蟻酸 第1話
樹々の騒めきが聴こえる。大地の振動を感じる。騒めきと振動はいつしか重なりあって。
触角がビクビク震えている。
「大軍でやってきやがった」
「お前はいつも大袈裟なんだよ。それで何匹位だった?」
「一億?くらい?」
「ばか。50位か?」
「百歩譲って300」
「まあいいや。どのみちお前の言葉だけを信用する訳にはいかないよ。見に行こう」
「写真とっときゃよかった」
この期に及んでまだ「しゃしん」などと訳のわからぬ事をぬかしやがる。触角がピンと上を向き威嚇の姿勢に入った。
「わかったわかった。行くよ行けばいいんだろ」
触角を通常の位置に戻して相棒を見据えた。ゾウムシ種とみんなから呼ばれているこいつは、長く突き出した口以外に取り柄がなく、その取柄のなさから誰とでも気さくに会話ができる事が取柄の雑魚で、名を「トクジ」といった。
かく言う自分も、数いるヘイケアリの中の雑魚の一匹で、普段はバーテンダー職に就いている。その他大勢の中の一匹と認識しているし、自分を取分け特別と思ってなどいないが、一点だけ他のみんなと明らかに異なるところがある。色だ。一般のヘイケアリの甲殻は赤みを帯びた黒に対して、自分はというと色素が欠落しているかのように白かった。まっしろ。だからみんなは自分をこう呼ぶ。シロ。ペットかなんかじゃないのだから、気に入ってなんかいない。
「おーいシロ。シロシロシロ。おいでー」
「噛み殺すよ?」
トクジはへらへらかしこまった。
「どうした?」
「あれを見てみなよ」
呼ばれて覗いた谷の中。何者かが進んだであろう獣道。昆虫の体液でベトベトになっている。トノサマバッタの半身が天を仰いでいる、涙を流しながら。羽をもがれたアゲハチョウが狂ったように笑い声を上げている。スプラッター映画にモザイク処理を施して年齢制限を設けた、にも拘わらずにクレームが入るような光景だった。
恐ろしさのあまりに失禁してしまった自分を恥じたが、トクジは自分を呼んだ時にとうに脱糞してびびっていたので良しとした。
これから起こるであろう色々な嫌なこと怖いことを乗り越えて生きていかなければいけないのか。嫌だな。