ヒダヤン

だいぶうろ覚えなので間違いご容赦ください。また例によって一方的な思い込みも多くあります。

今では大阪HIP HOPシーンの顔とも言えるHiddadyことヒダヤン。
ヒダヤンと知り合ったのはバイト仲間で夜遊び友達の仙石幸一の紹介だった。初めてあったのは何処か覚えてないがたぶんクラブイベントだったと思う、意気投合という感じではなかったが、なんとなく初日からサシで朝マックした。めっちゃマイペースで飄々とした感じ。こちらも特に気を使わなくてもよい感じでなんとなく朝方二人でアメ村から心斎橋方面にあるいて、「ちょっとトイレ」とゲーセンの2階に消えていき、なかなか帰ってけーへんなと思って麻マック。しかも食べるの俺だけ。なんか自販機のアイス食うて、腹へってないとか言うてた。明け透けに初日から保護観察のこととかつかまった時の話などを話してくれて初対面と違うような錯覚をさせる、そんな第一印象だった。
 
 彼はアメ村のタワレコちょっと北側にある軒下のアクセサリー屋で働いていた。見た目はゴリゴリのB系ではなくボサボサの長髪に茶色のメガネで緑の長袖と黒ズボンで指のサイズを測る棒を持って半路上で店番。100m先でもヒダヤンとわかるそんな個性があった。  
そんな場所にいるから、タワレコ行けば、まずヒダヤンとこへ駄弁りに、次第にヒダヤンところに駄弁りにだけという感じになりつつ、夜もたまり場のクラブで会ったりしているうちに、自分のレギュラーに出てくれたり、ヒダヤンから他のイベントに呼んでくれたりした。自分にとっては夜遊びすればヒダヤンがいるという感じだが、彼にしてみればたまに会う呂布の奴らぐらいだろう、彼は毎晩夜遊びしていただろうから。とにかく彼は顔が広くて、あれほどバラバラで、箱単位、さらには箱の曜日単位でライバル視するような時代に誰もが知り合いという感じだった。ラップ以外にもグラフもやっていたし(BAR)ダンスもやっていたしDJもできたので4要素全部抑えていた。だから彼の店には絶え間なく人が来ていた印象がある。だれも店のアクセサリーを買わないが。。。
 彼が主催するBuild Ya Skillなんかは、若手ばっかりのイベントで、たぶん30組ぐらい出ていたと思う。関西圏全般から集めた演者のラッパーとその友達でフラットから客が溢れていた。とにかく顔が広かった。
このイベントのリハのときミキサーが壊れたかなんかで代わりのミキサーが来てた、設定滅茶苦茶だったので音だしのときは何故か高音がパキパキの低音すっかすかだったんだが、ヒダヤンがイジったあとばっちりになった。遅れて現場に来たフラット付の黒人PAエンジニアがそのセッティングを絶賛していたのを覚えている。

長らくソロだったがヒダヤンがいつのまにかA2Cという子と組んでやりはじめた。まだソロの時の曲(水の中でも燃え盛る火種)もやっていて、あんまり二人での曲は覚えていない。サビが「ギミサムガンジャセンシミーヤ/君その韻じゃセンスねーなー/わかるかなちゃんとふんどるかな韻/火がついた奴回すほうが良い」みたいな曲は印象に残っている。あとやっぱりチーフロッカと同じくちゃんと大阪弁でラップしようとしてた印象がある。
フリースタイルは大阪ではエローンが実力ぶっちぎりの中、自分の知るころのヒダヤンはそれほど上手な印象はなかったが、おそらく、彼が本気でフリースタイルに取り組みだしてから相当練習し、もともとセンスもあったろうからすぐにその才能は開花したんだろう。
自分がラップをやめるのが99年、久しぶりに彼のフリースタイルを見たのは2003年のB-boyパーク予選。参加者が多すぎて1対1のバトルではなく4人同時でジャッジ3名計6本の旗で2本以上の旗があがると1次予選突破だったと思う。ヒダヤンは登場からイキナリサイドウォークで入りきて客の度肝を抜き、赤はアカン、黄色消えろ、青はアホとかのパンチランでさくっと突破して、「うわっヒダヤン即興めっちゃうまなってるやん」と思った。その後はご存知のとおりUMB大阪代表としてエローンとヒダヤンでR指定が現れる前の5年連続韻踏からの本選出場となる。

自分がラップをやめる話は何れに機会として、やめた後、自分がレギュラーをやっていた某クラブの何周年イベントで久しぶりにいったら、ソロで活動をつづけていた相方から「ヒダヤンが会いたがっているぞ」といってくれた。しかし、私は気後れして避けてしまった。あれほど熱く語ったマイク論やラップゲームから勝手に脱落したという気持ちが彼と会うのが非常に恥ずかしかったのである。脱落ワックMCのショーモないプライドだった。それからヒダヤンがヘッドバンガーズを組んで、韻踏会組合になり、UMBで活躍するころは自分は日本にいなかったからその活躍は雑誌やネットでしか見ていない。その機会を逃してから次に会って話すのは2008年のエンター。相方が久しぶりに会わせてくれた。自分はもうすっかりサラリーマン。服装こそB系の片鱗を残すが、エンターの雰囲気にはそぐわない34歳。ヒダヤンはすでに当時一緒にあこがれていた人たちと肩を並べるほどになり、言わずもがな、顔の広さはもはや全国のHiddadyさんになっているが、何の気遣いも必要なく、三日ぶりのような感じで接してくれた。
昔話をチラッとしただけだが、あの時のヒダヤンのままだった。その後2012年頃(?)こっそり一二三屋に行ってMIX TAPEを買ったがヒダヤンは私に気付かなかった。そりゃそうだろう。彼はカリスマ、こっちは早々に脱落した凡人。それでもまた一二三屋行く。ただのHIP HOP好きなオッサンが買い物をするために。Hiddadyはそんな46歳のオッサンをちゃんとヘッズ客として扱ってくれるプロヒップホッパー。たぶん間違いない。

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