見られ方を気にする。
今日、剥き出しのゴルフクラブを持っている人と電車で乗り合わせました。
剥き出しと言っても、クラブのヘッドにカバーはつけていらしたので、実際は剥き出しではないのですが、素人目から見ると剥き出しと言っても過言ではなかったように思います。(過言です)
正直不安な気持ちが過ぎりました。
もし暴れでもしたらどうしようかと。
細身な体型で、メガネをかけていて、まあまあ神経質そうなお顔立ち。(個人の感想です)
【細身×メガネ×神経質×ゴルフクラブ=危険】
という計算式が出来上がりました。(偏見です)
体感ですが、ここのところ物騒なニュースも多く、つい警戒心が強くなってしまいます。
狂人が一般人に紛れ込んでいる世の中。
注意しすぎてしすぎることはないと思っています。
結局今回の警戒は杞憂に終わりました。
が、今回のことで一つ学んだことがあります。
それは、物騒なものは持たないか、人の目に触れないように持ち歩くべきだと言うこと。
私は自分でも何を持っているかわからないほど多数の荷物を持ち歩いています。
その中には、職場の子供がくれたからという理由により捨てられていない長くて丈夫な枝も含まれています。
かばんから枝が垣間見えている社会人、明らかに狂人。
こちらにはホットで心温まる理由があるとしても外からそれは窺い知れない。
ただただ恐怖心を煽る状況が展開されているだけになります。
今回のゴルフクラブもそうで、これがバッグに入っていたら、ここまで危険視することはありませんでした。
前述の通り、ヘッドにカバーをされているようでしたので、マナー的に問題はない(というか、別にカバーをしなければならないというマナーがあるのかどうかすら知らない)ですが、バッグに入っていてくれたらもっと安心できました。
私も、ケースやバッグをつけることの面倒さが勝って、別に恥ずかしくないから!!人からの評価なんて気にしないから!!と開き直り、用途は違うものの凶器になり得るものを剝き出しで持ち運んでしまったことが何度もあります。
しかし、この場合の人からの評価、見られ方というのはむしろ気にしなくてはならないものなのかもしれません。
剥き出しの危険可能性物、そしてそれを当然のような顔で持っている大人。
社会性の欠如が顕著で、もはや警戒されるべき存在です。
せめてばつが悪そうにしろ。
ケースやバッグで覆い隠すという工程は、自分と周囲、お互いの心理的安全を担保するという役割を担っている。
持ち物も自分も他人も守る。全方向に対する思いやりなんですね。
私も思いやりの心で、これからはしっかり覆い隠していこうと思います。
そして枝は明日捨てます。
やさ子。