く人に対して、のっけから「勘違い」「分かってすらいない」「いろいろ不自然」と、辛辣な否定を投げつけます。ひどい言い方だな、失礼だな、と感じました。

高麗コリョ大学韓国語大辞典を直訳しますと、「権利や資格など、当然自分にあるはずのなにかを奪われたと感じること」で、心理学関連の専門家などは、「相対的剝奪感」と言います。

この剝奪感の核心は、実際に持っている権利や資格ではないにもかかわらず、いま自分がそれらを所有していないのは、「持っているはずなのに、いま現に持っていないのは、誰かに奪われたからだ」と思っている点です。ハッキリ言って、勘違いです。

「持っていた」に相応するなにかの理由が無いなら、それは奪われたものとは違うし、実際に奪われたことが無いなら、奪われた感じがどんなものなのか、分かってすらいないでしょう。いろいろ不自然です。


さらに著者は、「恨(ハン)」を「民族情緒」と紹介、今回取り上げられている「剥奪感」とは相関関係があると説明した上で、反日感情に関連して、「剥奪感」が恨の基本的な心理そのものだと述べています。

優秀な民族なのに、他の勢力、主に日本のせいで、正当に持つべき権利のほとんどを奪われてしまった、そんな民族だと信じている

恨(ハン)は、「私が持っているはずの正当な権利を、不当な方法を使った誰かに奪われた」とする心理から始まります。その「誰か」がどこの誰なのかは分かりません。だから、ハンは消えません。

基本的には「誰が悪いのか」をはっきりできないし、実際に何か出来ることがあるわけでもないので、そのまま抑え込むしかありません。

私がまさに人間性を疑ってしまうな、と感じた部分がここの小見出しです。
『「私の権利を奪った誰か」にひどい目にあってほしい』
となっていました。
誰かがそう言ったんですか?そう思って行動しているんですか?
私にはこんな言葉に集約できてしまう人間性の方が悲しい。

少なくとも私は、この社会に蔓延する学歴差別を率先してしてきた人、あるいは間接的にするしかなかった人、その大勢の人々に、それぞれひどい目にあってほしいなんて、思ったことはありません。
現実的にも不可能です。人数が多すぎて、世界が破綻します。


著者は「実際に何か出来ることがあるわけでもない」から「剥奪感」が不自然な感情だと説いているけれど、「実際に何かできることがあるわけでもないだろ!」は、実際に私が36歳で4大卒になるまで幾度となく吐かれてきた台詞です。文言が異なるだけで、意図するところは同じ。そういう言葉を、何度も見聞きしてきています。

大学行ってない奴は相対的にバカなのだから相対的に給与は低く、相対的に○○がないのだから当然○○。
「相対的」に判断して、経験値を積む機会は他の人に与えるのが妥当としてきたのだから、こちらは経験値が低いままで当たり前でしょうけどね。

その「相対的」っていったい、誰の尺度なのでしょう?

搾取される方、無視されてきた方は、それを望んだことも、実際にできることが何もないと証明したこともないです。ただの一度も。
採用者に、或いはその採用者に一方的なイメージを持つことを是とした人に、企業に、社会に、勝手な判断をされただけのことです。



ハッキリ言わせてもらいます。

使えない大卒なんて山のように見てきたし、その人より上手くこなしても拾われることはないんですよ。それを分かった上でこの世を生きてるんです。自分の中には存在しない感覚だからって思想や主張までバカにし「そんなものない」と言うのは差別主義者の典型です。

知らないなら今知ってください。
自分たちが創り出しているんだから。
自分達が小手先で判断し、結果明確にしてしまった「相対性」を、関係ない人間や望んでいない人間にも勝手に当てはめて、それでいて「知~らない!」は失礼にもほどがありますよ。

この話は、氷河期世代の報われない多くの人々にだって言えることです。
なんにもできない新人が月30万もらい、20年以上勤続している彼らを指導するベテランが20数万円もらっている図です。
拭えない剥奪感を、これまでもずっと、だれも、触りに行ったりせず放置しています。

或いは、コロナ禍のことだってそう。
あの頃に何かを叶えることができなかった…と告白したって、自己責任だのどうのっていう人いないでしょう。
それは、全世界が同時に経験していたからですよ。
皆が平等に、剥奪感を感じていたはずです。特殊なものなんかじゃない。

ずっと可哀そう可哀そうと言ってもらえていた学生たち。運動会が、修学旅行が、交換留学が、全部なくて可哀そうって。
じゃあ大人は? 何かを犠牲にしたり、たまたまその時に大切な人を失ったり、一生に一回しか来ないチャンスを逃した人は?
お前のそれは剥奪感じゃない、行動した人もいる、相対的に○○だ!って、言うんですか?

本当にずるいなと思います。誰かを悪者にできる天真爛漫さを、自分の尺度であるとかないとか判断する時に発揮しないでいただきたい。

平和を勝ち取った側の人間が知らんぷりしている限り、この社会は結果論で片づけて良い社会でありつづけますよ。


今回の記事が「剥奪」という言葉の意味を利用して「おかしい」「そんなものない」と語る様も、まさに無知でド直球の失礼を投げてしまう人の典型です。既視感が強すぎて震えがくるほどです。

実際に奪われたことが無いなら、奪われた感じがどんなものなのか、分かってすらいないでしょう。いろいろ不自然です。

と著者は冒頭に書いていました。
そっくりそのまま、お返しします。

また「恨(ハン)」についても

基本的には「誰が悪いのか」をはっきりできないし、実際に何か出来ることがあるわけでもないので、そのまま抑え込むしかありません。

と書いていました。
誰が悪いのかを明らかにしたいと思っている、そして罰を与えたいと思っている、と考えている時点で、論点はお空に帰ってしまっていると思います。


ままならないことは沢山あるけれど、それは自己責任ではないと理解されること
その思想や感情を否定されないこと
無知なまま、無意識に加担してはいないか?と終始振り返れる人間性、ひいては社会性をもつ人が増えること

を望んでいるだけです。

現実はもう充分に突き付けられたから間に合ってます。
寄り添える人間の数が間に合ってません。

ただ、それだけだと思います。



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