陰謀論と暮らせば~プロローグは突然に~
唐突だが端的に言おう。
1週間前のことだ。同居の母が「陰謀論」に籠絡されているのを確認した。
もともと、素地はあった。でも、一線には踏みとどまっていたのに。
「〇〇ってジャーナリスト知ってる?」と聞き、グイグイと私におすすめしてきたとき、自分の耳を疑った。
なんで気付かなかったんだろう。先日、ゲンロンカフェで行われてたイベントも観ていたのに。
まさか、同じ屋根の下(引き戸でつながってる隣の部屋)で行われていたなんて、間抜けにもほどがある。
今思えば、予兆はあった。
もともと社会運動にまつわる界隈にいたのだが、今までとは明らかに情報源が違っているのを感じていた。
急に「ちゃんねるさくら」の情報とか「ゆーちゅーぶにおいだされたひとたちが、にこにこってところにしんしゅつしてるんだって」と言い出したのは、1カ月前だっけ?2カ月前だっただろうか? ともかくそれを聞いたとき〈あー、Xの再登録なんて手伝うんじゃなかった〉と小さな後悔をしたのだが、事態は深刻だったらしい。
ちなみに、数年前に興味があると言うので開設したときは、母はすぐに飽きてしまっていた。ところが数ヶ月前に突然「やりたい」と言い出したのだった。
昨年、母は心筋梗塞で倒れており、退院後は社会運動の集まりも完全に引退し、以前にも増して外界との交わりを断っている。もともと私に輪をかけて引きこもりがちで気になっていた。何せCOVID-19が流行ってから、一度も外食をしていないほどだ。一事が万事そんな調子で、なんでもいいから外に興味があるのは良いことだと思った。しかし、これが失敗だった。
もちろん、私に真実だと見えているものが誰にとっても真実であるとは限らない。
心の中、宗教のみならず信条も自由であるべきだ。たとえば私がお金を払うもののうち8割は、母親にとっては私には無用なものである。
母の言動に癇に障るところがあるのは、今に始まったことではない。10代・20代の頃なんて、毎日家に帰りたくなかった。どれだけ言い争いをしても永遠に平行線だと気づいてから、私はもう何も言わなくなった。家を離れるのに諦めた。それでも、COVID-19が始まる前は、たまにホテルで泊まって1人になる時間を作っていた。最近、また休日にドッと疲れることが増えてきたので対処法を探していたところではあったのだが。
まぁそもそも、自分には相当に下衆な部分もあって、今までもこれからも、全然ほめられた生き方をしていない。母に何かを言える立場にない。
ただ、ひとつだけ言わせてもらいたいのは「あなたはそれで良いのだろうか?」ということ。私のことなどどうでもいい。「晩節を汚す」とは、まさにこのことではないのか? 長い間、四半世紀以上も行ってきた社会運動も、主婦や母としてずっと続けてきたことも、あらゆる営みに、自分で泥を塗ることになってしまうのに。
………などと、年老いた本人を目の前にすると、なかなか言えるものではない。何よりより、気分を害して血圧を上げることは、誰が見ても高齢者であり、三途の川を渡りかけた人の寿命を縮ませるのは、火を見るよりも明らかで、とてつもなく気分が悪い。
というわけで、noteに書いてしまった。この問題については、今後も顛末を書いていくかもしれない。誰かの参考になればいいのだけれども。