久しぶりに都会へ行ったらしんどかった話&資本主義の亡霊
精神障害者と都会というのは実は相性が悪いのではないかと思う
否、そもそも精神障害者と相性の良い街なんてないのだが、特に東京のやうな都会とは相性が悪いのではないかと思うのだ
都会では人目が多い
糖質患者はこれにやられる
実際、私も東京に住んでいた時はこれにやられたものだ
そして、次に挙げられる理由として、人が多すぎるというのがある
人が多いと、誰かを呼ぶような叫び声やふざけ合う学生の叫び声がよく聞こえる
精神障害者はそれに、とても、耐えられないのだ
大声一つにびくついていると街をまともに一歩も歩くことはできない
それくらい、叫び声に、人に満ちているのだ
そして、次に相性の悪い理由としては情報が多いことが挙げられる
駅前なんかはこれでもかと広告がチカチカと光っている
電車の中にすら満ちているほどだ
しかし、精神障害者にとっては、その広告の中にすらトラウマのフラッシュバックの要素を見出すことができるのだ
これが、問題である
実際私は渋谷や新宿などはろくに歩けない
あんな情報と人と叫び声に満ちた街、気が狂いそうになる
しかし、人が多いということは今の時代、カメラもそれだけあるということで、ここで発狂してしまえば即SNSに上げられてネタにされてしまうのがオチだ
だから私は、必死に、この発狂しそうになるのを抑え込んでいるのだ
私が初めて東京に住んだ時はこれほど、あらゆるものの密度の高さに圧迫されることはなかった
その理由というのも、学部1,2年の頃は下北沢に住んでおり、殆ど下北沢と東大を往復する日々であったから、東大の都会の真ん中にありながらも伸び伸びとした自然豊かな土壌が私を癒してくれたのかもしれない
それでも、うつ病を発症することにはなるのだが
また、田舎の方がいいからといって今の、田舎の研究所付近に住み始めてから精神が落ち着いたかというと全くそんなことはなく、むしろ、客観的にみると糖質も、躁鬱も、かなり悪化している
これは、純粋に研究が忙しいこと、学部時代の友人と離れ離れになった点など、理由はいくらでもあげられるが、本質的には理由の同定など無駄だろう
私の、この受け入れ難い現実に対する処世術として生み出したのは自分の世界を作りそこに逃げ込むことであった
誰もが退屈な小学生の授業中に悪者が乱入してきてそれを成敗する妄想をしたことがあるように、自分の世界を作り上げそこに逃げるというのは実は殆どの人が行い得る行為なのだ
私の場合、まず大学一年の頃に夢小説を描き始めた
田舎から上京して都会での一人暮らしというものに精神的不安定になり鬱病を罹患した私は独自の世界を組み上げる材料として夢を選んだ
私が昔から夢をよく見ており、また、その見る夢も非常に鮮明で五感すら感じるものだったことから、容易に文章にできた
また、浪人中にブログを頻繁に更新していたのもあり、文章を書く力というのは人並みに備わっていたのも幸いした
そして、大学院に入り、躁鬱に苦しまされるようになり、今度は救いを求めに、一から小説を作ったりもした
ただ、これは想像以上に苦手なようで、その殆どが凄惨なものとなる上、描写も妙に心理描写に偏っていたりしており、ともかく一般ウケするものは作れなかった
それから、今ではこのような覚書をよく書く
これは意見を羅列するだけ、という点ではSNSの投稿や掲示板への書き込みと言った、所謂チラシの裏、便所の落書きに匹敵するものだと思うのだが、それでもなかなかこれがハマった
今でもたまに小説を書くこともあるが、このような極論を述べる覚書もまた、独自のフィルターをを持っているため、殆ど独自の世界を作ることと同一であり、楽しいのだ
覚書の良いところは好きなタイミングで描き始め、すきなタイミングでやめられ、好きなタイミングで始められる点、とにかく自由で物語の一貫性みたいなものは案外必要ないところだ
少なくとも私の書く文書は時に意図的に、時に無意識に、一貫性を失っているがそれはそれで良いと勝手に思っている
フィクションというのは、実は意外と難しい
0を1にする作業というのはセンスや価値観、世界観というものが露骨に現れる
しかし、1を10にする作業は半分、機械的に行える
覚書というのは1を10にする作業だと思っている、いや、むしろ10を1にする作業と言っても良いかもしれない、さらに言えばそれをさらにαやξなんかにしてしまうのだ
イメージとして、覚書を書くという行為は、世界に対して狭帯域フィルターを通して、さらにそこに落書きをして、意図的に事実の一部分のみを強調し、改竄する作業と言って良い
そのため、私は殆どこれが得意なのだ
自分の"無い"独創性を事実で補いながら、"在る"発展性を妄想で塗り潰すのだから
そして、それによって世界を再解釈し、自分に都合の良いものとして咀嚼できるのだから、こんなに精神障害者と相性の良い作業もないだろう
兎も角、このようにして私は世界と付き合ってきたのだ
それでも、私はこの世界をあまり好まない
自分の好きなように拡張、改変、改良を加えたものですら、嫌いである
これは世界それ自体のせいというより、その世界を認識するフィルターである自分の脳がぶっ壊れているから、というのが正直なところである
自覚はある
私自身、躁鬱や糖質諸々の症状を経て、この世界を歪んでしか認識できないということを
だから、もし仮に全てが都合の良い世界が出来上がったとしても、私は発狂するのだろう
例えば、今度は生きるやりがいに欠けるとか、戦い甲斐のない、とか適当なことを言って、それはそれで病むのだろう
いやむしろ、満たされることはないのだろう
金銭的、人脈的、空間的、物質的に満たされても、精神的な満はやってこないのだ
どんなにら客観的に全てを持っていると思われる状況下においても尚、私は歪んだフィルターと処理装置を持っている以上、良い結論が導き出されることはない
金、金、金
金とは一体なんだろう
資本主義の産んだ悪魔の一つだろうか
人々の生活の不平等性を産み出す悪魔か、それとも既にある不平等性をただ、可視化するための道具なのか
わからない
金で買えないものなどない
医療でさえ、金があればより良いものを受けられる
愛でさえ、金があれば買える、とは断言できないかもしれないが、金がなければ買えない事例は少なからずある
私は何よりもこの金の魅力の虜にされ、そして、何よりも欲し、誰よりも得るための努力をし、誰よりも失ったのだ
私はこの金に苦しめられた経験からはじまる
地方公務員のくせに子供を大量に産んだせいで、うちは常に"金欠"であったし、祖父母が非常に貧しかったのもあり、ともかく"金欠"、それ即ち"金が誰よりも欲しいのに金が誰よりもないということ"が遺伝子レベルで刻まれているのだ
血統書にも確かにそのように書いてあった
そして、まだ若く、就職もしてない大学生は色んなことを暗中模索する
例えば投資、ギャンブル、ギャンブル、ギャンブル…
そうだ、ギャンブル、である
何よりも金を愛し、誰よりも金がない人間が行き着く先というのは決まっている
ギャンブル中毒患者、である
そんなの倫理の教科書の1ページ目にも書いてあることだ
しかし、私は懲りずに何度も自分の年収の何百、何千という額を借り、そして返せるはずもなく、親に土下座をして、「これで最後」と1億回繰り返し、借金の肩代わりをしてもらって、そして、その金でまたギャンブルをして?というのを死ぬまで繰り返しているのだ
これを治す方法はない
単純にギャンブルで使う金<収入になれば良いのだが、当然、金が入れば入るほどギャンブルのレートを上げていくだけであり、ギャンブルをやらなければやらないほど、無気力になり仕事をしなくなるので、この不等号が成り立つことは永遠にないのだ
私は今、金をくれるならなんでもする
人も殺すのさえ、躊躇ないだろう
目の前の男を滅多刺しにしたら1億円がもらえるのならば躊躇なく滅多刺しにする
そういう人間なのだ、私は
そしてその金でギャンブルをして2億の借金を作り、3人の人を殺し、4億の借金を作り、これが金というものがなくなるか、人、というものがなくなるか、どちらかが無くなるまで続けるのだ
金に取り憑かれてるのだ
金に頓着するというのは、異性に頓着するより、生に頓着するより、何より、愚かで、見苦しいことである
何故ならその本質は無であり、不平等の頂点にいたい、他人より幸せでいたいという欲求の果てでしかないからだ
それはつまり、誰より劣等感を抱え、誰よりも承認欲求が欲しい心理と繋がっている
つまり、ギャンブル依存症の本質は、愛着障害やパーソナリティ障害にまで遡ることが可能だと私は考えているのだ
金も無く、劣等感を常に抱き、親に愛されなかった子供は大人になるとギャンブル依存症になるのは決まっているのだから、貧しい家庭の子供はギャンブルというものの存在を知った途端に殺さなければならない
そして、このギャンブル大国で知らずに大人になることは不可能なため、事実上、貧困家庭は子供が持てなくなる
それで良いのだ
無理に持ったところで、不幸にしかならないのだから
資本主義の本質は、末代まで呪う、つまり、富の再生産、なのだから、貧しい家庭はただ黙って滅びゆけばいい
しかし資本主義とは不平等さ、つまり、相対的富であると言えるから、そのような理屈を繰り返していくと、行き着く先は滅びなのだ
それで良い、それが良い
人間なんて資本主義というものを思いついた時点、或いは生まれ持った能力として、存在が始まった時点で、呪いを孕んだ存在だったのだ
それは滅びの呪い、それも、できるだけ多くの人が不平等に苦しめられ、貧困に喘ぎ、そして、少しずつ滅びゆく、、その結果、全体として種としても滅ぶのだ
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