幼少期(小学生の頃まで)の私
幼少期の自分は「かまってちゃん」でした。
2歳上の兄がいて、初孫で長男ということもあってか
兄は父方の祖父母から良くしてもらっていたのを、何となく覚えている。
そして、何をするにも比較されていた。
例えば、勉強。
難しい問題もすいすい解けてしまう、テストの点数も常に高得点。
だから進学系の塾にも通ってたし、そこでも上位を走っていた。
兄が出来るのだから、という理由で同じ塾に通い、
進学系の勉強に全くついて行けず、通うのも日々億劫で勉強が嫌いになりそうだった。
運動もそうだ。
身体を動かすことは好きだけど、兄の様になんでも出来るわけじゃない。足が速くて、サッカーも出来て、誰からも頼られていて。
ピアノでもそう。
兄はピアノが弾けて、小学生の時も皆の前で演奏を披露できるほどだった。自分もピアノ弾けるようになりたかったけど、譜面読みで挫折してしまった。
常に比較されていて、「ダメな妹」といわれてた。
祖父母の中では、"いないもの"として扱われていた。
だから構ってほしくて、誰かに心配してほしいがあまり、今振り返るととても不思議な行動をしていたと思う。
・小学校2年生の時、活字が好きなはずなのに、友達が先生に教わりながら書いているのを見て、一度すべて書いた解答を消しゴムで全て消して、テストを提出。不思議に思った先生が、「どうして正解が分かっているのに、消してしまったのか」と問いかける。
・近くに住んでいた外国籍の子供(親からは関わるなといわれていた)と遊んでいた
・兄と一緒にピアノを習い始めるも、何でも出来る兄はメキメキと上達し、先生や親からも比較され、ムキになってバイオリンに手を出す。
・いつも満点を取る兄が褒められ、いつも赤点を取る自分が怒られる構図が当たり前化していた。
(勉強嫌いはこの頃から始まっている)
などなど。記憶をさかのぼれば遡るほど、きりがない。
といった具合に、幼少期の自分は「人に心配をかけ、人に構ってほしくて(相手にしてほしくて)いい子ぶる子供」だったように思える。
でも、ある日を境に、世界が一変した。
「かまってちゃん」は「物事を俯瞰してみるような人」に様変わりしてしまった。
その出来事によって、
その当時抱いていた夢も、希望も、全て打ち砕かれてしまったのだから。
神様なんていない、この時そう強く思った。
そしてそれは今も尚、変わらない。
2006年3月6日
小学校卒業式 10日前の朝
目を覚まし、ベッドから起き上がろうとすると、足が動かなくなっていた。
うつぶせ寝で、足を曲げて寝ていたから、正座した時のように足が動かなくなっただけだと思った。
ベッドから立ち上がろうとすると、その場に崩れ落ちた。
訳が分からず、ほふく前進で床を這い、リビングにいるであろう母親に、声を上げた。
「なんかわかんないけど、足が動かない」
この日を境に、
生涯において、大切なモノを喪ってしまったことに
この時の私は、気づいてはいなかった。