都市伝説を紐解きたければ娯楽を見ろ。〜FF14編その4〜

【注意】
繰り返し言いますが、私は私の書く記事によって誰かを誹謗中傷したり傷つけたり馬鹿にするつもりはありません。
私の書いた記事は私の独り言のようなものであって、何らかの損害が生じても私は一切の責任を負いません。
また、都市伝説や陰謀論が嫌いな方は読まないでください。「陰謀論をやめろ云々」といった苦情は一切受け付けません。

サボりにサボってもうどれくらい経ったのかしら。
みなさんご機嫌よう、私です。生きてるよ!!!!!
さて、今回も「都市伝説を紐解きたければ娯楽を見ろ。」シリーズですが、リクエストがありましたのでFF14をまだ擦っていこうと思います。

今回は「新生エオルゼア〜蒼天のイシュガルド」あたりをやろうと思うんだけど、今回も第一弾〜第三弾と同じくめちゃくちゃ内容を絞って書くので、細かいストーリーとかないけどごめん。


みなさんが思ってること当てましょうか?

「早よ『暁月のフィナーレ』書けや」


わかってるって!わかってんのよ!!次は暁月書くからさ!!!!!


■すべてを形作る存在、クリスタル

Final Fantasyはシリーズ全作を通して「クリスタル」という物質が非常に重要とされている。
今作FF14でもクリスタルは重要な役割を果たし、このクリスタルは「万物を形作るもの」であり、人々の魂の欠片であるエーテルが結晶化したものである。
エーテルは星の生命の源であり、このFF14の世界・惑星ハイデリンのエネルギー源である。

私達の現実世界でも、「クリスタル」すなわち水晶には特別な力があるとされ、パワーストーンの一種としても有名だ。
水晶を含めたパワーストーン(便宜上そう呼ぶことにする)や宝石には、「人の思いが宿る」とよく言われ、人の思いや感情をその中に吸収してしまうので、身につける際は浄化が必要だとされる。
浄化しないとその石に触れた者(採掘者から配送業者に至るまで、その石を扱う人すべて)のネガティブな感情までも引き継いでしまうので、一度初期化しないといけないと言われている。
初期のフリーメイソンが石工たちで構成された組織だったように、おそらく石には何か特別な力があるのだろう。

FF10では「スフィア」という記録媒体が登場する。その主成分は水だが、水も人の記憶を記録することができるのではないか、みたいな話はオカルト界隈ではよく聞くので、水も人の記憶を記録できるのかもしれない。

私達一般人はただその記録の引き出し方を知らないだけで、石を記録媒体として使う技術が古代に存在していたとしてもおかしくはないと個人的には思う。
古代のオーパーツとして有名なクリスタルスカルなんかも記録媒体ではないか?という説がある。
そういえば日立が石英ガラスを使った記録媒体の開発とかやってたな。
Inspire the Next!!!!!!!!!!


■エーテル

さて、先述のクリスタルの話で出てきた「エーテル」。
これも現実世界のスピリチュアル界隈でよく聞く話と同じで、「生物が死亡すると、その魂を構成していた『エーテル』は『エーテル界』に還る」という世界観がFF14には存在する。

スピリチュアルや都市伝説の界隈では私達の魂は「エーテル体」と呼ばれ、その魂ことエーテル体はそのままでは三次元世界で存在できないというか視認できないため、その入れ物となる「器」、すなわち肉体が必要であるとされる。
言い換えれば、肉体はただの器にすぎず、この器には使用期限(=寿命)があるので地球上のあらゆる生物は死ぬが、魂(=エーテル体)は永遠の存在であるということだ。
新世紀エヴァンゲリオンなどでもこのような「肉体と魂は別」といった世界観が存在する。併せて見てみてもよいだろう。

また、物理学の「光の波動説」においてエーテルは光が波動として伝搬するために必要な物質として宇宙に満ちていると仮定されている。
特殊相対性理論などの登場で、現在では古い説とされているが、果たしてそうだろうか。

FF14の世界では「生命が激しく命を散らしたとき、その一部が「物質界(=この世)」に残留し、結晶化して残る場合がある」とされ、それがクリスタルとなる。クリスタルとなったエーテルは惑星ハイデリンのエネルギー源となり、世界に循環するのだ。
人の命や思いが、この惑星ハイデリンの貴重なエネルギーとなり、その生命を繋いでいる。

惑星ハイデリンと同じく、地球もよく「地球という惑星にはちゃんと意思があって、ひとつの生命体として活動している」と言われる。
私達人間なんぞは、地球からすれば害虫に等しいのかもしれない。
そんな小さな存在の私達が、私利私欲でこの星の生命を奪うことなどあってはならないのだ。


■竜族との千年戦争

「蒼天のイシュガルド」において、山の都・イシュガルドは、ドラゴンたちとの千年に渡る戦争(竜詩戦争)を未だに続けている。
現実世界の私達と同じく、不毛な馬鹿馬鹿しい争いを1000年もやっているのだ。

かつて、相容れない関係であった竜族のドラゴンと人間の娘が恋に落ちた。ロミオとジュリエットよろしく敵対する関係であった両者の種族を超えて愛し合う二人の姿に「こういうのもいいかもな〜」なんて思った両種族は、ついに融和の時代を迎える。
ところが200年の時を経て、竜族の持つ強大な力に目がくらんだ人間たちはドラゴンたちを裏切り、その目に宿る力を我がものとしようとした。

人間の裏切りにブチギレたドラゴンたち(当たり前)は、敢えてイシュガルドを壊滅させることはせず、民が全滅しない程度に襲い続け、永遠にイシュガルドを苦しめ続けるという死ぬほど執念深い復讐を始める。
それがこの竜詩戦争こと千年戦争である。

このどう考えても人間が1兆パーセント悪い千年戦争だが、このイシュガルドという国では全く真逆の話が信じられていた。

はるか昔、我らの祖先は神の天啓を受けた「トールダン」という男に率いられ、 約束の地を目指し、故郷を発った。
旅の途中、彼らは深く険しい谷に突き当たり、トールダンはこれを越えるために橋を架けようとしたのだが、 「ニーズヘッグ」という名の邪竜が襲ってきた。
トールダンは谷へ突き落とされ命を落としたが、彼の息子がニーズヘッグと果敢に戦い、ニーズヘッグの眼球をくり抜いてついに勝利した。

というこの嘘しかない話をイシュガルドのお偉方は国民たちに聞かせ、さらにその話をもとにして「イシュガルド正教」というカルト宗教を作った。これにより宗教国家・イシュガルドが爆誕したわけだが、これ、どっかで聞いた話だと思いませんか。

そう、今の現代社会そのもの。
「支配者が自分たちにとって都合の良いように話を作り替え、真実を見えないようにしている」わけだ。
宗教も歴史も、都合よく書き換えられている。

人々が「神」として崇めるものは、本当に「神」なのか?
人々が「悪魔」として蔑むものは、本当に「悪魔」なのか?

例えば陰謀論や都市伝説でよく語られる、人間を作ったとされる「アヌンナキ」の話なら、超科学文明を作ったエンキと超自然文明を主軸としたエンリルの兄弟は、なんとなく蛇っぽいエンキは悪で、エンリルは善っぽいような言われ方をする。
が、人間という生き物に知恵を与えたのはキリスト教の「蛇」、つまりエンキであって、「神」ことエンリルは知恵を得た人間をあの手この手で滅ぼそうとする(俗に言うノアの大洪水など)。
人間から見れば知恵をくれたエンキの方が神っぽいが、兄弟喧嘩に勝利した結果エンリルが神として扱われるに至ったのだろう。

ではエンキ(悪魔)こそが本当は「神」であって、エンリル(神)が本当は「悪魔」なのか、というとそうとも言えない。
確かにブチギレたエンリルは人間を絶滅させようとするが、それは「人間のように精神が未熟な生物が知恵なんぞ持ったらクソみたいな事態になる」とわかっていたから、それを阻止しようとしたのかもしれない。
事実現在の世界はクソとしか言いようのない事態に陥り、このままでは地球まるごとサヨウナラになりかねない。
もしかするとエンリルは「地球丸ごと終わったら再生のしようもないんだから、今の人間は滅ぼしてバージョンアップした人間=知恵を持ってもOKな人間を作りたいんだが」ということだったのかもしれない。

エンキが抵抗したことで現在の人類は命拾いしたわけだが、残念ながら精神のバージョンアップには程遠く、そんな人間のせいで地球はゴミみたいな世界になりかけている。
エンリルがなんやかんやでエンキの願いを受け入れて人間を生かしておいたのは、「精神がバージョンアップできるかどうか」を観察するためだったのかも。
だからこの世には”悪魔”が存在する。要は「人間がまともな精神を構築できるかどうか」を試すためにあれこれ誘惑をしかける悪魔を野放しにしているのかも。

余談だが、新約聖書のマタイによる福音書には以下のような記述がある。

更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、 「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。

新約聖書 マタイによる福音書

つまり、悪魔は「自分にひれ伏せば(誘惑に負けて人間として終わってるようなことをすれば)、何でも欲しい物を与える権利」を神から与えられていることになる。
「欲しい物を得るために高潔な精神を捨てるか、それとも人間として成長するために私利私欲を捨てるか」を試す力を、悪魔は神から与えられている。
なぜ「神から与えられている」と言えるかというと、そうでないと「神がすべての権限を持っている」という部分が矛盾するから。
というわけで神はわざと悪魔を野放しにしていることになる。

ただ、新約聖書はかなり都合よく書き換えられている感が強いので、あくまでもそういう考えもあるよ、という程度にとどめておいてほしい。

また、ドラゴンというと都市伝説ではお馴染みのドラゴニアンや、龍神信仰というものとの関連もあると思われるが、この話はもの凄く長くなるので、今回はやめておく。
私達の世界ではドラゴンというとあらゆる作品でなんとなく悪役的なポジションにされがちだが、それも作為的に感じる。
この話はまた今度にしよう。


嘘をついて人を騙してまで力を欲しがるようなイシュガルド教皇のような奴もいれば、イゼルのように自身の正義がただの自己満足だと気付き、自身の考えに反省しながら争いの終結に身を捧げる者もいる。
アルフィノのように、自分が如何に傲慢で稚拙だったかを恥じ、考えを改める者もいれば、ガイウスのように欲望のままに突っ走る奴もいる。


どう生きるか、何を信じるか。
この「人生」というゲームを、あなたはどうプレイするか。
何度も書き続けているように、この「人生」というゲームは配られたカードで勝負するしかない。
けれども、そのカードをどう使うかを決める権利はあなたにある。
あなたはNPCではない。
あなたは、冒険者だ。

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スピナッチ好き子
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