転売屋高橋020_クイズ王伊藤 Ⅲ
私はペットボトルの緑茶を飲んで、一息ついた。甘い飲料も好きだが、食後のお茶もまた良い。昔よりも無糖飲料が好ましく感じられるのは大人になったからなのかどうか。私はどうも「大人になる」という言葉が好きではない。非常に曖昧然としている。人は何かと理由をつけて子どもから大人への変化を語りたがるけれど、いかんせん結論を先取りした話のように感じられてならない。実際に歳をとっている以上、なんでもそこに結びつけることだけは可能なのだから。
「現代にクイズ王が溢れかえっているのは、最初に言った通り、教育の終着点がそこに定められているからだ。現代教育の金科玉条は何だと思う?」
「“継続は力なり”」
「残念。“傾向と対策”だ。入れ替わり立ち替わり単元を交代して節操なく表面だけ学ぶことを、継続とは呼ばないね」
「……学校、嫌いだった?」
「ああ、嫌いだった。僕は今でもあの12年間を返してほしいと思っているよ。この国じゃあ生まれたときから12年の禁錮刑がほぼ確定しているのさ」
たしかに高橋が青春を謳歌している様子は想像できない。まあ、そういうことでもないのだろうが。
「少なくとも、僕の学科じゃあ服役中の12年間で学んだと思わされていたことはほぼ役に立たなかったね。君の学科はどうだった?」
私は肯定とも否定ともつかない頷きを返した。数学は役に立っているとも言えるし、立っていないとも言える。高校までの履修範囲を実際に活用しているかという話ならほぼしていない。しかし、それらの履修がなければ発展系の理解に手こずったかもしれないーーとは言えるはずだ。
「はん。そりゃまあ、12年を無駄だったと切り捨てるのは虚しいもんさ。だから、無駄な経験はなかったなんて人は往々にして言いたがる。でもやっぱり無駄は無駄だよ。そもそも、あの『応用は基礎を体得したものしか触れてはならない』みたいな謎の暗黙ルールはいったい誰が定めたんだろうね。初めから最新研究に触れた方が良いに決まってる。基礎ってのはそこを目標に積み重ねるものなんだから。君は大学に入ったとき、大学で自分が具体的に何を学ぶかあらかじめ知っていたかい?」
「あー……」
「体系的理解を促さないからそうなる。単元を雑多に散りばめただけで、ゴールもスタートも曖昧。12年間もあるのに、ロードマップを作る力はこれっぽっちも身につかない。知識ってのは、目的に則したものを身につけてナンボだよ。たとえば、英語を学ぶのは海外の最新論文を読みたいから、外国籍の恋人が欲しいから、ゲームで知り合った友人とコミュニケーションを取りたいから。目的は手段に先立つ。そして目的に応じて必要な手段は変わるものだ。最新論文と口説き文句とスラング混じりの軽口じゃあ語彙からしてまったく違う。なんなら文法だって違ってくるだろう」
「でもほら、後から目的が見つかる場合もあるじゃない?」
「ああ、もちろんそういう言い訳は立つね。人間万事塞翁が馬だ。いずれの目的についても最低限、曜日とかあいさつくらいは知っておいた方が良い。でもそんな最低限のものに12年をかけるべきかって話だよ。目的さえ明確なら言語の習得なんて3年あれば事足りる。目的がなければ何年かけてもダメだね。国内で英語が必要になる状況がほとんど存在しないにもかかわらず、ご立派なお題目だけを理由にして教科に加えるからこういうことになる。そりゃ誰も使いこなせるようにはならないよ。使いこなせるようになった一部の人間は、偶然身近に英語があったか、動機があったかのどちらかだ。それ以外の人間にとって英語を学んだ時間は人生の損失だね。現代教育とはまさに人生の浪費だ。貴重な時間を無為に浪費させられた人間はぐっと小さくなる」
恨み節には熱がこもっている。いつにも増して具体的な怒りを振りまいているようだ。リヴァイアサン相間のときも高橋は教育について恨みがましく言及していた。しかし私は教育そのものよりも『禁錮刑』という表現にこそ、高橋の怒りが込められているように感じた。表情か、それとも声のトーンか、高橋は『禁錮刑』という言葉を発するときに常ならぬ様子を垣間見せた。しかし、気づけばいつものヘラヘラした調子に戻っている。私の視線に勘づいたのだろうか。
「で、時間の浪費をなんとか浪費にさせたくなくていじらしく努力しているのがクイズ王伊藤ってわけだ。教育で培った『目的なき基礎』をアイデンティティにしている。彼がクイズを通じて巨大な基礎工事を他人にひけらかすとき、素直で良心的な人々は『きっとこの上には見たこともない豪邸が立つのだろう』と想像する。ところがどっこい、基礎工事はいつまで経っても終わらない。よしんば経ったにしても基礎工事の規模からすれば非常にさもしいテンプレ建築のあばら屋なんだね。“見たこともない”豪邸なんて建てられるはずもないんだ。彼らは人類がすでに見たことのあるものを反芻する天才なんだから」
高橋は過去について語ることを好まない。どころか悟らせかねない言動にすら細心の注意を払っている。以前、経験論と合理論がどうのと言っていたから、安易に過去を現在と結びつけられるのがイヤなのだろう。しかし、それを差し引いてもなお高橋には他人に語りたくない過去があるような気がする。
「…………」
「何だい?」
率直な心情としては高橋の隠している何かを追求したい。あるいは高橋が人格の蒐集なんておかしな趣味に目覚めた理由がそこにあるのかもしれないし、たいした学識と研鑽を熱心にドブに捨てている動機もあるのかもしれない。
「いいや? キレイに誤魔化したなと思っただけ」
「何のことだろうねえ」
けれど、それを暴くことは高橋の“底”を見る行為だ。高橋を分析する側からされる側へ追い落とす行為だ。いずれ追求するにしても、今はまだ良いかなという気分もある。私はペットボトルをゴミ箱に放り捨て、図書館に向かった。高橋は席に残って何やら考え事に耽っている。
次回の更新予定は8月21日になります。
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