音声配信を始めて得られた効果とか声について思ったことなど
最初に断っておくと、私は決して話すことが得意ではない。
話すネタも大して持っていないと思っている。けれども、どうしてもやってみたいと言う気持ちに駆られ、音声配信というものを始めてみた。ひとまず9回、収録をしたところである。
軽い気持ちで始めた音声配信
Voicyは知っていたが、自分が配信するなどという発想には全く至らなかった。
調べていくうちに別の音声配信アプリを見つけた。
こちらは、なんとなくだけど、音声配信のことが分からない初心者でも扱いやすい雰囲気があった。
とりあえずどなたかの放送を開いてみると、まるでラジオのように冒頭に音楽を入れトークの最中もその音楽がBGMのように流れている。
なんとも番組感があり、こういうものが誰でも作れる時代が来たのか、とワクワクした気持ちでいっぱいになった。
その気持ちだけで、始めてしまったのである・・・
1回の放送を5分程度にしようと思っていたので、作るのにそんなに時間がかからないだろうと思っていた。
大きな誤算であった。
実際は、何を話すかを考え、それを箇条書き程度に内容をまとめ、そして実際に録音するが、うまくいかなければ撮り直したり切り取ったり。
その後、サムネイルや番組の説明などを整えて、結局アップロードするまでに1時間くらいかかる・・・
毎日配信されてる皆さん、こんなに時間かけてる?わけないよね?
私の不器用さゆえかと思われる。
誰かに聞いてもらえるような内容でも、出来でも、ない。
言ってみれば、子供が、録音できるおもちゃに向かって話しかけてそれを再生して聞くのを楽しんでいるように、自分の話し方や声のトーンを聞いて自分自身をちょっと違う視点で眺める体験、といったところ。
誰かに聞いてもらうことは特に望んでいないけれど、それでもいいねが付けば嬉しいし、コメントしてくださる方もいて励みになっている。他の方の配信を聴くのも、とても勉強になる。
毎日更新は難しいという結論に至ったけれど、ゆるく続けてみようかな、というのが今の感触。
大人になって忘れていた「初体験の筋トレ」再び
新しいことを始めるには、何かとエネルギーが必要だ。
子供の頃は当たり前のように「初めての〇〇」を繰り返してきたけれど、大人になると、やる、やらないということすら選べるようになるので、通過することなく終わらせられるものもたくさんある。
けれども、新しいことを体験したくて、敢えて「慣れないこと」を選ぶ自分。久しぶりに初体験する時に使うエネルギー放出のための筋肉を使ったように思う。
慣れないことをするのは疲れる。
楽しいこともあるが、試行錯誤していることの方が多く、やはりエネルギーを使っているだけあって疲労感の方が大きい。
けれども筋トレと同じで、そのトレーニングをある程度繰り返していると、毎日キツイことには変わりないのだが、ある時、別のことをすると、それまでは10くらいのレベルに思っていたものを7ぐらいの感覚でやれるようになった感じがした。
それは、音声配信を1週間行い、8日目はお休みして久しぶりにブログを書いた時のこと。
文章を書くスピードが少し速くなっていた。スルスルと書きたい内容が頭から出てくるのだ。
これは「頭の中で文章を作るスピード」が上がったからではないかと思う。たった1週間でこんな効果があるというのは驚きだった。
音声入力の思わぬ効果
音声配信に慣れてきて、言葉で自分の思っていることを表現できるようになったらブログやnoteも音声入力で作ってみようと思っていた。
タイピングは決して遅いほうではないけれど、話すスピードと比べると全然違う。話すスピードでアウトプットすると、短い時間で非常にたくさんの情報を出力することができる、ということが分かった。
この文章も、実は音声入力を使って大まかに下書きをし、その後、整えている。
また、私の仕事はパソコンを使っている時間がほとんどで、目を非常に酷使している。
なのでプライベートの時間までも画面を見ていると、とても疲れてしまうのだ。
けれども音声入力を使うと、壁にかけられている時計を見ながらただ黙々と話すことができる。目が疲れなくていい。
じっくりと文を組み立て、言葉を選び、ゆっくり練りながら文章を作る方が好きなので、本当はじっくり時間をかけて書きたいのだが、何せ時間がない。
私はフルタイム勤務で二児の母。平日はお風呂上がるくらいまでワンオペ。
noteやブログを書けるのは、朝の1時間程度。
でも、音声入力を使えば、会社の昼休みやちょっとした移動中に簡単な下書きが作れるっていう「新たな選択肢」を手に入れた気がする。
温もりを伝える「声」
最近は、自分一人で話すことに少し慣れてきたので、親しい人とのやり取りに「音声」を送ってみた。電話ではない。
相手も面白いと思ったのか、同じように音声を送ってくれた。お互い一方的に話しているので留守電を録音し合っているようなものかもしれない(笑)けれど、話し方とか話すスピード、声色など、文章にはない気持ちの伝え方があるなぁと感じている。
「声」って、文字よりはその人の雰囲気が伝わるし、動画ほど全ては見せない。
会ったことのない人であれば想像を掻き立てられるし、たとえその姿を知っていても「声」というたった一つしかない情報に集中することで、声の主の姿を自分自身で再インストールすることができる。
そしてなんだか、その人の体という箱を通り越して、いきなり箱の中に入れてもらったような気持ちになれるのだ。
パブリックな場所で対面で会うなら見せてもらえないような、ちょっとその人の心の核の一片に触れさせてもらえるというか。
もし仮に、私たちが肉体を持っていなくて、何やら目に見えないフワフワしたような存在(世にいう魂というもの?)で漂っているとしたら、そういうものが優しく触れ合って温もりを伝え合う、そんなイメージが声というものから感じられる。
私の中にあるものをどう感じるかはもちろん人それぞれだけれど、その体温が温かいと感じてもらえるような配信者にいつかなれたらいいな・・・と願いつつ、もうしばらく素人配信を続けてみようと思う。
余談
二児の母、と音声入力で言ったら「虹の母」って変換された。
「虹の母」ってなんか素敵じゃないですか?
音声入力は、こんな思わぬ発想も見せてくれる。