【Mリーグ】「ドリブンズはなぜ弱いのか」の詳細版【戦略分析】
前回の記事で書いたことを、もう少し細かく解説したものです。前回の記事を読んでいなくても大丈夫だと思います。ちょっと長くなりましたので、お暇な時にどうぞ。
ドリブンズがチームとして標榜するところの「期待値追求」、これは戦略としては中長期的な視点での成績を安定させようとするものであり、期待値追求はそのための戦術である。
特別に強くトップを目指すわけではなく、かといって最初からラス回避を狙うわけでもない、その場その時に応じた最善手を追い求めていこうという方法である。
期待値追求という戦術が主流・王道になるのは、不特定多数と試合数の制限なく競い合う環境であり、主に平均着順の向上を狙って採用されるものである。
これは中長期的な戦略であるため、互いが同じ戦略・戦術を採用した場合、麻雀に於いてその実力差が成績に反映されるまでには少なくとも1000試合程度が必要であり、実力差が大きくても500試合程度は必要であろう。
戦略および戦術には、相性がある。
どれだけ素の実力があろうとも、戦略・戦術の相性が悪ければ簡単に飲み込まれる、どころか、戦略・戦術の選択を誤れば素の実力が高いほど、素の実力が高いばかりに、誤った戦略・戦術を徹底できてしまうことになり、自ら損を招き入れて相手を利するものとなる。
射撃の腕前が良い猟師ほど、戦略・戦術を誤って味方に向けて発砲してしまうという事態が起こったとき、素の命中率が高いばかりに被害が大きくなる確率も高くなってしまうのである。
素の実力が低ければ、戦略・戦術の選択がどんなに優れていてもそれを徹底できないために、結局は当たるも外れるも運次第になり、しかし裏を返せば、自ら損を招くという事態もまた運次第となる。優位を築けない代わりに不利を招くこともない。
素の実力が高いほどに、誤った場合の逆作用が大きくなるため、戦略・戦術の選択には細心の注意を払う必要がある。
戦略・戦術の相性、これは例えば一対一で行われる競技なら、相性はジャンケンのようになり、グーという戦略はチョキという戦略に強いがパーという戦略に弱い、チョキという戦略はパーという戦略に強いがグーという戦略に弱い、パーという戦略はグーという戦略に強いがチョキという戦略に弱い、といった具合に三すくみの関係を形成する。もちろん戦略・戦術が同じならば「あいこ」になり、戦略的戦術的な優劣はなく、どれだけ徹底できるかの実力勝負になる。
ところが麻雀は四人で行われる競技であり、戦略・戦術の相性は一対一の関係性だけでは決まらず、四人中の何人がどの戦略・戦術を採用しているかによって相性が大きく変化するということが起こり得る、複雑な非対称性を持ったゲームである。一対一で考えれば優位な戦略・戦術が、これを一対三として考えるとさらに優位が拡大したり、逆に不利になるという場合もある。
今回はこのことについて考えてみたい。
期待値追求戦術。本来は中長期安定戦略としてのこの戦術が、相性によってもっと短期的に優れた成果を上げる環境が存在する。
それが競技麻雀の各団体が設けているリーグ戦である。
1部リーグ2部リーグ3部リーグ…といった階層を持ち、一つのリーグには十数名から二十数名程度が所属して、リーグ戦成績の上位数名が昇級またはタイトル戦へ進出し、下位数名が降級、それ以外の中位帯はリーグ残留。
このリーグ戦に参加するとして、まず考えるのは長期的展望である。
麻雀というゲームの性質として、実力が高いからといって必ず上位争いに絡むことができるわけではない。リーグの中で最も実力が高いであろうと目された選手が、強く上位進出を狙ったばかりに裏目を引いて降級を喫するというのも決して稀なことではない。一度落ちたらどんなに実力があっても、すぐに戻ってくるためには小さくない幸運を必要とする。
であればよほど飛び抜けた存在でない限りは、「今年が全てじゃない」「今期だけが全てではない」として、まず目指すのは(上位進出)機会の最大化としてのリーグ残留、降級回避であり、その上で、幸運が巡ってチャンスが転がり込んできたならば昇級、またはタイトル戦進出を目指そうと考える。
ランクの高いリーグになるほどに、周りの実力も高いので、無理して上位を目指すよりもとにかくこのリーグに残留し続ければそのうちに、チャンスが舞い込むこともあるだろう。せっかくここまで昇ってきたのだ。まず下位を避け、中位を確保して、それから余裕があれば上位進出を窺うこととする。
そこで多くの選手に採用される戦略は、残留のための中長期的な安定を求めたものになり、そのための降級回避の戦術として、消極性優位なラス回避傾向が選択される。これはチャンスを逃すこともあるが、それよりも不運を避けることに重きを置いたものである。
今この試合で順位点配分を加味した適切なバランスを考えれば押して良い場面で、しかし残留を最優先に考える長期的視点から降りを選択することになり、消極的で損になるが、しかしおそらく周りも似通った選択をするのであれば、結局は実力勝負になるだろう。
ここだ、この場で、この環境で、順位点配分に見合った適切なバランスの徹底は、つまりは期待値追求その徹底は、絶大な効果を発揮する。
降級への恐怖を理によって捻じ伏せ、上位進出への欲望をこれも理によって説き伏せて、ただひたすらに理を突き詰める、適切なバランスを追い求める。
そうすれば、おそらく過半数の選手が残留を優先するために消極的な環境で、自分は損をしない、どころか、降級に怯える彼らが手放したチャンスを拾い上げることもできる。
こういった選手は観客からは、積極的であるとか攻撃的であるとか評されやすいが、その実体はルールに即した正しいバランスを徹底しているのみであり、周りが消極的なために相対的に、積極的で攻撃的だという印象を抱かれやすいのである。
リーグ序盤。いきなり出遅れて降級レースの主役になりたくはないとガードを固める周りを尻目に、平然と押していく。正しいバランスとして当たり前の牌を押しているだけである。
周りは消極的でチャンスを手放すが自分は手放さないし、適切な押し引きをしているだけで周りが手放したチャンスを拾い上げることができる。また、自分が適切な押し引きをしたために手放すことになったチャンスを、しかし消極的な周りがそれを拾い上げることは少ない。
もちろん消極的で守備的な周りが回避したために流れてきた不運を掴まされることもあるが、チャンスは周りの三人がしばしば手放して自分一人がそれを拾い集めているのに対して、不運は勝負から逃げた二人ないし一人からしか流れてこないので、得が上回る。
試合の中では、少しでもリードして上位の着目に居ることが重要である。そうすれば試合の中盤から、ともすれば序盤から、熾烈なラス回避争いが局を消化してくれる。ラス回避のためならいきなり積極的になる選手が多く居るのだ。彼らを味方に付けない手はない。彼らに終局まで運んでいってもらえば、トップや二着は手中のまま。
リーグ中盤。トータルポイントはばらけていき、一つの卓は平均して上位一名・中位二名・下位一名くらいの構成になる。適切なバランスを徹底することの利得を享受できていたならば、上位または上位を窺える中位に入っているだろう。まだまだ冷静に期待値追求を徹底するのみである。
上位ならば、上位だからといってポイントを伸ばしに行こうとしなくても、中位を確保したくて消極的な選手や、降級圏を脱出するために無理をする選手から勝手に転がり込んでくる。
中位でも、上位がもともと消極的な選手ならば昇級やタイトル戦を狙えるポジションになると消極性の裏返しでここぞとばかりに無理にポイントを伸ばそうとし始めてリスクを負いすぎる傾向があるし、下位で降級がちらつく選手も無理をし始める。これを正確なバランスで淡々と狩るのみ。
下位だとしても、こちらが無理をすることを期待している上位には付き合わず空振りさせ、下位相手には絶対に振り込むわけにいかないと殊更に怖がる中位がますます消極的になるので、いつも通りに。
リーグ終盤。いよいよ本格的に、中位の選手が下位に沈む選手を攻撃し始める。降級ボーダーに近い選手ほど消極的では居られず、狙い撃ちを始める。上位は上位同士で昇級争いタイトル戦進出争いが激化する。だとしても、それぞれの選手がそれぞれの目的のために、正しいバランスを敢えて捨てるなら、その時に得をするのは正しいバランスで打ち続けている自分であるはずだ。なれば終盤だからといって打ち方を変える必要などない。
上位なら、下々の争いが「残留争いのライバルにトップを獲られるくらいなら」として、上位の自分に勝ちを送り込んでくれる。手放されたチャンスを拾い上げることができるということの最たるもの。トータル1位になる必要はない。3位以上でタイトル戦進出でしょ。
中位なら、・・・特に何もない。
下位だとしても、周りが無理をしていくなら、自分は無理をしないだけで得をするはずである。焦りに負けて無理をし始めた者から脱落していくチキンレースなのだこれは。自分にだって焦りがないとは言わないけれど、だとしてもいつも通りの正しいバランスをどこまで貫けるかだ。
こういった具合に、各団体のリーグ戦という場で、その環境で、期待値追求は様々なメリットを受けられる。ドリブンズはこれらの効果を期待して、Mリーグでも同様の戦術を採用しただろう。
しかしこれらメリットは、期待値追求それそのものが優れた戦術だからというわけではなく、消極的集団との相性としてこれを出し抜くために適しているからこそなのである。
ゲーム性が存在する場所に、万能は決して存在しない。
所変わればなんとやら、これらのメリットは、Mリーグという環境では、そのことごとくが反転する。
まずはじめに、Mリーグには降級がない。選手個人としては契約満了(自由契約)が降級に相当すると考えることもできるが、評価は個人の成績よりもチーム成績に因るところが大きく、またその評価も必ずしもポイント状況のみが判断材料とされるわけではない。
つぎに、Mリーグは僅か8チームで行われる。このことによって、中位帯が存在しない。上位と下位のみが存在し、下位から脱出しようとすることはイコールで上位を目指すことになり、中位安堵・中位安泰という考え方が存在しない。
さいごに、いびつな順位点配分。1着4着を一回ずつ獲得すると平均で11.0ポイントのプラスを得て、2着3着を一回ずつ獲得すると平均で11.0ポイントのマイナスを被ることになる。(2023年1月22日時点/Mリーグ成績速報(非公式)氏のデータから引用)
以上の要因からMリーグという環境は、100試合に迫る長丁場のリーグ戦でありながら、各団体のそれのような「まず下を見て残留第一」の場ではなくなり、それこそタイトル戦のように「上だけを見据えて闘う場」となっている。
この環境で多くの選手のファーストチョイスとなる戦略は、トップラス戦略である。
長期理想的にはトップとラスを交互に獲得し続けることで十分なプラス収支を期待できる戦略であり、仮に下振れを引き当てたところで降級はないのだから怖れる必要はないし、自分が下振れを引いてもチームメイトが上振れを引けば問題ないというのも心強い。トップラス戦略同士の地力勝負となれば、ここで上回って4着よりも1着を多く獲得できればさらに大きなプラスを期待することが出来るし、多少負け越してもまだプラスマイナス0くらいである。
トップラス戦略で最も重要なことは、避けるべきは4着ではなく2着や3着であるということ。トップラス戦略の考え方としては、1着に最も近いのは捲り合いに負けての4着なのである。その次が、ここぞで一撃が決まらずに1着を獲りきれなかった2着であり、1着から最も遠いのは3着である。
トップラス戦略を採用するならば、最も避けるべきは3着であり、これはつまりラス回避をしないということ、4着を避けて3着を目指す行動を損失と見なすものである。
トップラス戦略では、不運を避けないことは悪ではなく、幸運を逃すことこそ罪なのである。
(ただしもちろん、試合の終盤に現実的な目標が3着浮上しかなくなったならばこの限りでない。)
ではここで、トップラス戦略を採用した三人と、期待値追求戦術を採用した一人によって行われる対局を考えてみよう。
四人中の三人が、言ってしまえば「無理をしてでも1着を目指す」とすると、無理をしない一人に何が起こるか。
Mリーグには降級がなく、残留(のために中位を目指す)という目的が成り立たない。であれば長期的な視点から消極的な選択をするという必要性はほとんどなく、あったとしてもリーグ終盤に、上位をキープしたい場合に限られる。
それどころかトップラス戦略を採用する三人は、麻雀というゲームに普遍的な「正しいバランス」よりもなお、積極的に手を作り、また押し返していくことになる。流局よりもツモやロンが起こりやすい環境になる。
トータルポイントが気にならない段階であれば、トップラス戦略を採用した三人は実に積極的である。消極性の欠片もない。まずこの点で、期待値を追求して適切なバランスを徹底する一人は、自団体でのリーグ戦のようには有利を得られない。
しかし今度は過度な積極性との差分で、適切なバランスを堅持していれば恩恵を受けられるのではないか、と考えるがそうはならない。トップラス戦略をとる三人のうちの一人の過度な積極性が裏目に出たとき、その恩恵をより多く受けとるのは同様に過度な積極性を持つ他二人になるからである。
トップラス戦略は不運を逃さない逃せない、不運を手放すことができなくなる戦略である。その代わりに、絶対に幸運を逃さない、チャンスを逃さない戦略である。幸運と不運のどちらを掴むかで天国と地獄、成功と失敗の振れ幅の大きい、最も積極的な戦略である。
したがって、トップラス戦略が避けなかった不運として、過度な積極性の裏目として場に放たれた幸運を、拾い上げる力が強いのもまたトップラス戦略であり、適切なバランスよりも先んじてこれを手にする。
トップラス戦略として積極的な愚形リーチを打った、しかし不運なことにこれが山に0枚だ。ここで押し返して高い手をアガる可能性が高いのは、正しいバランスを徹底している一人よりも、トップラス戦略を採用して押し返しの基準が低い他の二人である。そして押し返しが過度な積極性の裏目として放銃になった場合、この恩恵を受けるのもまた山に0枚のリーチをアガれてしまった最初の一人なのである。
トップラス戦略がその過度な積極性によって相手に与えてしまう恩恵は、過度な積極性を持つ者同士で巡ってしまい、適切なバランスを徹底する一人はそこに参加できない。
また、自身が適切なバランスとして不運を避けたとき、周りも同様に不運を避けるならば誰も不運を掴まないまま流局したかもしれない、が、この積極的な場で不運を避けるということは、自分が掴むはずだった不運を避けて場に放流するということは、それを別の誰かが掴むことになり、それはつまりさらに別の誰かにとっての幸運となる。
一人がリーチ。自団体でのリーグ戦のように他全員が不運を避けようとしたなら流局のはずだった。ところがトップラス戦略がここに追い掛けリーチを敢行したならば、期待値追求が避けた不運をリーチ者のどちらかが掴み、それはもう一人のリーチ者にとっての幸運となる。期待値追求が不運を避けたことで結果的に場に幸運を発生させることになる。
自団体の環境では、トータルポイントに焦らされて過度に積極的な選択をするのは一つの卓に多くても二人、まあだいたいは一人居るか居ないか、残りは消極的な選択をする選手、ならば過度な積極性の裏目を拾い上げる役目は、その一番手は適切なバランスを徹底する者だったし、不運は避け合って押し付け合った結果として場に残ったまま流局することが多かった、横移動を誘発してしまうようなことは少なかった。ところがMリーグではこれが反転した。
以上のように、期待値追求戦術は、Mリーグの環境では周りの積極性が高いために相対的に消極性の地位を獲得してしまい、幸運と不運の両方を相手に配る立場になる。意図せず消極的なラス回避戦術に変貌させられてしまう。ラス回避戦術として幸運と不運のどちらを掴む可能性も低くなるということは、すなわち周りに1着と4着を配る人になるということで、Mリーグのルールで2着と3着を繰り返しては負債が膨らんでいくばかりである。
いびつな順位点配分によって、幸運と不運を1:1の割合で掴むことができたなら、ポイント収支はプラスになる。Mリーグでは不運よりも幸運の価値の方が重い。すなわち、不運と幸運を両方とも掴むのは、両方とも掴まないよりも偉い。
不運より幸運をより多く掴もうとして繊細なバランスを追求するなら、また互いに幸運よりも不運をより多く相手に掴ませようとするなら、そこに実力差が顕れる。
しかし、不運も幸運もどちらも掴み取っちゃえばいいや、というトップラス戦略はそこに参加しない。自分で選り抜こうとすればより巧みな相手によって逆を掴まされるが、好き嫌いしなければ基本的に不運と幸運は1:1で訪れて、ならポイントはプラスになるのだ、これが期待値だ。
消極性優位な場では期待値追求は相対的な積極性を発揮したが、積極性優位な場では期待値追求は相対的な消極性を獲得することになる。
消極性優位な場ではチャンスがしばしば手放され、期待値追求はこれを相対的な積極性として拾い上げることができたし、適切なバランスとして自分が手放したチャンスを周りが拾い上げることは少なかった。
しかし積極性優位な場では、チャンスが手放されることは稀である。だから期待値追求の徹底で拾い上げることのできるチャンスはまずない。そしてトップラス戦略が三人も居れば、自らが適切なバランスとして手放したチャンスは、ほぼ確実に拾い上げられてしまう。
役なしドラなしの聴牌、しかし鳴いていて打点もそこそこありそうな下家が既に聴牌濃厚、正しいバランスとして降りる。少なくとも聴牌続行していたらツモっていたが、結局全員が絞って流局。いつもの場ならこうなるはずだった。
ここから上家がリーチ、下家が飛び込んでリーチ・一発・赤だなんて。リーチしてたら裏3だったなんて。上がさらに離れてしまうなんてor二着がこんなに近寄ってくるなんて。
また例えば、東1局0本場に子でまあまあの配牌とまずまずの序盤のツモ、まっすぐ進めば3900点、じっくり育てれば満貫以上も望める形、しかし目立つ牌を切ってきた他家の動きに機敏に反応して手を1000点に痩せさせてアガりきる。
これが得になるのは、周りが消極性によってしばしばチャンスを手放し、自分がそれをよりよいバランスで拾い上げることができるという目処が立っているからこそ、相手の消極性によって自分に次のチャンスが訪れる確率が高いからこそで、しかし周り三人がトップラス戦略を採用しており自らチャンスを手放すということが稀な場合、そしてその三人の打ち合いで局が進む確率が高い場合、これは小さくない機会喪失となる。相手のアガりを阻止したことよりも、少なくとも3900点、ひょっとしたら満貫以上のチャンスを手放したことの方が重大になる。
このとき大きく加点できなかったことが最後まで尾を引く。トップラス戦略の三人に逆転のチャンスをより多く与えることになる。このチャンスを、トップラス戦略が三人居ればそのうちの一人か二人は掴み取る。もちろん、残りのトップラス戦略者が踏み台にされてである。期待値追求はそれを眺めているだけになる。
また、チャンスを決して手放さないことの裏返しとして、トップラス戦略は不運を手放さない、手放せない。したがってトップラス戦略が三人も居る場には、意図的に手放された不運はほとんど落ちていない。
にもかかわらず期待値追求は、正しいバランスとして不運を拾い上げまいとすることになり、これは場に手放される不運の量に対して過剰となる。
誰かからリーチの声。待ってましたとばかりに安牌情報を増やさないように丁寧に降りることは、不運を場に手放して他の誰かに拾わせようとすることの一例である。消極性をくすぐってあげて、降りを選択させやすくなる効果もある。逆に、敢えてカベを晒して押し返しやすくしてあげるという方法もある。
しかしここはMリーグ、トップラス戦略は攻撃のために手牌を整えており、情報を秘匿しながら降りる準備などしていない。どころかリーチに立ち向かっていくことも多い。とすると場に安牌が増えやすく、予め備えておくことの価値が下がる。すると相対的に、悲惨な配牌から捻って安全で高くて成就しにくい手を目指すよりも、真っ直ぐに手を作っていくことの価値が上がる。
Mリーグではラス回避争いが勃発するのがとにかく遅い。早くても南3局からであり、南4局だけのことが多く、南4局ですら二着順アップを目指すことも珍しいことではない。激しい打ち合いの結果4着目だけが大きく沈んでラス回避争いが起こらないこともある。
Mリーグではラス回避争いによって局が消化されることが少なく、小さなリードでは逆転されやすい。少しでもリードしておくために、として手を痩せさせるのはやはりこれも機会喪失が大きくなる。
主な要因は、トップラス戦略が3着をこそ回避しようとしているからである。基本的にラス回避しない。相手に3着ないし2着を押し付けようとしている。
そして期待値追求戦術は、押し付けられる4着を押し返す方法を知っているが、押し付けられる3着を押し返す術を持たない。4着よりも3着を押し付けてくる相手というのは、期待値追求の理の外側の存在だからである。
トップラス戦略は自身に1着と4着という極端な結果を引き寄せようとする戦略である。これは裏を返せば、相手に2着3着という中位を押し付けようとする戦略でもある。トップラス戦略が三人居るとき、対峙する一人ぼっちの期待値追求戦術は、これを無抵抗に受け入れることになってしまう。
トップ目から2着や3着を押し付けられるというのはよくあることで、期待値追求戦術はこれに抵抗する方法を知っている。しかし自分より下の着目にある者から2着や3着を押し付けられることについて、考えたこともない。
麻雀というのは非常によくできたゲームで、1着率を高めようとすると必ず4着率も高まる。4着率を引き下げようとすると必ず1着率も引き下がる。であれば明らかな無茶ではない方法で4着率を高めたなら、1着率も高まることになる。すなわち、相手が2着や3着になる確率を高めることで、自分が1着を獲得する確率が高まる(もちろん4着を獲得する確率も高まる)。
だとすると麻雀では、相手の4着率を高めると、同時に相手の1着率も高めてしまうのである。
消極的戦術がラス回避のために行動すると、4着が遠ざかるが同時に1着も遠ざかる。対する期待値追求戦術は消極的戦術よりも4着を遠ざけようとしないので、この点で1着になりやすくなる。
しかし期待値追求戦術は、トップラス戦略に比しては明らかに多く4着を遠ざけようとするものであり、結果的に1着も遠ざけることになる。
すなわちMリーグという環境では、(終盤に大勢が決している状況で特定の相手の4着率を高めようとすることでなしに)序中盤に漠然と自身の4着率を引き下げようとする行動は、これは自身の4着率ともども1着率を高めようとしているトップラス戦略に塩を送ることになる。4着率を高めようとしている相手と、4着率を引き下げようとしている自分とで、目的が噛み合うことになる。そしてこの目的の一致、もとい思惑の合致は、大局的にはトップラス戦略が得をするのがMリーグルールである。
期待値追求して2着率3着率を高めてくれてありがとう。でもそれ1着率上がりませんよ、こっちが4着率を下げようとしないから。
トップ目という立場が消極性を選択させて、平均着順を考えると逆転手に押し返せなくなる。
期待値追求が中打点分くらいをリードしてトップ目のとき、慌ててラス回避しようとし始める人たちが居てこそ副次的に1着率が高まるのであって、リードした瞬間は消極的選択の価値が高まって1着率はむしろ下がる。期待値追求戦術は3着や4着に落ちる可能性を孕む危うい1着よりも、確度の高い2着へ向かっていく。
周りがある程度ラス回避をするという前提の期待値であって、相手がラス回避してこないならそれでは1着率は上がらない。4着率はかなり下がるが減少分は相手のトップラス戦略によって2着率や3着率に転嫁されてしまい、1着率は横這いか微減となる。
リスクと不運は明確に異なる。
相手にツモアガられるという事態は、トップラス戦略を採用するなら呑み込むしかないリスクであるが、期待値追求戦術を採用するからには阻止できるならば阻止せねばならない不運である。
相手にツモられるばかりで何もできずに終わる、というのは積極的に高い手を育てようとすることになり聴牌速度が低下するトップラス戦略を採用するからには当然負うべきリスクであり仕方のない事態であり、であればこれは不運ではない。幸運と不運の捲り合いに踏み出せなかった、幸運も不運もない場合として呑み込むことになり、押し返して捲り合いに持ち込むだけの手牌価値がないならメリハリとしてスパッと降りる、撤退をする、粘らない、かわそうとしない。早いリーチに安牌が一枚しかないとしても、この一枚を切って手を台無しにしてでも降りる。
そしてリスクとしてこれを呑み込むことは、トップとラスを交互に引き当てられれば元が取れるものとしてあらかじめ勘定に含まれている、トップラス戦略の設計に組み込まれている。
ところが期待値追求は、これをリスクとして呑み込むことができない。期待値追求を採用し、その中でも特に手数の多いタイプは、相手にツモられるばかりで何もできずに終わるということは不運であるとみなし、期待値追求として可能な範囲でこれを阻止しようとする。
そして、消極的なラス回避戦術もまた同様に、何もできずに4着に沈むということをよしとしない。不運とみなし、これを阻止しようとする。3着目4着目としてラス回避を争うライバルのリーチであればなおのことである。
例えば早いリーチに対して、期待値追求戦術やラス回避戦術を採用する者が手の内に安牌一枚程度しかないという事態はおそらく手の形がそれなりに良いからで、先制リーチを受けた時点で既に期待値がマイナスであるなら、だったら手形もそこそこだし降りるより真っ直ぐ行った方がまだマシでしょ、となる。粘って粘って、両面聴牌なら押した方がマシでしょ、というのも同じ。もちろん打点が伴っていれば押し返しは当然だが、打点がなくとも手の形によって押し返しが選択される。
さらにはリーチを打つ側からして、消極性優位の環境で平たい状況ならリーチは、とにかく巡目の早さを重視した押さえ込みか、チャンスを確実に仕留めようとした好形待ちになりやすい。要すれば押し返しを恐れており、恐れを軽減できる根拠を求める。
とするとこれを阻止しようとしたとき、失敗しても押さえ込みが主眼のリーチ相手なら被害は大きくなく、また好形リーチ相手ならスジやカベが信用できて粘り込みが成功しやすい。
消極性優位の環境では、期待値追求戦術だけでなくラス回避戦術も一緒になって、リーチの成就を阻止しようとする。リーチ者以外の三人に可能性がある。阻止に動き出す可能性が三人にあるから、阻止できる可能性も高くなる。粘っている仲間同士で手の安さが透けて見えてきたら、リーチに振り込むくらいならリーチが成就してしまうくらいなら粘っている仲間に振り込もう、という選択も生じる。ほらほら安いですよ、と見せびらかせば差し込んでくれるかもしれないことも加味しての「まだマシ」である。
ところがトップラス戦略三人と期待値追求一人だと、トップラス戦略の一人がリーチした場合、他二人のトップラス戦略者は手牌に価値があれば比較的真っ直ぐに押し返して、価値がなければスッパリと降りる。だから期待値追求者にとって、何やら押し返したりして粘っている他家はリーチを阻止しようとする仲間ではない、リーチに対して捲り合いを挑もうとしている危険人物である。
逆に、リーチに対してトップラス戦略の二人が全く粘らず降りた場合、リーチ阻止の急先鋒としてリーチの矢面に立つのは期待値追求の自分一人きりである。降りた他二人に比べて自分だけが大きな危険を冒すことになる。
したがってどちらにしても、リーチを阻止できる可能性よりも、幸運として誰かの胸に飛び込むことになる可能性が高くなる。
またMリーグでは、リーチ阻止のための差し込みは望み薄である。まず赤牌の存在によって、手が安いことが確定しにくい。そしてリーチが打点の伴った愚形である確率がそれなりにあり、だとしたら阻止しようとすることが得になるか怪しい。愚形ならスジやカベを信じられないし、愚形だからこそアガり率は高くなく流局を待つほうがマシかもしれない。
だから、愚形待ちをツモられたり好形高打点だったらそれはもう諦めましょ、となり、諦めるためにもこちらも高打点を目指しましょう、となる。
Mリーグでリーチが強いと言われるのは、これはリーチに絡む可能性のある偶然要素として偶然役である一発・裏ドラ、そして四枚中の一枚という偶然性を持つ赤ドラがあり、リーチの打点が非常に読みにくいこと、そしてリーチを打つ側としてそれらをどの程度期待するかに個人差がかなり大きく、リーチ基準についての共通認識が形成されないため多様になること。安いが偶然役も期待した押さえ込みリーチから、高い手をさらに高くするためのリーチまで、非常に幅が広い。
予想がつかない、なにがあるか分からない、というのは最強の状態の一つであり、対峙すると何もできなくなる。しかし、何か見い出さねばならない。
期待値追求が参照する平均打点は、しかし平均通りの相手がどれだけ居るだろう。全体平均を参考にして押し引きするとき、ここに大きな多様性があると、必ず押し過ぎか引き過ぎのどちらかになる、平均以上の相手には押し過ぎになり、平均以下の相手には引き過ぎになる。
Mリーグでこの巡目のこれくらいの河のリーチの平均打点は4000点だ、としてもMリーグでは、あの人なら6000点でこの人なら2000点というような多様性の幅が広い。4000点のつもりでの押し引きは、適切でない可能性が高い。
Mリーグは大いに多様だ。全体平均は参考にならず、しばしば個人の平均さえ参考にならないで、だから予想を立てようとすれば、これは選手個々の傾向や癖を参考にするしかない領域である。
また、トップラス戦略は基本的に自分の手と相談する戦略であるため、相手の多様性による影響を受けにくい。自分の手に8000点を期待できるならば、相手が2000点だろうが4000点だろうが6000点だろうが関係ない。しかし期待値追求は相手に対応する場面が少なくないため、多様性の影響を大きく受けやすい。
最後に、Mリーグでしばしば見られるもう一つの戦略を紹介し、そして軽くだが期待値追求戦術との兼ね合いを考えてみたい。
トップラス戦略が主流であるMリーグで、もう一つの戦略は、このトップラス戦略を標的にした、いわゆる「メタ戦略」である。
トップラス戦略が相手に押し付けようとする中位、2着や3着になる可能性、これを拒否せず、合気道的に利用して、もらえるだけもらってしまおう、押し付けてくる以上に奪ってやろうという戦略である。
トップラス戦略が中位を、特に3着を避けることで1着率を高めようとする戦略であることにちょうど対称に、トップラス戦略を標的としたメタ戦略では4着を避けて2着率の向上を目指すことになる。
メタ戦略の理想形は、2着率を最大化し、一試合に一度だけ大勝負をしてこれが上手く行けば1着、裏目に出れば3着、流れれば2着、というものである。
このメタ戦略の成否は、1着or4着という天国か地獄かの危うい抽選でない、1着になるか3着になるかという天国か地球かくらいの有利な抽選を、どれだけ多くの試合で実現できるかにかかっている。
1着を目指すのはこの抽選だけ、一回の大勝負だけであり、それ以外のすべての選択は1着を目指さないものになる。中位になる確率、特に2着になる確率を高めようとするものになる。
1着率という、おそらく麻雀で最も重要視されるものの一つ、これを犠牲にすることで得られる4着率の減少および2着率の向上というのはかなりのもので、トップラス戦略よりも格段に聴牌が速くなるし、麻雀の一試合が南4局までしかないことが味方すればトップラス戦略に何もさせずに逃げ切る可能性もある。
1着率を大きく犠牲にするのは永遠に局が続くなら損であるが、試合が南4局で終わることによるトップラス戦略の大物手の成就の確率を考えると割に合うことになる。
トップラス戦略よりも速度で上回ることが大前提で、さらに細分化すればとにかく速さに振り切るタイプと、相手の速度を読んで先んじることができるギリギリまで自分の打点を育てようとするタイプがある。
しかしだとしても、打点を極端に痩せさせるようなことはしない。その手が一試合に一回の大勝負の手かもしれないからだ。
メタ戦略の、1着率を大きく犠牲にして2着率を高めるということ、これも、期待値追求の理外の選択となる。
さて、期待値追求戦術との兼ね合い。
たとえばトップラス戦略二人、メタ戦略一人、期待値追求一人、という試合を考えてみよう。
トップラス戦略とメタ戦略は噛み合って、1着率4着率と2着率3着率を互いに譲り合う。
トップラス戦略同士は1着率と4着率のどちらをより高めるかについて戦術規模で競い合う。
そしてメタ戦略は、3着率よりも2着率を戦術規模で高めようとする。
期待値追求は戦略規模で着率のコントロールを行わないので無防備で、まず1着率4着率を強く高めようとするトップラス戦略二人にそれらを奪われ、引き替えに2着率3着率を押し付けられる。メタ戦略から1着率と4着率を押し付けられるがこれは1着率と4着率を強く引き寄せようとするトップラス戦略にその多くを持っていかれる。
続いて戦術規模でメタ戦略に2着率を奪われ3着率を押し付けられる。トップラス戦略も2着率よりは3着率をより多く相手に押し付けようとするのでこれを受け取る。
戦略規模で期待値追求は、トップラス戦略よりも1着率を高めようとしないし、メタ戦略よりも4着率を減らそうとしない。
そして戦術規模で、メタ戦略ほどには3着率を減らして2着率を高めようとはしない、いやできない、メタ戦略ほどには1着率を犠牲にしないから。
以上のことから期待値追求は、周りからの戦略規模戦術規模の着率操作の働きかけによって、ひたすらに3着率が高くなる。
しかもそれは期待値追求の理外から飛んで来るものであり、試合の中でトップ目や2着目から押し付けられる「上手くいったらいいなー」くらいの軟弱な3着率でなしに、試合の最初から最後まで一貫して、4着率の増大や1着率の減少という多大な犠牲、膨大な対価を支払ったことで得られる強烈な勢いで送り込まれてくる。
期待値追求はこれを押し返す術を持たず、3着率ばかり高まれば、上手く行っても2着、裏目が出れば4着、流れれば3着のままという不利な抽選を強いられることになり、またなにか事故みたいな幸運があってもやはり2着どまりで、事故みたいな不運に見舞われればすぐに4着になる。
ところがこれが例えば、トップラス戦略一人、メタ戦略二人、期待値追求一人、となると戦略がある程度拮抗・中和して、良い勝負になったりするのだから、麻雀というのは本当に面白いものです。
麻雀における戦略というのは、麻雀の一試合が南4局を最終とすることを前提として、東1局から始まる自他への大局的な着順操作、特定の着率の奪い合い押し付け合いであると言えるだろう。
トップラス戦略なら、南4局まであれば一度か二度は大きな手を上がれるのではないかという前向きな期待であり、メタ戦略であれば、南4局までしかないならトップラス戦略を抑え切れるのではないかという逃走計画である。
そしてさらにその先には、相手がこちらの戦略を逆手に取って利用しようとするならさらにそれを逆手に取って利用してやろう、というような組み手争い、上手(うわて)の取り合いがある。
これもつまり、Mリーグという場所が、まるでタイトル戦のような環境であることによって、積極的に着率操作を行う場となるからだろう。
しかし期待値追求は、試合の終盤以外には着率操作を考えない、あるいは相手も期待値を追求してくるものと想定してまるで永遠に局が続くかのように選択を繰り返す長期安定戦略である。そのため戦略として相手に働き掛ける術を持っておらず、相手の戦略的な働き掛けに乗せられやすい。自団体で通用するのもこれは周りが勝手に転ぶのを転ばずに見下ろせるからであって、自ら働き掛けているわけではない。
ドリブンズに限らず、実績や実力の評価が高い選手がMリーグではいまいち活躍できないというのも、長期リーグ戦であるという先入観に囚われて着率操作を疎かにし、相対的消極性を獲得して「1着と4着を周りに配る人」「3着を受け取る人」になっているからで、例えば魚谷、瀬戸熊、朝倉、石橋、藤崎ら。
また、参戦初年度の選手がしばしば波に乗り切れない理由もここにあるだろう。
Mリーグは、中位を確保することに価値のない、”長期”タイトル戦なのである。であれば長期のリーグ戦に強い選手よりも、タイトル戦に強い選手の獲得をお勧めする。そして私が監督なら、「タイトル戦のように打て」と選手に指示をする。
さらには観戦する人々も、Mリーグの環境を、従来の各団体の長期リーグ戦の環境と混同している節がある。
”のるかそるか”の大勝負、上だけを見るタイトル戦なら、これを「運だけだ」なんて嘲らないだろう?運と実力の両方が伴っていることを指して「持っている」「流れが来ている」「流れを掴んでいる」「風が吹いている」と言っていいんじゃないか。
私は日吉実況が好きなのだが、それがなぜかを改めて考えてみれば、彼の実況はレギュラーシーズンに於いてもとてもタイトル戦的なのである。知っていてやっているのか直感的にやっているのかは判らないが、それが”上だけを見て闘う”Mリーグという場に合っていると思う。
ドリブンズはおそらく、素の実力の高さによって毎試合5ポイント程度の得をしている。しかし戦略規模の不利の影響は桁が一つ違って、毎試合15ポイントくらい損をしている。
そしてそれは、戦略よりも小さな規模でどれだけ突き詰めても決して覆らない、どころか突き詰めるほどに墓穴は大きく深くなっていく。
まさしく、「木を見て森を見ず」なのである。
蛇足(独断と偏見に基づく所感)
例えばサッカーで、ボールを持つオフェンスの選手とボールを奪おうとするディフェンス選手の一対一の局面なら、オフェンスはドリブルの能力が高い方が有利で、ディフェンスもまたドリブルに対処する能力が高い方が有利、これがミクロな関係性。
しかしこれが一対二でディフェンスの選手が多い局面ならミクロな関係性は成り立たず数の力でドリブルは阻止される可能性が高くなり、逆にマクロな関係性として自分に二人引き付けている分だけ味方選手がフリーになる確率が増えて、パスの能力が高いことが有利になる。ディフェンスもパスを阻止する能力が試される。
ドリブンズは確かにドリブルがとても上手くて一対一なら負けないけれど、だけど一対二でも一対三でもドリブルにこだわり続けている。
これまで活躍してこれた環境は相手がとにかく失点を怖がって後ろに引いて守りを固めるばかりだったからゲームコントロールが容易だっただけで、しかしMリーグでは相手はどんどん奪いに来る。従来の環境では各個撃破ができたから通用した技術も、同時に二人や三人を相手にして抜き去れるほど突出しているわけではない。
ドリブンズは一対一の場合のドリブルしか研究していない。研究範囲が狭い。どれだけ突き詰めてもその先に、数的不利を覆せる答えなど見つからない。
過度な専門化によって原因が研究範囲から外れてしまうというのは時々あることで、例えば天動説をどれだけ研究しても地動説は見つからないし、どころか原因を捏造していくことになる。
期待値を算出するための数学的手法の適用範囲が狭すぎて、大局的な期待値を算出することができていない、というか大局的な期待値の存在に気付いていない?微視的には運が悪いのが原因であるかのように見えるとしても、それは巨視的に周りに運を配っているからである。
ミクロだとかマクロだとか、着率の奪い合いだとか押し付け合いだとか、何やら小難しい言い回しをしなくても、実は簡単なことだ。
麻雀で、中級者以上ならおそらく経験があるだろう、守備を知らない初心者三人と卓を囲むと横移動が頻発して、負けないんだけど勝てない、っていう状況。間違いなく自分が一番上手く打っているのに、それでも初心者相手に1着を獲りにくい、4着には滅多にならないが。本質的にはこれと同じことである。
この経験を、麻雀が4人で行われるゲームだからこそ起こる興味深い現象だとして研究対象にするのか、あるいは初心者に囲まれたときでさえも勝ちたいという負けず嫌いを発揮して分析するのか、もしくは経験的に直感的に勘所を心得ていくのか。
しかしここで、「初心者の馬鹿試合に巻き込まれた」と思ったのでは思考停止に陥ることになる。麻雀についての普遍的な探究ではなくなり、狭い環境への適応を目指すガラパゴス化に陥ることになる。
探究する者は必ず初心者を見る。初心者から着想を得る。初心者による無邪気な選択、あるいは初心者ゆえの失敗こそが、自分が囚われている先入観を教えてくれる。初心者は達人にとっての鏡だ。
最後に。
さて、ここまでそれなりの文字数を費やしてきたこの考察、ドリブンズの選手たちがその手の内をすべて明かしているわけではないので全くの的外れという可能性もあるだろう。
しかしもし、考察が的を射ているとするならば、丸山奏子という選手への見方は一変する。
すなわち、丸山の成績が芳しくないのは実力不足によるものではなく、ドリブンズのチーム戦略・戦術の誤りによってMリーグに通用しない知識や技術をわざわざ教え込まれたからであり、そしてその通用しない知識や技術を真摯に吸収して試合で実践できているからこそ成果が上がらないということならば、これはむしろ生徒として非常に優秀だということになる。
同じ理由で成績が悪い二人のうち、一方は実績があるから運が悪いとされ、もう一方は実績がないから実力不足とされるのは、それはフェアじゃないだろう。
以上