目も開けていられないほど
自分を大切にね、と言った声を思い出すたび
人の目を気にせず誰になんと思われてもいいや
楽しんでしまおう!と思う。
いつかはしたいと思っていたことも、すぐにできることから片っ端からやっている。
忘れていた。自由ってなんて静かで愛しい。
肺にたっぷりと水を抱え、生きていたことがある。
薬が合わず、朦朧としながら
いっそ終わりにして欲しいと思った。
あれに比べたら何も怖くない。
間近で見た家族は
何を思い、あれからの数年を過ごしてきたんだろう。
私はあまりにも多くのことを見過ごしてきたんじゃないかと、眠れない夜は今でも思う。
時折訪れる発熱の前、居ても立っても居られないほどの焦燥に苛まれる。
体の軋み、だるさ、情けなさ。部屋を暗くし腕や手のひらに爪を立て過ぎるのを待つ。ガタガタ震えながら発熱を待つ。発熱すれば、苦痛は去る。そして眠りに落ちることができる。
心の苦しみは生きる気力を奪い、体力の回復までを入れると長期化する。比べて発熱は過ぎてしまうと、台風の後の空のようにスッキリする。いわば、デトックスのような。
愛読書に
喪失からの回復過程を示したものがある。何かを掴めば何かを失うのが、生きるということなのかと最近考える。そんな自分にとっては、参考になる本だ。
本を読み時には治療者用の情報源も使い、さまざまな情報を片っ端から吸収している。
それでも尽きない。
私は私を知りたい。
専門家の視点からも、病む人自身の体感からも。
知るほどに疑問は湧く。もっと深く自分や世界を知りたい。
今私を生かすのは好奇心かもしれない。
楽しんでも苦しんでも
一瞬一瞬は過ぎて行く。
それなら苦楽も共にいけばいい。
いつか、今の時間を思い返した時、
その日々が目を開けていられないほど
眩しいものであったら、嬉しい。
今私はとても穏やかな気持ちだ。雨もいいものだな。雨の音、顔に落ちる水滴、全てが愛おしい。