「優しさって強さを オレはお前から教わったんだぜ」
こんにちは。
ほしあかりです。
なんと2日連続で飲み会。
ときどきやるボドゲ会だったんだけど、新しいボドゲをやったわけではない。
新しいのどころか、なんなら何したか忘れた。
まぁなんか面白かったから良かったんだろう。
ピザ食った。
普段全然ご飯の量食べないんだけど、ボドゲ会の人たちいっぱい食べるから僕も普段より食べることになる。
そのせいか、帰ってきて夜中にめちゃくちゃ腹が痛かった。
それでこの時間の公開になってます。
ヒロアカ。
僕のヒーローアカデミア。
もう本誌も読んだし単行本も全部買ってるので全部知ってるのだが、アニメは今週と来週がトガヒミコと麗日お茶子の回らしい。
本誌でも泣いたし、本誌は3回くらいは読み返したから3回泣いたし、単行本でも泣いた。で、アニメでも泣いた。
アニメ号泣だった。
僕はフィクションで泣いちゃうタイプだ。
一番泣いたのはまぁヴァイオレット・エヴァーガーデン10話だろう。
あんなに泣いたことない。
次点はドラクエ5だと思う。主人公が不憫すぎてマジでダメだった。
不憫に振り切るならまだしも、キラーパンサーは僕のこと覚えてるし、好きだった女の子との子どもは勇者の血を引いてるし、希望を見せつけられてしまうので情緒がおかしくなってしまった。
ちょいちょい大河ドラマでも泣いてた。
親が腹くくって死地に向かい、主人公にすべてを託す。みたいなシーンに弱い。
親子愛みたいなものに弱いらしい。
親子愛ではないが、ボロボロ泣いた作品でリトルバスターズがある。
リトルバスターズは親子愛ではなく友情の物語だ。
リトルバスターズは恋愛シミュレーションゲームだった気もするが、100%純度の友情の物語だと言い切っても問題ない。
バカやってた男たちが、優しい女の子が、主人公たち2人のために魂を削っていく様は今思い出すだけでも泣いちゃう。
アニメ見てほしい。今ゲームやるならどうやるんだろう。
僕は友情の物語にも弱い。
思い出してたら泣いちゃった。今泣きながら書いてる。
リトバスで僕が泣きに泣いたシーンは、井ノ原真人が仲間になるシーン。
おそらく
「自分は普通ではないんだな」と諦めてしまった子が、めちゃくちゃ優しい子に出会って受け入れてもらえる。
というのが僕のツボなのだろう。
さて、ヒロアカ。
トガヒミコと麗日お茶子の物語は完全にこれだった。
「普通じゃない度合い」……という言葉をこの話をするうえで使わないといけないのだが、心底使いたくないのだが、使わないといけない。
この普通じゃない度合いは井ノ原真人とトガヒミコではトガヒミコのほうが上で、凄惨だったろう。
反対に、井ノ原真人を受け入れた棗恭介とトガヒミコを受け入れた麗日お茶子では、麗日お茶子のほうが普通寄りだと思う。
だから時間がかかってしまった。でも時間をかけてでも向き合いたいと思った麗日お茶子は本当に優しい子だ。
要は、
・井ノ原真人-棗恭介の間
・トガヒミコ-麗日お茶子の間
では、後者の方が距離があったはずなのだが、麗日お茶子は見事に埋め切って見せたわけだ。
麗日お茶子は本当に優しい子で、トガヒミコは最後の最後にそういう子に出会えた。
僕は次週のトガヒミコの行動を知っている。ぜひ見てほしい。
棗恭介も麗日お茶子も優しさと強さが飛びぬけている。
そして、井ノ原真人とトガヒミコもすごく優しくて強い子だった。
そんな優しさも強さも持っていた子がああなってしまったのは「環境のせい」としか言いようがないのだが、「環境のせい」と言うのも無責任な気がして何も言えなくなってしまう。
お茶子はこれを「罪を無かったことにはできない」「全てを肯定はしない」と言い切って見せた。マジですごいと思う。
「あなたはあなたのままでいるべきで、わたしはあなたと話がしたい」
僕は誰かが壊れてしまったときにここまで向き合えるだろうか。
「自分は普通ではないんだな」と諦めてしまった子が、めちゃくちゃ優しい子に出会って受け入れてもらえる。
には「普通じゃないと思っている子」「受け入れてくれる子」の2人の登場人物がいる。
このうち、僕は圧倒的に後者に憧れている。
「自分が普通じゃない」なんて思えるほど僕に個性など無い。
これは言っておかないといけないが、この社会が受け入れる「普通」ってかなり強靭で幅広い。
オモコロウォッチでダ・ヴィンチ・恐山が紹介していた、ネトフリの「ブラック・ミラー」というドラマにも描かれていたっぽい。
他にも例はあるか。
反体制や反社会を歌ったはずのパンクやロックも今や大衆向け音楽だし。
そこから弾かれるほどの個性はまぁ僕にはない。
そして、だから僕が受け入れようと努力などしなくてもこの社会は大概の人を受け入れる。
それでも、僕の手の届く範囲の人は受け入れたい。
オールマイトみたいに無尽蔵の強さなど全く持っていないから、小さな小さな世界だけだが、ほんの少しだけでも「寂しい」って思ってほしくない。
この辺のマインドは実はブルアカのエデン条約編とも繋がったりもする。
お茶子や恭介とは出発点は違いそうだけど、コハルが重要な局面でこう言い放った。
お茶子や恭介みたいな強さよりは、僕の出発点もこっちだと思う。
いや、ヒロアカもこっちなのかもしれない。
違いなんてないかもしれない。
優しい人になりたい。