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国家公務員になれなかった話(後編)

こんにちは。
ずいぶん長いこと更新できていませんでしたが、そろそろ次の官庁訪問が始まってしまう季節なので、「国家公務員になれなかった話」の後編を書きます。前回の続きなのでまだの方はこちらからどうぞ↓

私の官庁訪問②:第2クール

第2クール初日:いざX省へ

いよいよ対面での官庁訪問。実は非関東民なのもあって、そもそも霞が関の中に入っていくこと自体が初めてでした。霞が関の建物は全体的に無機質ですね。なんとなく近寄りがたくて、本当にここで働けるのか?という雰囲気もありました。

朝8時半頃にX省に着くと、控室となっていた講堂に案内されました。
学生は全部で80人くらいいたと思います。まだこんなにいるのか、というのが第一印象でした。
知り合いはいませんでしたが、近くに座った人たちとは話をしました。みんな法律とか国際政治とかを専攻していて、私は毎回「社会学です~」と言うのが少し嫌になりました。あとみんな公務員予備校に行っていたようでした。予備校に行っていないと言うと驚かれることもありました。

9時台に、入口面談というやつがありました。
いつもの採用担当の方ではなく(採用担当が当たることもあるようです)、大したことは聞かれませんでしたが、Y省を併願している話をしたら「トップガンマーヴェリックは官庁訪問後に観てね、気が変わられたら困るから」と言われたことは今でも記憶に残っています。

10時台に呼び出され、人事面接に行きました。部屋が遠くて迷子になりかけ、部屋の前で待っていた職員の方に「大丈夫か」と聞かれてしまいました。
面接官は優しそうなおじさんでした。いわゆるガクチカ的なことなど普通のことを一通り聞かれた後で、「ウクライナ問題についてどう思うか」「日中関係を維持していくにはどうすべきだと思うか」というX省らしい質問が来ました(もはや省名隠す意味なし)。何と答えたかはっきりとは覚えていませんが、無難に答えようとはしました。

午後イチくらいで原課面談①がありました。広報系の部署の女性の方で、30分くらい話しました。私は地方都市の出身なのですが、ESを見て小中学校が同じだと言われ、なんだか感動しました。(地元の地名)の人が霞が関で働いているのかあ…!それを知れただけで東京に来た価値があった、かも。
ただ、自分が内定をもらえる気はあまりしていなかったので、一緒に働きたいという考えはありませんでした。

午後3時過ぎには原課面談②がありました。こちらも30分くらいだったと思います。国際政治系で博士まで取ったという方でしたが、いかんせん私には国際政治が分かりません。面白い話を引き出すには私は適任ではなかった…いや、原課面談ってインタビュー企画じゃなかったな。

その後は午後7時すぎまでひたすら待たされたかと思ったら、「省内のコンビニで夕食を買ってこい」。夜まで残されるモードです。何時に帰れるのだろう。

夕食を取らされ、ひたすら待たされ、午後9時すぎに次の呼び出しがかかりました。もう一度面接だと言われ、部屋に入ったら人事課長という方がいました。何を聞かれたか覚えていませんが、ちょっとアホな返答をしてしまい後悔したという記憶はうっすらあります。

いよいよ出口面談!と思ったら、私含め10人くらいは午後10時になっても11時になっても呼び出されない。11時過ぎに、ついに終電の時間を聞かれました。噂には聞いていたけれど、本当に終電帰りがあるなんて。

結局私が出口面談に呼び出されたのは、午後11時半頃でした。部屋に入ると採用担当の方がいて、「高く評価している」「ぜひ次も来てほしい」「人事課長と面談した意味を考えろ」という趣旨のことを言われました。望みがつながったことは嬉しかったですが、それ以上にものすごく疲れていました。

終電から3本目の電車(向かう駅によっては終電になります)に乗り、コンビニで朝ごはんを買ってホテルに戻ったら夜中の12時半でした。

…え、明日9時からY省行かないといけないの!?

第2クール2日目:いざY省へ

X省に行った翌日、朝7時前に起き、Y省へ向かいました。
行ってみてびっくり、15人ほどいたうちのなんと半分以上が昨日も会った皆様です。3~4人はX省終電組もいました。みんな来ただけでえらいよ。私もえらい。

入口面談で、「今日の体調は?」と聞かれ、「眠いです」と答えました。前日の夜11時頃に意思確認(「明日来るよね?」)の電話をX省で取ったので、Y省の方々もX省が終電帰しをしたことは知っています。まあそれにしても舐めた回答ですが。

しばらく待たされた後、昼前にほぼ全員呼び出され、GDをやらされました。Y省にGDがあるなんて知らなかったので、私含めみんな驚いていました。そして私含め多くの人が、「第3クールのX省の練習になるね!」と思っていました。

GDの内容はもう覚えていませんが、議題を渡されて意見(賛成/反対)を考えて議論する、というオーソドックスなものでした。
私はGDが苦手で民間就活含めあまり対策もしていなかったので、発言すらあまりできませんでした。
終わった後で「X省ではとりあえず発言しないと!」と強く思いました。

お弁当を買いに行き、食べ終わったら割とすぐ呼び出されました。
部屋に入ると入口面談のときのお兄さんがいて、全てを察しました。

そのままあっさり帰されました。
Y省の近くにホテルを取っていたので歩いて帰りましたが、いつになく早く梅雨が明けていたおかげで、そして14時には帰されてしまったおかげでやけに暑かったです。

正直Y省はここまでだろうと東京に入る前から思っていたし、第2志望だったし、GDがうまくいったとは1ミリも思えていなかったし、悲しさや悔しさはほとんどありませんでした。
気持ちを切り替えるまでもなく、X省の第3クールを頑張ろうと思えました。

第2クール3日目(訪問なし)

3日目は、第1クールから訪問していなかったのでお休みでした。
が、昼前にX省の採用担当の方から電話がかかってきて、「第3クールも頑張ってね」「GDあるけど緊張しすぎなければ大丈夫」「今年は第2クールでかなり人数を絞った」というようなことを言われました。
官庁訪問は裏評価というのが存在する世界で、言い回しから自分の評価がどれくらいかなんとなく知ることができるという話があります。今回の私の評価が実際にどれくらいだったかは(評価と言い回しの対応とか調べてないので)分かりませんが、私個人の感触としては、これは全然悪くないなと思いました。まだ選考が続くから気は抜けないけれど、やらかさなければ内々定は近いと感じていました。……え、フラグだって?

私の官庁訪問③:第3クール

第3クール初日:再びX省へ

そんなこんなで(?)再びX省へ。

第2クールでは80人くらいいたであろう学生が40人ほどになっていました。X省は第3クールのGDの比重が大きい、逆に言えばGDまでは行きやすいと聞いていたので、確かに例年よりも絞ったのかもしれないと思いました。とはいえ採用予定数は25~30。何割か落とす気じゃないか、と思ったのも事実です。

入口面談もなく、待機室でただ呼ばれるのを待ちます。周りの人と話すことはできるので話したりもしましたが、やっぱり関東のお友達同士(予備校や大学で仲間を見つけたらしいです)って感じの人たちが多くてアウェーでした。心なしか第2クールよりその層が目立ったような。

1時間ほど待機室で待っていたら呼ばれました。私含めて7人が別室に移され、説明を受けます。「1時間後くらいからGDの準備を始める」「それまでここから出るな」「目の前の封筒に触れるな」「携帯の電源を切れ」など言われた記憶があります。
思ったことは2つ。1つは、待ち時間長えよ。もう1つは、なんでディベート型GDで奇数なんだよ。
私に決定権はないので黙ります。

待ち時間に隣の席の人と話していたら、まさかの同じ大学の人でした。X省では遭遇していなかったので驚きました。でも法学部じゃん、社会学なんて専攻してる私よりは有利じゃないか、とも思いましたが。

1時間後に、議題とそれに関する資料が渡され、同時に自分の立場も言い渡されました。10分(か15分か20分)で意見を固めよ、とのことでした。

議題は確か、「とある場所(記憶が怪しいのと、勝手に書いていいものか分からないのとで濁しています。実際は具体的な地域名が出てきており、2022年6月時点ではタイムリーだなと思いました)に対して日本は独自に支援をすべきか」だったと思います。
私は反対の立場をもらいました。GDはなぜか7人だったのですが、反対側が3人だったので「これはちょっと不利だろ」と思いました。
与えられた資料から考えて、反対派は「G7で足並みを揃えた方がいい」というような考えになりました。
意見を固めたところで、面接官の待つ部屋へ移動します。

部屋に入ると、この間会った人事課長を含む3人のおじさんがいました。
賛成派と反対派に分かれて座り、20分の討論が始まりました。
進行役を決め、時間配分を決め、双方がいろいろ言い合い、あっという間に討論は終わりました。
私は2~3回発言をしましたが、多い方ではなかったと思います。ただ同じくらいの発言数の人は他にもいたし、進行役の子に振られて1回だけ発言したという子もいたので、極端に少なかったわけでもないです。

討論に関して後から少し引っかかったのは、途中で「日本はアメリカの言いなりになればいい」とも解釈できるような発言をしてしまったことです。極端な思想にみられるかな、でも賛成派の子も「確かに」って言ったしな… 今でもこの発言の評価は分かりません。

昼食後、原課面談に呼ばれました。
やはり何を話したかは記憶にないのですが、これまでの面談と比べて話が弾まなかった、手ごたえが薄かった、という感覚がありました。
それでも、ここまで比較的良い評価を得てきていたので、望みがなくなったわけではないだろう、と思っていました。

午後2時半くらいだったと思います。荷物をすべて持って行け、と呼び出されました。控室でもらったジュースをのんきに飲んでいましたが、嫌な予感がしたので一気に飲み干し、指示に従いました。

行くように言われた部屋の前で、職員の方に「出口面談です」と言われ、ああ私の官庁訪問は終わったんだと確信させられました。

一応部屋の中にいた職員の方にも、聞きたいことは聞いておきました。
「GDがだめだったんでしょうか」
「特にそういうわけではないです、ただもう少し場をリードするような発言があるとよかった、という評価になっています」

私が質問するよりも前に、「相対的に、あと一歩足りなかった」とも言われました。それが何の一歩かは聞きませんでした。

部屋を出て、ひとり帰路につきました。官庁訪問の終わりって、こんなに寂しいものなのか。
霞が関を出るまでは悲しいとか悔しいとかあまり思いませんでしたが、丸ノ内線に乗ったら悔しさが募ってきて、でもここで泣いてはいけないと涙をこらえ、ホテルに戻ったところで涙があふれました。

官庁訪問を振り返って

というわけで、私の官庁訪問は意外にあっさり終わってしまいました。
ちょっとだけ振り返りというか反省会をしておきます。

Y省は、まあ第2クールで志望度の低さがバレたんだろうと思います。それ以上でもそれ以下でもないです。

X省に関しては、1年近く経った今でも、本当はもう少し頑張っていれば内定がもらえたんじゃないか?と思うことがあります。最後の一歩が、自分の努力でどうにでもなる要素だったんだとしたら…?

でもそれ以上に、実は内定をもらえなくてよかったと思う自分もいます。
必死に目指していたように見えるのになんで?と思う人もいるかもしれませんが、答えは簡単です。

結局のところ、内定をもらったみんなと一緒に働いていくには自分は場違いだったからです。

地方の出身で、公立の学校に通い、関西の大学で、文学部で社会学を専攻し、公務員予備校に行く余裕もなかった。
多くの内定者とは、育ってきた環境がかなり違いました。

私は私のような人間も霞が関には必要だろうと思っていたけれど、私は想像以上にアウェーで、仮に内定をもらえていたとしても、場違い感や疎外感は拭えなかったと思います。
官庁訪問の時点からそういう感覚を感じてしまうのだから、簡単に変えられるものではないはずです。

とはいえ、これを読んでいる官僚志望の方々に、「私のような環境の人間は諦めろ」と言うつもりはありません。

私が第3クール、官庁訪問における実質的な最終面接にまで行くことができたということは、私よりもう少しポテンシャルの高い人ならば、内定をもらうことは決して不可能ではないはずです。
もっと言えばX省(Y省はあまり分かりませんが)でなければ現時点でもっと多様性があり、いろいろな環境の人に開かれているかもしれません。

これから霞が関を目指す人は、ぜひ後悔のないように対策を行い、良い結果を得てほしいです。
もしこの官庁訪問失敗体験記が参考になるようであれば幸いです。

ここまで読んでくださりありがとうございました。


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