占いを4年間勉強してきて、わたしの観点で思うこと。
こんにちは、スピカと申します。
わたしはここ4年ほど占いを勉強したり、占い周りの活動をしています。
占い周りの活動は、この4年間で、
・講師を招致しての講座の主催
・その復習や実践としての勉強会の開催
・自分が講師になっての講座の開催
を順次行ってきました。
また、自身の鑑定活動も行っています。
そんな4年間を経て、
わたしが占いについて思うところを書いてみようと思いました。
まずは、noteを始めようと思った動機について、綴ってみようと思います。
人は占いに、何かひとこと言いたくなる?
人は占いという話題に触れると、
素人/玄人、占いが好き/嫌いかを問わず、
「占いって〇〇だよね」
「占いって〇〇なんでしょう?」
といったことを言いたくなるものなのだなと、よく感じるのです。
みなさんも、聞いたり、
ご自身が発言したりしたことがあるかも知れません。
「占いって統計学なんだよね」
「占いって霊感なくてもできるの?」
「占いって信じる?」
「占いって要はコールド・リーディングだよね」
などなど。
これが例えば「サッカー」であれば、
サッカーを好きでもない人が
「サッカーって」
と語るということはないのではないでしょうか。
例えばそれが、
料理、音楽、広告、金融、哲学、その他何であれ、
それを好き、もしくは詳しくなくても、
「●●って」
とひとこと言いたくなってしまうというものは、
占い以外にわたしは思い当たりません。
なぜか「占い」については、
素人/玄人、占いが好き/嫌いかを問わず、
人は何かひとこと、自分の観点から言いたくなってしまう。
これをまず興味深く思いました。
世界中のどこに行っても、占いは必要とされる?
また、世界のいろんな国に行ったことのあるらしい、
ある有名な占いの先生が言っていました。
「世界中のどこに行っても、売春と金貸しと占いがない国はない」
それが事実かはともかくとして、
「売春」「金貸し」と並んで、どの文化においても人間にとって必要とされるというお話は説得力があります。
「売春」「金貸し」と並ぶということは、人間の、どちらかというと健全ではない部分に関係しそうです。
健全とはいえないけど、でもとても人間らしいともいえる、
そんな括りの3つの仕事。
それらが世界中に見つけられるということは、あり得ることのように思えます。
占い師が提供したいものと、相談者が欲しいものにはギャップがある?
以前オーガナイズさせていただいた、複数の占い講師を招致したコラボセミナーでとても興味深い講義がありました。
占い師、占いのご相談者さまそれぞれにアンケート調査を実施したところ、
占い師が提供したいものと、ご相談者さまが占いに求めるものには、大きなギャップがあるということなのです。
ご相談者さまが求めているものは、「ズバリ当ててくれること」。
ところが、占い師が提供したいと思っていることは、大きくまとめれば「ご相談者さまのしあわせ」。
「当てる」ことよりも、気持ちが楽になったり、視野が広がったりと、悩めるご相談者さまの心の状態がよりよくなることをご提供したいと思っているようです。
わたしがこのnoteに書きたいこと
ここまで挙げた3つのことをまとめるとこうなります。
・人は占いに、何かひとこと言いたくなる
・世界中のどこに行っても、占いは必要とされる
・占い師が提供したいものと、相談者が欲しいものにはギャップがある
世界中のどこに行っても仕事として存在し、
また素人/玄人、占いが好き/嫌いかを問わず、
人は何かひとこと、自分の観点から言いたくなってしまう「占い」。
でもそれぞれが自分の観点で捉えている「占い」は、
もちろん必ずしも他者の観点から見えているものと一致しません。
それは実際に、占い師とご相談者さまの間のギャップにも見えており、
満足度に関わる事態になることもあるでしょう。
また、インターネットにより、知識の取得が容易になった現代は、独学でも学びやすいため、趣味や副業を含めて占いに携わる人は増えています。
そのためSNS時代の占い師・占い講師は、より自分の観点や個性を明確に発信する必要があります。
わたしは、著名な先生方が「占い関係者必携」と推薦する書物を全て読破しているわけではありませんが、
わたしなりに、4年間勉強してきて、わたしの観点から思うことが蓄積されてきました。
ここでは、「占い」というものに関して、
わたしの観点からの見解を綴ってみたいと思います。
これからどうぞよろしくお願い致します。
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