多井隆晴 唯一の弱点 ~多井隆晴は本当に攻めたのか~【神域Streamerリーグ第9節】
(スポーツ記事等の慣例に倣い、選手名は敬称略とする)
麻雀に於いて、無理にでも1着を狙う、とはどういうことか。
全員が無理をせず長期的合理性に基づいた最善手を追求した場合の着順確率
1着25%/2着25%/3着25%/4着25%
無理をしてでも1着を狙うということはここから、2着および3着を獲得する確率を減じ、その分を、1着および4着を獲得する確率を高めるように振り替えることである。
では2着および3着を獲得する確率を減じ、1着および4着を獲得する確率を高める方法とは何であろうか。
端的に言えばそれは、「都合の好い偶然(幸運)が起こる確率を敢えて過大評価すること」であり、それは同時に「都合の悪い偶然(不運)が起こる確率を敢えて過小評価すること」でもある。
例えば、普段ならばリーチしない不利な待ちでもリーチするとか、普段ならば降りるところで押し返すとか、それらはいずれも、意識的に幸運を過大評価しており、意図的に不運を過小評価している。
しかし、だからといって、いくら幸運を過大評価し不運を過小評価するといっても、最初から最後までずっと、東1局から南4局までずうっと役満だけを狙い続けるということは普通やらない。
なぜやらない?役満だけを狙い、駄目そうなら降りて、一撃さえ決まればかなり高い確率で1着を獲得できるだろうに、なぜやらないのか。
役満狙いは確かに2着・3着を獲得する確率を著しく低下させ、1着または4着を獲得する確率を高める。
しかし問題はその振り替え比率にあり、役満狙いは1着を獲得する確率をほんの僅かしか上昇させず、2着・3着を獲得する確率を減じた分のほとんどが、4着を獲得する確率の上昇に振り替えられる。
そしてここからが無理にでも1着を狙う上で最も重要なことなのであるが、役満狙いはそもそもの無理のない最善手を追求した場合の1着獲得確率25%を大幅に減じることになる。しかもそれは4着獲得確率に振り替えられる。
例えばこんなアンケートを実施してみたとしよう。
麻雀で1着になった人、100人に聞きました 「あなたはどうして1着になれましたか?」
1位:そういう手が入り、そういう展開になったから
2位:普通にやってたら1着だっただろう人がミスをしたから棚ぼたで
3位:無理やり押しまくったから
4位:役満だけ狙ってたらほんとに出た!
ざっとこんな感じになる。
つまり何が言いたいかというと、1着を獲得する確率のうち、最も大きなウェートを占めるのは、無理のない最善手を尽くした場合の25%なのである。
そして無理にでも1着を狙ってこの25%に上積みを行おうとするとき、それは最善手ではないのでこの25%を減らしてしまうことになる。2着以下を獲得する確率への振り替えが起こる。東1局からの役満狙いはその最たる例である。
最善手を敢えて外すことにより1着確率が25%より減少する分を、補って余りある効果的な2着・3着確率からの振り替えを行えないのであれば、結局1着になる確率は上昇せずむしろ下降すらして、増えるのは4着になる確率ばかりである。
そう考えると、無理に手を広げたり無理に押し返すといった積極的に危険を冒す方法は最善手からの乖離幅が大きく、元々の25%を大きく削いでしまうので、よほど効果的なタイミングでなければ1着率の向上に繋がらない。
同じだけ幸運に期待するならばそれよりも、相手のミスを誘発するような罠を仕掛ける方法(早々のリャンメン固定やカンチャン待ちの筋になる牌を早めに切っておくなど)が、最善手からの乖離幅がそれほど大きくなく、無理にでも1着を狙う場面では幅広く優先度が高い。
さらにここで、多井隆晴に独特の問題が関わってくる。
多井の普段の打ち筋は、悲観型であり守備的で、やや不運を避けようとし過ぎて損をしている。しかしその損を、圧倒的な知識量・技術力によって補って余りあるというスタイルである。
これは、運に左右される衝突局面を可能な限り減らし、実力が結果に与える影響をなるべく大きくしようとする戦略であり、実際その”読み”の力は絶大で、長期的成績ではプロ同士の戦いでも頭ひとつ抜けている。
しかしこの戦略には弱点がある。
”読み”が成立するためには、対戦相手が精度高く最善手を選択していなければならないのである。
したがって、対戦相手が麻雀に拙く最善手を選択する確率が低い場合や、条件が窮まって最善手を捨てる選択に出る場合には、”読み”が通用しなくなる。
すると元々の、「やや不運を避けようとし過ぎることによる損」だけが残ることになり、不利となる。
そしておそらく、本人はそれを自覚している。
その上で、選手個別の傾向を把握することに注力してきたであろうし、普段よりも不運を恐れない姿勢で戦いに臨んだであろう。
以上の考えを基にして、誠に僭越ながら、多井隆晴の打牌選択を検討してみたいと思う。
前節までのトータルポイントを鑑みて、チームアキレスSランク指定選手である多井に課せられたタスクは、
望 外:1着かつ完璧な着順操作
至上命題:1着
次 善:1着ならずも可能な限りの着順操作
であるとする。
第9節
第1試合(25回戦)
東1局0本場
起家の多井はシンプルに手を進める。しかし普段の多井であればこの手、真っ直ぐに前進したかどうか微妙なところか。
10巡目に下家からリーチ宣言。
このリーチを正当に評価すれば、大きな脅威となるリーチである。
下家はチームアトラス、白雪レイド。
トータルポイントで優位な立場、しかもAランクの実力者、であれば軽率なリーチは考えにくい。
1着を目指すよりも4着を回避することに重きを置く状況で、リーチせずとも満貫以上あるならダマテンを選択するだろうから、ツモれば満貫程度ある好形待ち(リャンメンまたは字牌含みのシャンポン)が本命だろう。
しかし多井の立場から、何がなんでも1着を目指すというのであれば、このリーチを正当に評価してはならない。
1着の確率を高めるために、2着3着の確率を下げて振り替えるために、幸運を過大評価し不運を過小評価するならば、このリーチを過小評価しなければいけない。
今だけは、事故を避けるための「かもしれない麻雀」ではなく、1着を獲るための「だろう麻雀」が必要だ。
「高いかもしれない」「好形かもしれない」ではなく、「思い切った脅しだろう」とか「先制だから安いけどリーチしたのだろう」「地和を親被ったわけでもなし、俺が1着になるならこういうリーチは空振るもんだろう」などと考えなければいけないのだ。
その上で、幸運を過大評価し、直撃チャンスだとして押し返すか、あるいはリーチを野放しにして流局または横移動を願うのが、強い攻めの姿勢であり、強く1着を目指す選択である。
したがって、リャンシャンテンからチーで仕掛けていった多井の選択は、悪手であると考える。
この選択は、下家のリーチを正当に評価して重大な脅威とみなし、アガリを阻止しようと試みるものである。
アガリ阻止の成否について、幸運を過大評価し不運を過小評価したものであると言える。
しかしこの選択は、確かに2着または3着になる確率を下げてはいるが、素の1着率をも大きく削いでしまい、ピントがずれている。
リーチ者との二人旅であればまだしも、対面が押し返しており、差し込みに近い放銃も覚悟してのことだろうが、むしろそれだからこそ失点確率が高くなりすぎ、流局や横移動の確率も低下して、1着率が低下する。
既に場が進み、より追い詰められた状況で、というなら割に合うかもしれない。
しかしこの場には実力差があり、始まったばかりの東1局全員同点の状況での多井の素の1着率は25%よりも大きい、30%程度はあるだろう。
その状況でのこの仕掛けは、30%にさらに上積みすることにならない。
まだ何も失点していないのに、まるでもう既に失点しているかのように行動するのは、強く1着を目指す攻めの姿勢ではない。むしろ、強く4着を避けようとするオーラスであるかのようだ。
精度の高い先制リーチ。さらにはリーチに押し返す対面。
普段の多井であれば、おそらく全面的な降りを選択した場面。
この場で必要だったのは、いつもと同じ考えでいつもと異なる選択をすることではなく、いつもと違う考えでいつもと同じ選択をすることだったのではないだろうか。
東3局0本場
多井は早々に北をポン、遠いホンイツ仕掛け。
拙速にも思えるが、点棒状況が平たく、トータルポイント最下位であるチームヘラクレス因幡はねるの親番を流してしまいたいという思惑は子の三人で一致しており、アシストを期待できるとすれば悪くない仕掛けだと考えられる。
唯一の懸念材料は、多井が早々にこの局の展開を決定付けたことにより、他三者もまた方針が明確になり、ミスをしにくくなったという点であろう。
はっきりとした点差がついている状況よりも、僅差の状況では難しい判断を迫られることが多く、したがってミスは起こりやすい。
1着のみを目指す上では、自身が積極的に危険を冒してアガリに向かうことよりも、ミスを誘発することの方が優先度は高い。
しかし微差とはいえ4着目の状況であり、ここは危険を冒してアガリに向かうことにも十分価値を認められるものと考える。
南1局0本場
序盤、7索を切ってリャンメン固定し、9索を出やすくする罠を設置する選択はありえたかもしれない。
しかし1着目が大きく抜け出している状況で、打点が減少する可能性が高くなり、かつ鳴いて聴牌に向かうことが難しくなることを考えれば、目一杯の形を維持するのは止むを得ないだろう。
8巡目、上家からの先制リーチ。
ここからの多井のギリギリの我慢を、私は素晴らしい攻めだったと評価したい。
もとより降りの選択はほとんどない最後の親番。
上家のチームゼウスFraは今大会、比較的守備重視の打ち筋を披露しており、打点があればこそ好形を求めて手を戻すこともある。それが長考の末にリーチである。直前の親被りの失点も背を押して、大胆な愚形リーチという線は十分にありえる。
直後、ドラの西を掴み、だが突っぱねる。
しかし西家の対面がポン。場が沸騰する。
ツモ2萬。対面には通りそう。リーチには目を瞑って押す。
下家が中をポン。下家まで前に出てくるのはさすがに想定外。
ここでリーチをしている上家から2索がツモ切られる。
なんとしても手を進めたいこの状況で、多井これをチーせず。
この我慢こそ、素晴らしい賭け、素晴らしい攻めである。
リーチとドラポンと押し返している親に立ち向かってきたからには下家は既に聴牌している可能性が高く、しかも待ちはリーチしている上家およびドラをポンしている対面の安牌または安牌を絡めたリャンメンである可能性が高い。だから8索は切れない。
かといって3索も7索も切れない。対面がドラをポンして出てきたのが5索、であれば待ちは3・6索か4・7索が大本命。
そしてもちろんリーチにも通っていない。
鳴いて聴牌ならまだしも、ここから危険牌二つはいくら幸運を過大評価しても無謀。
一筋の光明は、下家と対面はリーチではないということ。終盤になって危険牌を掴めば、きっと降りる”だろう”。その後なら鳴ける。これに賭けた。
技術と度胸と状況とが織り成した、素晴らしい選択だった。
南2局0本場
再び上家Fraからの先制リーチ。
前局とは打って変わっての即断即決リーチである。
であれば精度の高いリーチである可能性が高い。
精度の高い先制リーチは東1局と似た状況であるし、点数状況は東1局よりも悪化している。
しかし多井は押し返さず。
親番を失い1着が遠のいて、アトラスが親被るのであれば、と、次善への方針転換を図ったか。
プロらしい、したたかな変わり身であろう。
あるいは安牌に窮して誰かが放銃するかもしれない。
都合の好い横移動や、都合の好い親被りを願うのは、これも攻めの選択であると言える。
もしも、を探るのであればどこかでこれ見よがしにリャンメンのチーをして聴牌に見せ掛け、圧力をかけてミスが起こりやすい状況を作ることは可能だったかもしれない。
続いて第2試合(26回戦)
東1局0本場
親の第一打がダブ東であることは、十分に良い配牌を得たことを誇示している。これをリスペクトして多井は發を鳴いていく。
しかしこれは拙速である。またもや不運を正当に、ともすれば過大に評価している。4000オールをアガっても勝ち切れなかった試合なんていくらでも経験してきているだろうに。
成功したとして僅かな加点で局が進む。局は長引くほど実力が反映されるのでもったいない。
ましてや苦しめている相手はトータル最下位のヘラクレスで、リスクを負うのは自分、黙って見ているだけで両脇の二人は得をする。アシストして多井と親を戦わせることもできる。手詰まっての幸運な横移動の可能性が減る。
絶対に無理をしないアトラスに大きく失点させるには親被りか、親のツモアガリくらいしかない、そのチャンスである。
厳しい立場のヘラクレスを苦しめて、なお無理な選択を強いてそこを刈り取るという戦略は確かにありえるが、望外または次善の着順操作を諦めるには東1局は早すぎる。
深みのない、奥行きのない、多井らしからぬ”のっぺり”とした選択であった。
南3局2本場
絶対に降りない親番で序盤にイーシャンテン。打点はないが形は好い。
リーチするための最短コースで多井は目一杯に構える。
6・9萬が見るからに少なくなった中盤以降ではもはや選択の余地はないが、そうなる前、ツモ「中」のところで選択の余地があったかもしれない。
中と9筒を入れ替えるかどうか。
既に点数状況は大劣勢であり、幸運に縋り不運に目を瞑るしかないなら、
・目一杯に構えても放銃しないという幸運に賭ける
・手を狭くしてもちゃんと聴牌するという幸運に賭ける
この二つから選択することになる。
どちらが悪手とは言えない、微差にこだわりすぎだと言われるかもしれないが、私は比較検討する価値はあると考える。
絶対に降りない親番である。
4着目の親番に対して子の三人は三人とも真っ直ぐに手を進めているようであり、どこかから早いリーチが入る可能性は十分にある。
ポンして聴牌では役がなく、押し返せない。
ならば、縦に重なりやすいようには見えないチュンチャン牌での聴牌効率よりも、子の誰か一人がリーチすれば他二人は撤退すると見込んで、押し返すために、またさらに押し返すための情報が出てくるかもしれないその一巡を買うために、安牌を抱える選択を私は推したい。手を狭くしても聴牌できるという幸運に賭けたい。
第三試合(27回戦)
試合序盤から自然な手順で大きなリードを築いた多井がそれでも勝てなかった。私から語れることは何もない。
この日の三試合から見えた、多井隆晴の弱点とは。
大まかに言えば、展開の先行きを予想するとき、想像し得る不運のバリエーションの豊富さに比して、想像し得る幸運のバリエーションに乏しいことである。
これは普段の多井の打ち筋に適合していて、なるべく実力が結果に反映するよう誘導する戦略に於いては、幸運よりも不運について多くリソースを割くことは不可欠である。
ところが強く1着を求めるとき、無理をしてでも着順をコントロールしようとするとき、裏目に働く。結果に実力を反映させようとし過ぎる。
より細かく言えば、不運を阻止できる、という道筋を見つけたとき、あまりにも眼の色が変わる。幸運の可能性には目もくれず、割に合わない危険を冒す。
不思議なことに、不運による被害を「軽減しよう」というときには狂いは生じない。
不運による被害を「阻止できる」「0にできる」という道筋を発見したときだけ、またその口実を得たときにだけ、先々のことが見えなくなり、今この瞬間だけに視野が狭まる。
例えば不都合なリーチを受けて、それを阻止できる危険な仕掛けの道筋を見つけたとき。例えば手を狭めて聴牌を逃してしまう不運を阻止するとき。例えば下家から対面へのアシストを阻止するリーチ。
原因は、これはまったく想像の域を出ないが、
一つには、不運を過大評価する傾向を自ら進んで身に付けてきたことによって。
一つには、いつもと違う選択、いつもと逆の選択をしようと強く意識するあまりに。
一つには、自身が誇る技術に誘惑されて。高い技術が、常人には見出せない光明を発見させる。
一つには、やった後悔の方がやらない後悔よりも気持ちの切り替えが容易であろうと期待する防衛機制によって。
誠に僭越ながら
突っ込みどころは多々あるだろうけども
以上です
決して短くない文章をここまで読んで下さった方がもしおられましたら、お礼申し上げます
余話
多井隆晴の対極に位置するのが歌衣メイカの打ち筋である。
歌衣メイカは不運よりも幸運について豊富なボキャブラリーを備えており、特に大会等のイベントに出演して披露する”強い”打ち筋は、なるべく運が結果に反映されるように、実力が結果に反映されにくくなるように誘導するものになっており、これが見事なトップラス麻雀を成立させている。
歌衣メイカと対戦する者は、十分に巧さを備えていればあまりにも簡単に2着を狙うことができる。これは歌衣メイカが大きく沈んでいるか、歌衣メイカによって誰かが大きく沈んでいるというパターンが増えるからであり、2着を獲得することの難しさが身に染みている巧者ほどその誘惑に抗いがたく、歌衣メイカを野放しにしてしまいがちになるのである。