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こんなタイミングで『仮面ライダーギーツ』の感想を吐き出す日。

お疲れ様です。サヴァイヴ系なる単語は意外と浸透しなかったなあと思っている井の中の蛙っす。

掲題の通り『ギーツ』の感想です。『龍騎』とのコラボ映画やスピンオフ周りは未履修ですが、『4人のエース』のネタバレは含みますのでご注意ください。

また、『4人のエース』で出た情報を真実として扱っている点もご注意ください。
(メラが嘘を吐いている可能性もありますが、今回は考慮外です。本当の事を言う必要性もありませんが、嘘を吐く必要性もないので)


■登場人物感想

■登場人物感想I.浮世英寿

最初から最後までヒーローとして完成していた、かなり珍しいタイプの主人公だったなあという印象。
仮面ライダー仲間に加えて変身しないヒロインもいたのに、「俺がみんなを守るから誰か俺を守ってくれ」的なことが一切無かったのは面白い。

同じ脚本家ってことで宝生永夢に近しいところはあるのかな(彼も研修医スタートとは言え医者の精神性は最初から持っていたので)って印象もありますが、宝生永夢と異なり囚われのヒロイン的なイベントも無かったのが、確固たる崩れないヒーロー像をつくりあげたのかなあ、と。

一応デザグラ敗退イベントはあったんですけど、独りで解決しちゃいましたし。前世の記憶を保持し続けるコンプレックス(?)も桜井景和が一瞬で解消しました。

崩れたのってせいぜいジャマグラ最終戦ぐらい? それも独りで持ち直してた印象ですけど。

崩れないヒーローは格好良かったんですが同時に、特に終盤は主人公よりも狂言回し的な役割に落ち着いてしまった印象もあるのが少し残念。

その分、『4人のエース』ではどちゃくそ主人公してましたね。本編終盤と『4人のエース』のバランスは(同時上映『キングオージャー』の温度感も相俟って)すごく好きです。

■登場人物感想II.五十鈴大智

お前が2番目にくるのもどうなのって感じなんですが、『ギーツ』を語るなら外せないキャラクターだと思います。

彼の魅力については以前書き出しましたが、最終話を終えたことでまた別の魅力が生えました。
五十鈴大智、作中で数少ない"願いが変わったキャラクター"なんですよね。ここに『ギーツ』のメッセージが込められています。

全人類の記憶はジャマトと知恵の樹を利用すれば創世の女神/浮世英寿不在でも叶えられます。

その上で願いが変わったのは、『ギーツ』の目指した世界が『みんなが幸せになれる世界』だからです。ジャマト化による全人類の記憶収集は、ジャマト化してしまった人物が幸せになれません。
知恵の実を食べた五十鈴大智は、自分だけが幸せである楽園に留まることはできなかったのです。

「みんなが幸せになれる世界」とはつまり、「他者の幸せを阻害しては駄目だよ」ってメッセージなんだと思います。
だから浮世英寿の創世の力は特定個人が願っただけでは(=独りよがりの願いでは)叶わない仕様になっていますし、現代人の幸せを阻害するスエルは排除されました。

これだけなら『ギーツ』のメッセージではなく浮世英寿のメッセージと読み取れてしまいます。
しかし、五十鈴大智も他者の幸せを阻害しない願いを抱くに至ったことで、上述のメッセージを浮世英寿個人のメッセージではなく、『ギーツ』のメッセージとして成立させたのです。さすが五十鈴大智

余談ですが、五十鈴大智がジャマトを制御できることによって、メラの語ったジャマト襲来イベントが回避される可能性が浮上しました。
もちろんジャマト襲来イベントが無いと人類が地球から逃げ出すイベントも発生せず、結果としてデザグラも生まれないタイムパラドックスが起こりますが、そこは浮世英寿=創世の力が何とかできるでしょう。
つまり、五十鈴大智は全人類の救世主に成り得るということです。
さすが五十鈴大智

■登場人物感想III.桜井沙羅

こんな順位で書くキャラクターじゃないと思いますが、五十鈴大智のキャラ(役割)を確定させたという点では彼女もキーパーソンかなあ、と。
序盤は全くシナリオに絡んでこない不思議な立ち位置でしたが、終盤は理由の分からない勢いでシナリオに食い込んできました。

五十鈴大智は知恵の実を食べて罪悪感を知ったから反省してるみたいな推測を浮世英寿はしてましたが、正確ではない気がしています。
当時の彼にとって復讐の対象であり、自身より格下の存在として位置づけていた桜井沙羅が、最後の瞬間まで五十鈴大智や吾妻道長を恨まずに、弟のことを心配していた(※)ことが、五十鈴大智の理解を超えていたからだと思います。その記憶が五十鈴大智の気を引いたんじゃあないかなと。
※復讐目的で襲来してきた桜井景和に対しての「姉はそんなことを望んでいない」発言から。

五十鈴大智は全人類の記憶を求めるような、探究心の塊のような存在ですから、理解を超えた桜井沙羅を理解しようとして、結果として慈悲の心に目覚めたんじゃあないかなあ、と。
元々登場時から、人の心を難問だと捉え、難問に挑む為に記憶が欲しいって思考回路でした。

上で妄想した五十鈴大智がジャマト襲来イベントを何とかして世界を救うシナリオが事実になるなら、世界を救ったのは桜井沙羅とも言えてしまいますね。女神かよ。

どちゃくそどうでも良いですが、本編後は五十鈴大智にストーカーされてそうな印象があります。
縁の深い相手としては吾妻道長もいますが、彼は罪悪感から直接会いに来ようとするタイプではなさそうですし、互いの仕事柄(内勤/外勤)偶然出会う可能性も低そう。

その点、五十鈴大智は世界唯一のジャマト研究者なので、自由に時間が使えます。ジャマトと共存する為に慈悲の心を理解するためとか言って、ストーカーしてても不自然じゃあないかなあって。

■登場人物感想IV.桜井景和

浮世英寿のキャラクター造型も相俟って、『ギーツ』は群像劇っぽい作風になっていました。その上でより主人公っぽい造型をしていたのが桜井景和かなと思っています。

物語スタート時点で世界平和を願う精神を持ち、実際他者を助ける動きができる青年です。
しかし、彼は求職活動中であり、姉の稼ぎに依存して生活している身でもありました。
そんな身で世界平和を謳われても、現実見なよって言われてしまうのも仕方ないかと思います。

だからケケラは現実を見せつけたんですね。

姉を喪った桜井景和は荒れに荒れました。しかし、これも『ギーツ』のメッセージに一役買いました。

「みんなが幸せになる」為には、まず自分がある程度幸せな状態にいないとなんですよね。自分に余裕があって、初めて周囲に目を向けられる。
桜井景和は一旦不幸になったことで、そのことを意識しました。
自己犠牲の戦士を良しとするケケラにとっては許せない思想です。
最終的にふたりが対立してしまうのは仕方ないことでしょう。

ここまで書いてて思ったのですが、『ギーツ』のテーマって自己犠牲の否定なんでしょうか? ミッチーも自己犠牲系ですよね。
その割には浮世英寿が自己犠牲してるのが何ともなんですが。

話を戻して。
何となくで就職活動してた桜井景和が、警察官を目指す変化は『ギーツ』のメッセージにも沿ってて中々良い着地だったなと思います。ひとりひとりが幸せじゃないとねって。まずはひとりひとりの幸せを守らないとねって。仁義を通す良いヤクザとか目指さなくて良かった良かった。
世界平和を謳うなら最初から警察官目指す/世界平和に貢献できる類の企業(って何だ?)に絞って就職活動しなよってなりますが、そう思わせる桜井景和の“言葉の軽さ”が無くなったってことですからね。
同時に、第1話時点で口だけじゃあない可能性を見出していたケケラはすごいなあって思わせる良い塩梅。

■登場人物感想V.ケケラ

演者の怪演も相俟って、『ギーツ』の中でトップクラスに好きなキャラクターです。

ケケラはデザグラに巻き込まれた際の桜井景和の言動に、(彼の語る)理想の仮面ライダーの素質を見出し、デザグラに参戦させるよう手を回しました。

そんなケケラがジャマトグランプリ側に着いて桜井景和と敵対関係のようになるのは実に不自然なんですが、タイミングを考えるとどちゃくそ自然なのが面白いですよね。

チラミのデザグラ、参加者同士のリアリティショーに重きを置いているから、ケケラの求める仮面ライダー像が見られないんですよね。
自己犠牲の戦士をするなら、自分から脱落するムーヴになっちゃうっていうね。
それだったらジャマグラに切り替えたほうが、よっぽど可能性あります。
なのでもし、ギロリ方針のデザグラが続いていたら、ケケラはベロバとは手を組まなかったんじゃあないかなあって。

そんなケケラの望みなんですが、理想の仮面ライダー像を見ることではないんですよね。ケケラの望みは理想の笑い。
この場合の理想の笑いって、桜井景和が理想の仮面ライダーになる瞬間を見届けた歓喜・賞賛の笑い/桜井景和が現実に折れる嘲笑・愉悦の笑いの、どちらなんでしょうね?
どちらとも取れるムーヴを続けていたのが演技の妙。恐らくケケラ自身もどちらを望んでいるのか分かっていないんじゃあないかなあ。

理想の笑いを得たので女神への願いが叶ってしまい強制退場したと捉えるなら、退場時の笑いは間違いなく賞賛だったよなあって。
でもあの退場って女神への願いが叶ったからではなさそうなんですよね。ってことは元々は嘲笑的な笑いを求めてた可能性も残るよなあとか。
アレコレを考えるのが面白いです。『ギーツ』に心を囚われている原因の一端

あの演技でなければ「脚本が定まってないんだらうな」としか思えなかったことは疑いようがないので、役者ってすげぇなあ。

■登場人物感想VI.吾妻道長

頭が悪いキャラクター造型をしているようで結構頭まわるよねと思わせつつ、やっぱり頭悪いなあって認識させるキャラクターな印象です。演者が知的な印象を拭えてないからね。

吾妻道長のデザグラに託す願いは“全仮面ライダーの凌駕”なんですが、実質的には“デザグラを潰す”と同義です。
そこで“デザグラを潰す”と書かないのは、直接的に書いて運営から目をつけられるのを避けたんだなあってのと、“全仮面ライダーの凌駕”=“デザ神で居続けたい”=“これからもデザグラに参加したいです”アピールを兼ねて運営の覚えを良くしてるのかなあって。賢いなあ。

でも、その願いでデザ神になってもデザグラ潰せないよねって。
願いの結果デザグラ参戦しない一般人の立場で(変身前状態で)ライダーを倒せるようになったとしても、ジャマトの数の暴力には敵いません。なので、願いを叶えた後もデザグラに参戦し続ける必要があります。
が、対ライダー最強になった吾妻道長の参戦を、運営が認めるかは不確定。

仮にデザ神は次のデザグラにも強制参戦みたいなルールがあったとしても、吾妻道長がそれを知ってるわけないし(※)、参戦されたところで運営としては、強力なジャマトをぶつければ良いだけです。
そもそもデザグラは“仮面ライダーは仮面ライダーを攻撃してはならない”ルールがあります。ルール効果で脱落しちゃう。
なので賢いんだけど、どこか抜けてるなあって。
※浮世英寿が連続参戦してるので誤認した可能性もあります。浮世英寿は最初の願いで永続参戦権を確保したからな可能性も高いので、デザ神と次のデザグラの関係性は不明。但し、演出的にはそもそも吾妻道長の願いは初回から変わってないように見えます。何なんだお前。

しかし、そんな抜けてる感が納得できるエピローグが上手かったです。吾妻道長、どちゃくそ個人の欲が薄いタイプでした。他人ありきって点ではかなり強欲なんですけども。間違いなく本人は(少なくとも物語開始時点では)強欲である自覚がない。

なので、他人の幸せを壊してまで自身の幸せを追求する仮面ライダーの存在が理解できなかったんでしょうね。
友人の復讐が第一にならなかったのも、自身のみの幸せを求めた代価だから。幸せを求めるから結果として不幸になる。
だから全仮面ライダーを凌駕する力を得て、過剰な幸せを追求する仮面ライダーを潰し続けて、世界をそこそこの幸せ/不幸のバランスで保とうとしていたと。うちはサスケかお前は。他にもこういう思考のキャラクターいそうだけどさ。

ベロバはそんな自分を不幸にしながら他人に不幸を振り撒く吾妻道長に惹かれたわけですが、結構ケケラの謳う仮面ライダー像にも近いんじゃあないかなって感じます。やってること(求めてること)は悲しみを隠しながらの同族排除ですから。
どうしてケケラは吾妻道長を選ばなかったんじゃろ。悲しみを隠せていないから?
ケケラの吾妻道長評は聞いてみたかったところ。

■登場人物感想VII.ベロバ

『ギーツ』という作品の歪みを感じさせる存在です。こんな長期に渡って出演する予定だったんでしょうか?
元々ラスボスに近い立場まで残すなら、年齢を気にするとか、自身の不幸は認められないみたいな小物ちっくな造形ではなく、その辺りも飲み込んだ超越者みたいな造形でも良かったんじゃあないかなあと。
他の演技は上手いのに、年齢を気にして怒る演技はかなりアレだったし。

ラスボスであるスエルがどちゃくそ小物なので、差別化してほしかったなという印象。

他にもベロバは歪みを抱えていて、「みんなが幸せになれる世界」において、「他人の不幸でしか幸せを得られない」人間はどうすれば良いのか、という問題提起“だけ”をしてしまったキャラクターなんですよね。

ベロバはこの時代を人間じゃあないからと「みんな」の枠には入れられませんでしたが、問題を出題してしまったからには向き合うべきだったんじゃあないかなあ。
吾妻道長が「他者を犠牲にして自身の幸せを求めることへの否定」から信念が変わったからこそ、ベロバの感性には別の決着をつけてほしかったです。
ベロバの感性って、物語開始時点の吾妻道長が受け入れられない感性なので。言い換えるなら、物語終盤の吾妻道長なら、受け入れられる余地はあったんじゃあないかなあって。俺だけを見ろ、俺だけを不幸にしろみたいな方向性で。

演者は可愛いし、吾妻道長とのプロデューサとアイドルみたいな間柄もどちゃくそ好きだったので、だからこそ惜しいなあと感じてしまうキャラクターでした。

惜しいと言えば、ベロバの遺した(遺せていない)レーザーレイズライザーと、浮世英寿が使わなくなったブーストマークIIを吾妻道長が使う展開もできたんじゃあないかなあって。
ゾンビで戦い続けるのも好きですけどね。中盤こそプレバンアイテム使ったとは言え、他ふたりがプレバンアイテムなので終盤のバランスが気になっちゃいました。ひとりだけ初期武装じゃんって。

■登場人物感想VIII.墨田奏斗

ダパーンです。『ギーツ』トップクラスの歪みです。
ベロバはこの時代の人間ではないので「みんな」に含めないは一応成立できますが、墨田奏斗は無理です。何故向き合わなかったのか。
向き合えないのに何故再登場させてしまったのか。

真偽はともかく、本編にダパーンを出したからパンクジャック出せなくなったんじゃないかと囁かれてまで、再登場させる必要はあったのか。

再登場の役割は、桜井景和に自身を客観視させるキャラクター。
なんですが、そもそも桜井景和が暴走していたのは、創世の力を手に入れたのに世界を作り変えない浮世英寿を信じられないからだったので、悪行(?)を客観視させたところで、じゃあ他にどうしろって感じになるだけなんですよね。

もちろん浮世英寿は自由に創世の力を使えないんですが、ジャマグラで五十鈴大智に騙された桜井景和はそんなこと知りません
創世の力は自由気ままに振る舞えるものだと思い込んでいました。
目の前で浮世英寿が鎖に縛られるのを見て、初めて勘違いに気づいたものと思われます。

うん、この役割は墨田奏斗じゃなくても良くない?
我那覇冴辺りに「昔は違った直接ぶつかる男だった」って言わせれば良くない?

墨田奏斗を出してしまったからこそ、幸せになれなくなってしまった人間はどうすれば良いのかとか、他者を傷つけることでしか幸せになれない人間はどうすれば良いのかとかのノイズが出ちゃいました。

ノイズ出すなら向き合ってほしい。ホントにそれが勿体無いです。

ちなみに、墨田奏斗はそんなに嫌いじゃあないです。
と言うか、「俺が幸せじゃないのにどうして他の人間は幸せにやってんの?」は共感できる部分があるので、自己嫌悪に繋がりそうで嫌いになれません。

そこで妬むな自分の幸せを求めろってのは、幸せにいる側の意見よね。

■登場人物感想IX.ジット me スエル

ジットはどちゃくそ魅力的でした。変身したら弱くなったねって言われるタイプだと思ってたのに、変身後のファイトスタイルもどちゃくそ強く印象づけられました。暴力の化身感だけならブジンソードなんかもありましたけど、暴力に各レイズバックルを組み合わせて隙をつくろうとするムーヴはどちゃくそ良いなあって。さっと散ったのも株を落とさなくて良かったですね。

だからこそスエルの小物感が残念過ぎるよ。
ジットもスエルの一部ってされたことで、株が下げられたように感じてしまいます。株下げるにしても、他の演出あったんじゃあないかなあって。ジットをスエルが強制的に乗っ取るとか。

ここまでラスボスに魅力がない作品も珍しい、こともないですね。
そこそこあったわ。
だとしても、言動ともに小物感を漂わせているのは何とかならなかったものか。

倒したところでスッキリもモヤモヤもしないのがホントに悲しい。

■登場人物感想X.サマス

お前なんだったの? てっきりミツメに嫉妬してた本当の黒幕とか考えてた私が馬鹿みたいじゃん!

最終的な役割としては、過去を弄んだ代償に過去に消される愚かな未来人の象徴。なんですが、直前に鞍馬父娘が他未来人を退去させてたので、そんなにカタルシスも得られなかったなあ、と。
象徴だけ消えてもそんなにスッキリしませんよね。結局同じように過去を弄んでたVIP未来人は安全圏に逃げちゃったので。因果応報が足りぬ足りぬ。

スエルがこうなってたほうがよっぽどスッキリはしたと思いますが、それこそ最終話で戦う相手がいなくなるので、役割の分離としては納得できてしまうのがより残念。

サマスもスエルの一部だったとかなら、スッキリできたかもですね。バックアップあるから問題ないぜって笑ってたら、バックアップが未来に戻れなくなっちゃうみたいな展開。

■本編感想

■本編感想I.未来サイド

デスゲームを行うにあたって、運営側のメリットって何だらうというのは、そんなに種類が出せないと思います。
下手に捻らずに、ドキュメンタリ番組です/視聴率稼ぎが目的ですってしたのは違和感なく受け入れられました。

だからこそ、視聴者/運営を(地球の)未来人としたのはかなり捻ったなあ、と。
上位存在とか、異世界人とかじゃあないんだって。

彼らにとっては過去に介入して、過去改変を行ってるようなものですが、改変内容によってはタイムパラドックスが生まれて自滅しません? って疑問を「創世の女神が何とかします」で解決したのは実にファンタジー。

しかし、過去改変の矛盾を「創世の女神で何とかします」で解決している前提で考えると、当初のデザグラって視聴率稼ぎが目的ではなかったんじゃあないかと思ってしまいます。

だって、例えば地球から脱出する技術や身体をデザイン化する技術の持ち主の祖先がデザグラに参戦して、敗北して消滅した場合、未来人全滅しません?
デザグラ開始当初は創世の女神いなかったんですよね?
過去を使っての視聴率稼ぎが目的なら、当時の暮らしを知る歴史番組系でも良くないです?

何故全滅の危険を冒してまで、ジャマトと戦うデザグラなる番組にしたのか。
恐らくですが、ジャマト襲来イベントによる地球脱出をなかったことにしたかったんじゃあないかなあって。
過去に介入して、ジャマトと戦う経験を積ませるレベリングをして、来たるべきジャマト襲来イベントで地球人側が勝利するようにしたい。
そんな思いでデザグラは開始されたんじゃあないでしょうか。

上記のリスクはありますが、地球に戻ったり失った(デザインではない)身体を取り戻したい、すなわち現状維持を否定したいのならば、飲めなくはないリスクじゃあないでしょうか?

そんな思いでデザグラ運営ができ、それを支援するサポーター(スポンサー)制度が生まれ、サポーターや運営増員に繋がる番組放映という形を取った。

デザグラの“デザイア”とは、元々未来人の帰郷の“デザイア”だったんだよ!

こう考えると、最終話付近のギロリが浮世英寿を肯定したのも分かる気がするんですよね。正しいデザグラって何だ? デザグラは世界平和を目指すんじゃあないのか? って。
浮世英寿の肯定よりは、スエルの否定って観点で、ですけど。

しかし同時に、こう考えると何故ミツメ→創世の女神が生まれたのにデザグラを存続してしまったのかという疑問も生まれます。
が、この点は単純に、デザグラが長引いた弊害なんじゃあないかと思います。元々帰郷の思いで始まったデザグラは、やがて現代への羨望に至ってしまったんじゃあないかなと。
そして羨望を誤魔化すために、未来人は優れている/現代人は愛玩動物って思想に変わっていってしまった。酸っぱい葡萄みたいな話。

なので、手段と目的が入れ替わり、“視聴率目的のデザグラ”として存続してしまった。

こう考えると、今度はチラミの発言に説得力が出るんですよね。
チラミはギロリのデザグラを否定しました。

「みんながみんな、世界平和のハッピーエンドだけを願って観ているわけじゃないんだからさ」

しかし、ギロリのデザグラは“あらゆる状況でのジャマト戦を想定したサバイバル路線”なので、対ジャマトの戦闘経験を積む観点ではかなり優秀なはず。ジャマトを倒せば世界平和になるって刷り込みもできます。

チラミのデザグラはジャマトとの戦いを想定しているとは考えづらく(ジャマトとの戦争下においてデザスターなんて狂人役割が生まれる可能性も零じゃあないですけども、それ前提っておかしくないです?)、実際最終的にはジャマトなしでゲームしようとしてましたからね。
方向性の違いと言えばそれまでなんですが、ギロリを否定するチラミを後任に選んだことが、未来人の目的が当初からズレてしまった証左なのではないかと。

また、ツムリは上述のチラミの言葉に疑問を抱いていました。
ツムリがミツメのコピーであることを考えると、ツムリは過去の未来人(ややこしい)の価値観を持っており、チラミの価値観=現代未来人(ややこしい)の価値観を理解できなかった、という演出なのではないでしょうか。

実際、バッドエンドゲームを望むVIPに限らず、ハッピーエンド以外を目的とする視聴者はいましたからね。
例えばジーン。彼は当初、浮世英寿の死に様も見たいとか言ってまして。
ハッピーエンドを望む人間の発言じゃあないよねって。

なお、運営が撤退したらデザグラの記憶は消えるから、レベリングは意味ないのでは? って疑問について。

創世の女神が生まれる前から記憶は消されていたんでしょうか?
実際、浮世英寿は転生前の記憶と言って、デザグラ関連の記憶も保持していました。
運営撤退時点で記憶が消えるなら、転生前の記憶からデザグラ関連が抜け落ちる(次に持ち越せない)と思うんですよね。

つまり浮世英寿は運営撤退による記憶削除は効いておらず、それは何故? となります。
スエルが浮世英寿の時間を巻き戻したみたいに、未来の技術は浮世英寿に通じるはず。
つまり記憶削除は未来の技術ではないんじゃあないか。創世の力なんじゃあないか。

浮世英寿が創世の力を有していたから、同じ創世の力による介入を受け付けなかった、みたいな想像をすると、納得かなあって。
そしてそう考えると、創世の女神が生まれる前のデザグラでは、現代人の記憶削除は行われていないよねって。

■本編感想II.現代サイド

上述の感想は全て私の妄想です。それだけ妄想できちゃう背景を感じさせる設定が『ギーツ』にはありました。

しかし、「この時代は俺たちが幸せになる世界だ。余所者が邪魔するな!」で、本編では未来人の背景設定にほとんど触れませんでした。
これがどちゃくそ好印象です。

そうなんですよね、オタクは情報を継ぎ接ぎして妄想して、自分だけのデータベースを構築することに愉悦を覚える生き物ですが、『ギーツ』の視聴者ってオタクだけじゃあありませんものね。

子どもと、子どもと一緒に見る保護者がメインターゲットのはずです。彼らにとって、未来人の背景設定に大きな価値はありません。
興味あるか分からない(と言うか恐らく無い)未来人の設定よりも、現代で足掻く仮面ライダーの姿を見せようと判断したのは、非常に素晴らしい。そのおかげで、現代人で情報が足りないと感じたキャラクターはほとんどいませんでした。
(いたことはいた。墨田奏斗とか)

現代人の物語に焦点をあてたからこそ、「みんなが幸せになれる世界」のメッセージが強まったように感じております。
シンプルだけど良いメッセージですよね、みんなが幸せになれる世界。現実にも来てほしい。
そんな希望をもって締められたからこそ、『ギーツ』は好印象なのかもしれません。

映画で浮世英寿が化けて出てくる未来が確定したのも大きそう。
あの映画を見ているかどうかで、最終話の印象は変わりそうですね。
浮世英寿が化けて出てこれないなら、希望感は少し薄れそう。

■玩具感想

■玩具感想I.デザイアドライバー

『仮面ライダー』シリーズは、玩具を販売する為の販促番組です。
なので、シリーズを好きと言っている畑の住人ちゃんとしては、玩具は買ったほうが良いのは分かっています。
しかし、『仮面ライダー』シリーズは非常に人気が高いので、別に私ひとりが玩具買わなくても良いんじゃあない? とも思ってしまいます。もう部屋に置くところないし。

買っちゃいました。『ギーツ』本編が面白いのが悪い。

で、デザイアドライバーの感想なんですが、どちゃくそ面白いです。ゼロワンドライバーの進化系に感じます。

デザイアドライバーとゼロワンドライバーって全く違うだらうという意見も分かるので、説明させてください。

平成2期、と言うか『龍騎』以降の(『響鬼』を除く)変身玩具は、“ベルトに小物を装填して変身”というプロセスになっています。『電王』とか『ドライブ』とかもあるけど、言いたいことは伝わりますよね。

平成2期以降では、装填する小物の種類を増やすことで、フォームチェンジ遊びができるようなギミックになっています。
強化フォームの演出の為、小物側のギミックを増やしたり変えたりで対応しています。

しかし、変身遊びのプロセスとしては、どうしても大きくは変わらないんですよね。
どれだけ小物にギミックを足しても、ベルトを操作して変身ってプロセスが共通しちゃうので、そういう印象になってしまいます。

それを解消しようとしたのがゼロワンドライバーです。『ゼロワン』玩具です。
プログライズキーという共通規格の小物に対し、装填する対象である変身ベルトの種類を増やすことで、操作感を変えるアプローチを仕掛けました。
押し込んで変身/引き金を引いて変身/レバーを引いて変身みたいに。
それにしてもベルト玩具出し過ぎじゃろ感はありましたが、アプローチとしてはそういう方向性だったものと思われます。

その上でデザイアドライバーを見てみましょう。
・共通規格であるベルトに対し、操作感の異なる小物を装填する。
・変身プロセスでは、装填した小物を操作し、ベルト側は触らない。
・ベルト側は触らないので、変身プロセスに共通の操作は生まれない。

どちゃくそ面白いですよ、これ。
本編後半にもなってくるとマンネリ感あるんだよなあって変身遊びの問題点(?)を打破してます。
色んな遊び/操作ができるってのはそれだけで強い。

当初はIDコアに応じて変身待機音が変わる(戦極ドライバーみたいに)ぐらいの気遣いはあっても良いのになあと思ってましたが、遊べば遊ぶほど不要であると気づきました。
ベルト本体の印象が全く変わらないからこそ、装填バックルによる操作体験の変化が際立っていました。素晴らしい。

また、変身プロセスではベルト側は触らないと書きましたが、最終アイテムであるブーストマークIXでの変身だと、ベルトも触るのがさらに気が利いています。
ここでベルトを触らせる(リボルブオンさせる)ことで、これまでと異なる操作体験を与えるのか! と。
(リボルブオンはそれまで変身"後"の操作でした)

どちゃくそ頭良いですよ、デザイアドライバー並びにレイズバックル。
技術的には目覚ましい何かがあるわけでもないのが面白い。
発想力の勝利。

■玩具感想II.サウンドIDコア

デザイアドライバーが優秀だからこそ、細かい点が気になる商品。
デザイアドライバーから飛び出す関係で、一部のレイズバックルと組み合わせられないのはやっぱり良くないよ。

ってのと、デザイアドライバーへの装填時に、ボイスが暴発しがちなのはどうなのかなあって。ちょっと遊びづらい。

近年ではメモリアルアイテムは出て当たり前なので、一般販売製品の時点でメモリアル時のことを考えずにデバインするとは思えないんですよね。
と思っていたら、『ギーツ』のメモリアルアイテムはレイズバックルになりました。

ってことは、サウンドIDコアは割と急遽決まった商品なのかなと思います。まあ、元々出す予定だったなら、デザイアドライバーと普通の(?)IDコアの時点でサイズ調整しますよね。

レイズバックル仕様だと本編再現できないフォームもあるので、もう少しサウンドIDコアにも頑張って欲しかったなって。
ブーストマークIXでの「変身」音声とか。

■玩具感想III.レーザーレイズライザー

デザイアドライバーが面白過ぎるので印象が弱い商品。
と言うか、『ギーツ』玩具はデザイアドライバーと競う時点でハンデを背負っています。まるでショットライザーみたい。

所謂中盤2号ライダー枠の玩具で、4人のライダーに変身できる時点で十分っちゃあ十分なんですけど。変身音声/必殺技音声に加え、サポート音声もありますし。
ブーストマークIIが必要とは言え、デザイアドライバーとの組合せ遊びもできます。
要するに贅沢言ってるだけです。

ドライバーがただのプラの塊なのもネックなんですが、そこにギミック追加すると、それはそれでえげつない商品展開ですよね。
ジーンのごっこ遊びさえできれば良い、って言い訳が利かなくなりますから。

■玩具感想IV.ヴィジョンドライバー/ジリオンドライバー

買ってない商品です。買えば良かったです。

買わなかった理由は、デモンズドライバー/デストリームドライバーの前例があったからです。

つまり、「ヴィジョンドライバーの拡張版がどうせ出るんでしょ」と思ってしまったわけですね。
実際に出たのは廉価版だったわけですが……しかし、ジリオンドライバーの仕様で廉価版ってのもすごい話です。

時流を読めなかった私が悪いのは重々承知の上で言わせてください。
デモンズドライバー/デストリームドライバーの商品展開路線、やっぱり良くなかったよ。みんながみんな、出る商品手当り次第に買えると思わないでほしい。

■終わりに

■隙自語

いかがでしたか?

最後にマイナスな感想を書いてしまいましたが、基本的に『ギーツ』は本編/玩具共に楽しめた作品でした。

隙自語ですが、今年(?)はプライベートが忙しくて、『ギーツ』は放映当初からは見ていないんですよね。
ジャマグラ辺りからプライムビデオで追いかけました。

ジャマグラ辺りから追いかけたのも、周りが面白い(五十鈴大智が)面白いと騒いでいたからなので、それがなければ見ないまま一年が終わっていたかもしれません。そのまま『仮面ライダー』シリーズを見なくなっていた可能性もあります。
実際、まだ『ガッチャード』見始めていないので。
多分『仮面ライダー』を見始めるのが怖くなってるんでしょうね。十中八九『リバイス』の影響。

そんな恐怖感を払拭してくれた『ギーツ』には感謝しております。
救ってくれてありがとう。『仮面ライダー』シリーズを面白いと思わせてくれてありがとう。

しかし、『仮面ライダー』シリーズを見続けたいと思えるのは救いなのかしら? 幸せになれているのかしら?

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