お試しパックの恋
失恋するとその思い出をエッセイにする癖があります。
これは2016年頃に書いたものですが、間違えて家族との共有ドライブに保存してしまい、親から「そういうこともある。精進しなさい」とLINEが来ました。
親に読まれる以上に恥ずかしいことはないので、全世界に共有します。
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初めての恋は押し売りのようにやってきて、夜逃げのように去っていった。
始まりのほのかな気配を味わう余裕も、別れの予感に身を竦ませる暇もなかった。
彼との出会いは、私が主催した合コンだった。
正確には、主催させられた、という方が正しい。
当時、私には好きな人がいた。
合コンで出会って、ハンターハンターの話題で仲良くなり、二人でラーメンをすすり、二人で登山へ行き、そして連絡が取れなくなった。たぶん、私が登山の終わり、帰りのバスに乗る直前まで路上で売っていた異常に大きいきりたんぽをむさぼっていたのに幻滅されたのだと思う。
既読スルーを何度も見返し、デートの時のふるまいを思い返し、やはり心当たりはきりたんぽしかなかった。
きりたんぽ以降スルーを続けるその人に、数カ月ぶりに「今後ご飯行かない?」と連絡した。すると、彼から「同僚が合コンしたいといっている」とだけ返事が来た。自分が来るとは書いていない。お断りと実益を兼ねた一石二鳥。よっぽど断ってやろうと思った。だけど、断れるほど彼への恋心を断ち切れてもいなかった。たとえお断りの合コンであっても、恩を売ってでも、彼と繋がっていたかったのだ。
情の深く打算的な私は健気にも合コンを開催することにした。その見知らぬ同僚から連絡が来て、「かわいい子」という不愉快極まりない指定をされて、会場を予約した。4人同士のオーソドックスタイプ・合コンである。
そして開かれた会は、泥舟だった。
女性は私の知人の、航空会社に勤めるCA3人である。私のツテの全てを使って来てもらった。もちろん美人だ。ノリもいい。文句なしだ。彼女たちも一流企業相手の合コンとあってノリノリであった。
男性陣は地獄よりの使者だった。
まず、3人が遅刻した。この時点で就職面接だったらお祈り、テニスだとデフォルトで即失格である。
ちなみに最初に来ていた男一人は、例の失礼な同僚だ。彼もまずいと思ったようで、4対1の圧倒的不利の立場で生き延びるべく、総書記に相対する北朝鮮の高官のごとく女性陣の会話の同調に終始していた。
女子会が始まって30分後、二人の男性がやってきた。
二人とも、謝りながら入ってきた。水戸支社から会場の有楽町までわざわざ来てくれたらしく、それで女性陣の怒りは少し和らいだ。
その片方が、彼だった。第一印象は「営業部っぽい」だった。
彼は席に着くなり、うるさくも真面目すぎもしないちょうどいいテンションでビールを注文した。そして、自然に会話の糸口を掴み、するりと馴染んだ。人の懐に入り込む、独特の人懐っこさがあった。いわゆる人たらしだ。
そして、大物がいた。彼の片割れ、「先輩」である。
先輩は同僚の3つ年上で、バンドマン崩れのようなイケメンだった。男性陣が明らかに先輩に気を使っている。グラスが空いては注ぎ、女性の会話は全て先輩にトスする。だが、先輩は喋らない。黙って頷きグラスを空け、同僚が注ぎ、「飲めよー!」と叫び、同僚が飲んで笑う。
しらける女性陣を、私と彼が必死につなぐ。
気難しい中堅俳優ときゃぴきゃぴしたアイドルがかみ合わずにMCの若手芸人が張り切るバラエティのような空気の中、私と彼は必死で喋っていた。
最後の一人は終わる10分前に息を切らせて来た。
来る前に「芋洗坂係長」という芸人に似ていると彼が言っていて、本当に似ていた。「あ、芋洗坂さんだ」という感想を全員に抱かれて、彼の出番は終わった。
女性陣は私以外、「明日の朝早朝フライトだから」と言って帰った。彼女たちは明日休みであることを、私は知っていた。
先輩は、いつの間にか姿を消していた。
私も帰ろうとしたら、彼に「残るやろ?」と聞かれて、思わず頷いていた。
戦場を共に乗り越えた者とは、仲間意識が芽生えるものらしい。HABの二次会は大いに盛り上がり、話し、飲み、そして彼らは終電を逃した。なぜか、終電を逃した男三人を私の家に泊めることになった。
ちなみに、唆したのは彼だ。帰ろうとする私に着いてきて纏わりつき、最後に私が折れた。でも、不快ではなかった。お酒のせいか、彼のせいかはわからない。
六畳に4人が来て、私と彼はベッドで寝て、同僚と係長は床で寝た。
正確に言うと、3人とも床で寝かせていたのに、いつの間にかベッドに彼が潜り込んでいた。
彼は眠っている私を抱きしめ、キスをした。彼のことを、私は一目見たときから気になっていた。顔は愛嬌があるし、話も抜群にあう。一次会のときも、彼ともっと話したくて、普段だと絶対にしないのに席替えも提案した。有体に言えば、一目ぼれだ。
でも、はやる心を理性が抑えていた。話し方、声のトーン、一言目のタイミング、全てが心地よかった。まるで心を読まれているようにしっくりと来た。その分、怖かった。私は、「運命の出会い」がそう簡単に転がっていると思えるタイプではない。たぶん、彼は私以外の女の子にも同じような感想を抱かせられる人だと思った。そして、ベッドで彼の手が触れた時点で、予感は確信に変わった。
彼は信用できない。逃げろ。止めておけ。
その理性のアラートを、私は無視した。たとえ彼が毒蛇だったとしても、噛まれる前に逃げられる自信があった。それだけ、私は失うことに耐性があると思っていたし、最後に守るべきものは読み違えない自負があった。
だから、次の日、朝に帰った彼に連絡を取った。
あの夜、一線は拒んだ。それは貞操観念のためではなく、私のプライドを守るための形式的な拒否だった。儀礼的な私を、私は少し嫌悪した。
彼とは、その後2回デートした。2回目のデートで、彼に告白されて付き合った。初めての恋愛だった。
恋愛は、麻薬だった。
「犀のようにただ独り歩め」という言葉がある。私の座右の銘で、それに従って生きてきた。人はみな孤独だと思っていたし、そういうものだと思っていた。恋人がいなくても、私はきれいに生きていけると思っていた。私の生きてきた二十余年が培った経験則もルールも、たかが3時間を同伴しただけの彼に打ち崩された。そして、それでいいと思っている私がいた。
たった3回のデートで、「彼を失ったら死ぬ」と思うほどに、他人に執着している自分がいた。
私は、私に絶望した。
一ヶ月前の私が見たら軽蔑する姿だとさえ思った。
でも、雲の上で輝く絶望を捨てて、いつも通りの冷たい砂漠へ地獄くだりをする勇気は、私にはなかった。彼と六畳間で抱き合っている間は、宇宙の中で私たちだけ、「同じ時間を一緒に生きている」感覚が確かにあった。遠い遠い海を一人で泳いできて、ようやく手に触れたブイを抱きしめた気がした。たとえ、彼と私をつなげたものが性欲だったとしても、それでいいと思った。
私は、性欲に初めて感謝した。性欲がこの感情を生むのなら、二十数年共にいた理性を殺してもいいと思った。
そして、別れた。
詳細は割愛するが、文面だけでの別れだった。
付き合って、ちょうど一ヶ月のことだった。その日、私は一人で夜に映画を見に行く予定で、映画が始まるまで行きつけの水タバコ屋で一人でだらだらしていた。すると携帯が鳴り、見ると彼からの連絡で、長い文面だったが、まとめると「別れたい」と書かれていた。
別れの気配はあった。送ったラインの返事はなく、デートの約束も無視されていた。ぶっちゃけ、水戸と東京は遠い。東京と京都とさして変わらないぐらい遠い。なんなら水戸の方が「彼に会う」と「納豆」以外の目的が見つからない分、心理的には京都より遠い。当然、スープも恋心も冷める距離だ。
それでも私は、その気配に気づかないふりをして、彼女という立場に最後まで縋り付こうとしていた。
恋愛は、病だった。
牙を向いた毒蛇からは躊躇なく逃げるだろうと思っていた私が、その瞬間、噛まれて死にたいと願っていた。
本当は別れたくなかった。
でも、私の理性とプライドが足を引っ張っている。 私は私に驚き、「ほう、そんな面もあるのか」と客観的に観察してみようとして、すぐに「一歩引いて余裕のあるように見せたい自分」に幻滅したりした。
感情が私の指を通話ボタンへ誘い、はっと我に返って指を引き剥がし、それからもなんと言うのか、なんと言いたいのか、なんと言うのが正しいのか、携帯の画面を見つめながらぐるぐるとしていた。
結局、何も言わず受け入れた。年上として大人の対応をしたかったし、そう見られたかった。別れ際で汚く粘って晩節を汚す、往生際の悪い人間に思われたくなかった。いや、実際はそういう人間なのだけど、私の「こう見られたい願望」が、飾りのない本心を上回った。私は、一ヶ月前に想像した「死ぬ瞬間」にあっても、自分を守るプライドを剥ぎ取れない人間だった。犠牲にしてもいいと思った理性は、捨てられかけた恨みを晴らすように私に染み付いていた。
早鐘を打つ心臓を押さえながら、「わかった。ありがとう」という内容を何倍にも膨らませてだらだらと書き、送信し、呆然と映画館へ向かった。
夢遊病者のようにチケットを買い、ポップコーンを買い、席に座った。
映画館は満員だった。見た映画は「この世界の片隅に」という、第二次戦争時代の広島・呉を舞台にしたアニメ映画だ。とても評判がよく、ずっと楽しみにしていたのだが、感情はついてきていなかった。目と頭では幕を追っていても、頭の片隅では気を抜くと彼との思い出の同時上映が始まってしまう。
その映画の途中にラブシーンがあった。「淡い恋心を抱きながら結ばれなかった同級生が、久々に帰ってきたら女の子が結婚していた」というシーンだ。このシーンで、私は号泣してしまった。シリアスだが、泣くシーンではない。隣の席の人にちらちらと様子を伺われながら、私は手のひらに爪を食い込ませてぼろぼろと泣いた。
だって、付き合って一ヶ月だ。
お試しパックみたいなものである。
本当だったら一番美味しいところを味あわせて、これありきの生活に慣れさせて、さあいざ楽しい本会員生活を! というところで、クーリングオフされてしまったわけである。すずの切なさに同情し、しかし私が泣いた理由は、「美しい恋愛の舞台に立てない自分の惨めさ」にあると思い当たり、悔しくてまた泣いた。
「契約解除」された私は荒れた。
なにしろ一ヶ月で出会いと頂点と別れを経験してしまったので、振られた直後の私は道路でくたばって時々うごめく死にかけのセミのようになっていた。荒れたところを彼には一ミリも見せなかったが、心中は怒りと悲しみと縋りつきをサイクルしていた。
仕事中も怪しい占いホームページの「無料! 復縁占い 彼は今どう思ってる?」という怪しげなタロットを何度も回し、「復縁できる!」という結果が出てはスクリーンショットを取って保存していた。悪い結果が出たら、良い結果がでるまでリロードし続けていた。
夜中に友人に電話をかけ、ひとしきり泣いたところで「私も恋愛で不安になったら同じ質問をyahoo知恵袋で探す」と慰められたりしていた。
大好きな曲を聞いた。小学生から聞いていた曲の、「時を重ねるごとにひとつずつあなたを知っていって さらに時を重ねてひとつずつわからなくなって」という歌詞の意味に初めて思い当たって、少し嬉しくも感じたりした。付き合っていたころにひとつずつ知った彼の音楽の好みは、新発売のバンドをどう思うかはもう分からない。知らない彼をつくる材料が世界に増えていって、私はまた泣きそうになった。
占い師に相談したりもした。ネットで話題の占い師で、メディアの取材は全てお断り・占いの予約はブログのメールフォームから先着式と、あこぎなスピリチュアル業界にあって本物感のある人だ。
この人の占いの予約は、12月のはじめに取った。元々彼と付き合う前に占ってほしいと思い、探していたのだ。人気が高く、翌月以降の予約しか取れないのだ。それも、土日はやっていないので平日限定。仕事の合間を縫って、抜け出す算段だ。
予約した木曜日の午後、私は会社を抜け出した。喫茶店で話して回りの目を引くのもいやだったので、会社から少し離れた道をうろうろした結果、とあるマンションのエントランスにお邪魔することにした。
事前に教えた私の携帯に電話が来てすぐに切れ、こちらから折り返す。
本当は彼との進展について占ってもらうつもりが、予約の日が来る前に付き合い、更に別れてしまったため、必然的に占ってもらう内容は「彼と復縁できますか」になった。
「彼ねえ、ちょっと不誠実な人よ」と言われ、「やっぱりそうでしたか!」とほっとしながらも、「彼はそんな人じゃない」と怒る自分もいた。
「いつ吹っ切れますか」と聞くと、 「一ヵ月後には吹っ切れる」ときっぱり断言された。
「次の恋愛のチャンスはいつ来ますか」と聞いた。「恋愛ねえ……」今度は少し考える様子があって、やや沈黙のあとに「一年半後ね」といわれた。
オリンピックよりはましと考えるべきだろうか。
「あなたは高潔な人だから、軽い相手とは縁が続かない」と言われて、電話を握りながらぼろぼろと泣いている横を工事のおっちゃんや営業のサラリーマンが通り過ぎ、不審な目で見られるたびに顔を隠す。高潔な人間は仕事をサボって人んちの玄関で泣いたりしないだろう、とぼんやり思った。
そうやって暮らすうちに、一ヶ月が経った。
占い師の言葉は外れて、吹っ切れてはいない。
だけど、少しずつ埋もれてはいる。
降り止まない雪のように仕事やら飲み会の予定やら些細な日常がふり積もって、あの時感じた鮮烈な痛みは段々と遠くなっていく。
それでもまだ雪は深くないので、ふとした拍子に彼のことを思い出しては、突風が吹いてまだ生暖かい恋の屍骸を野にさらしたりしてしまう。
その度に胸は痛むけど、たしかに、少しずつ、血は乾いている。
こうやって思い出しても胸が痛まなくなる日が、いつかきっと来る。
そして、また新しい雪の上に、私は血を流すのかもしれない。
できれば流れないで欲しいけれど、それは私が決められることではないのだ。
埋葬が無事に終わり、この恋の墓標が立つ日を待ちながら、今日も私は彼と撮った写真を消せず、目に入らないようにスマートフォンを触っている。
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