高校演劇と社会人劇団
初note。
せっかくだから、高校3年間の青春を注ぎ込んだ高校演劇について綴ろうかと思う。
よく意外に思われるのは、「演劇にも大会がある」ということ。確かに高校サッカーや高校野球は某TVで生中継されたり、応援に吹奏楽部やチア部が行ったりと、高校生の青春の代表格であると考える人が多いだろう。
が、高校演劇も同じだ。
サッカーや野球が「演劇」に変わっただけで同じ青春の貴重な時間をつぎ込んでいるのだ。
スポーツと同じように演劇にも地区大会→県→関東(東北や九州など様々)→全国大会と続き、全国で最優秀賞を勝ち取った高校は青春舞台という番組で放送される。
私も1年生の時に、関東大会まで勝ち進み、偵察隊として全国大会へ赴き、新聞に体験記も掲載されたことがある。
「勝ち進み」という表現をしているが、演劇も一種の戦いでもある。
が、この考えは好ましくない。
他のスポーツでは、同じ人数同じルールで競技を行い、メンバーの技量・力量で勝敗を争う。
しかし、演劇というものは各学校がやりたい台本で上演をするため、結局は役者の技量よりも審査員の好みで勝敗を決めているのではないだろうか。
フェアな勝負をさせるのであれば、同じ台本でどこまで表現できますか?としなければならない。
が、そんな強制されたものを演劇と呼べるのであろうか。無垢な高校生が自由に己を表現できる場所が舞台で演劇のあるべき姿だろう。
一方、社会人劇団というものは、「演劇をやりたい者」の集団であり、後輩の育成や次の大会の心配、他校(他団体)と比べられる心配等の邪念がなく、伸び伸びとできる場所であった。
ストレスが溜まるものではなく、むしろ大人との交流と新しい視点からの刺激から非常に成長できる場かと。
本来、自分が高校生の時に感じたかった「演劇をする楽しさ」を感じられたと熟思う。
多忙な高校生にこの「演劇をする楽しさ」を伝えるのはどうしたらいいのだろうか。
まず、視野を広げるために、外部の劇団に参加して欲しい。刺激を貰うために社会人劇団を観劇して欲しい。
勝ち負けに囚われやすい当時高校生だった私に、こう訴えかけたいものだ。演劇は勝負ではない、自由の場だと。自分たちの演劇を否定する大人はバカだと。
こんな己の価値観を謳う駄文であるが、
演劇にストレスを感じている高校生たちに届くといいな。