わたしと「生命の樹」①
noteを再開してみようかと思い、
半分トライアルの気分でキーボードを打ち始めました。
前回の記事を見ると2年と少し前。
書きたいことがあって始めたのだけど、気分を含めたいろいろな要素で続かなかった。
でも、始めたときの気持ちは覚えています。
書きたいことがあったのです。
書きたいことというか、発信したいことというか。
より正確に書くと、
内面のまとまらないもやもやに対し、
整理&発信を同時に行おうとした感じ。
そのときの気持ちをよく覚えているのは、
いまだに変わらないものがわたしの中心軸としてあり、
かつ、わたしの中での整理が進んだからです。
つまりその整理欲求は、ここ2年間、
ずっとわたしの中にあったということです。
そして整理が進んだことで、
この段階の考えを改めて発信してみたい気持ちになりました。
人生ではふとしたきっかけで出会い、その後どっぷりと深い関係になるものがときどき訪れますよね。
タイトルにある「生命の樹」。
2016年にカルチャースクールで受講した、その2時間の講座のテーマは、
いまに至るまで、わたしは思い掛けない活動へと導いてくれましたし、
今後の活動の未来像を描く際の、軸でもあり続けています。
「生命の樹」。
ある人にはエヴァンゲリオンでお馴染みかも知れないし、
(ちなみにわたしはエヴァをかなり初期で挫折しているので、実際には見ていないのですが)、
ある人にはスピリチュアルな教え、
ある人には宗教に関係するもの、
ある人には権威ある肩書を持つ人から学んでこそ意味のあるもの、
ある人にはよくわからないけど難解そうだからこそむしろ魅力的にも感じられるもの、
またある人にはタロットに関係する講座や本で聞いたことのあることばかも知れません。
実際に、歴史を辿れば宗教に関係しますし、
スピリチュアルな教えという面は大いにあります。
ただ、わたしの生命の樹に対するスタンスは、
上記のどれも少しずつ含みつつ、
はじめて2時間のエントリー講座を受講したときから一貫して
「めちゃめちゃ使えるもの」「とてもよくできてる、面白いもの」
といった捉え方です。
この「使える」がどういったことに当たってなのか、
「よくできてる」がどういった観点からの評価なのかは追って解説させていていただくとして、
「神秘性」「壮大さ」「難解さ」とは逆の、
「身近さ」「使い勝手のよさ」「わかりやすさ」といった点に
フォーカスしていることは、何となくでも感じていただけるかと思います。
また、このノートの肩書にも「日常」「人生」と入れておりますが、
この2つは、若干の洗練されてなさを気にしながらも、
わたしの生命の樹の活動において、必ず並べて入れている単語です。
それは、「生命の樹」は英語でいうと「Tree of Life」で表されますが、
その内の「Life」を2つの面からそれぞれ表現したことばになります。
「Tree of Life」なので和訳は「いのちの木」などでもよいわけですが、
大抵の訳語では「Tree」を「樹」とし、「生命の樹」と訳されています。
ここにも、神秘性にときめく多くの方が持つ感性が感じられます。
つまり、わたしの生命の樹の捉え方・また発信の仕方というのは、
おそらくマイナーなのだと思うのです。
わたしが生命の樹を学んだ講師の方は、占い界の超大御所のひとりで、
たくさんの方がその講座を受講されているわけですが、
わたしと同じようなセンスで同じようなポイントを面白がり、
同じようなトーンで発信している方は
ほとんど、見掛けたことがないのです。
これは「生命の樹」というトピック単体ではなく、
このnoteの発端である「占い」に関する見方とも関連し、
「同じ感性の人って、こんなにいないものかな??」
と感じてきたのですね。
2年前のこのnoteのはじまりは、「生命の樹」ではなく「占い」についてのわたしの考え方を綴ろうとしていますが、
その裏にはわたしの関心の軸として「生命の樹」がありました。
でも2年前は、どう綴れば「わたしはこう感じ、こう考えています」がうまく伝わるのか、考えあぐねたまま停滞してしまいました。
2年経ち、より「わたし」の輪郭がはっきりしてきたところで、
もう一度「わたしと生命の樹」について綴ってみようと思います。
今日ふと思いついて、浮かぶままに綴った、推敲なしの文章ですみません。
ここまで読んでくださった方ありがとうございます。
続きがまた2年後になりませんよう。祈
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