「スピッツ/子グマ!子グマ!」
スピッツの子グマ!子グマ!
ものすごい愛だなと思わされる。
訪れる「別れ」に対して、ここまで爽やかに、相手へ対する愛を絶やさずに見送れるものだろうか。
「白い熱い中華まんを半分こにした君。」
「間違いが怖くて、こだわりが過ぎてしまう君。」
「僕の分身である君。」
「君にこっそり褒められたら、あと90年は生きられそう。」
ものすごく近くにいて、それでいて放っておけない愛おしい存在。
「喜びの温度はまだ 心にあるから
君が駆け出す時 笑っていられそう」
君が駆け出すとき、とは旅立ちの時なのかな。
2人で過ごした時間の喜びがあるから、笑っていられそうなんて、強すぎるよ。
かえって送り出すのが辛くなるじゃないか、と毎回思う。
「惜しかった思い出も 感動的に刻むから」
そう、こうなれば良かったのにと、願ってやまない時がたくさんあるはず。
「幸せになってな ただ幸せになってな」
見送られた君が幸せになることが、強がって君を送り出した僕に報いる方法。
もう会いたくないと思うまで、傷つけ合うことが、もう二度と合わないための一番良い方法だと思っていたけれど
そうではなくて、完全に君を愛しちゃって、自分なんてどうでも良くなるくらい愛しちゃって
その先に、君が駆け出す時笑っていられる、幸せになれよと言い続けられる信じられない愛があるのかもしれない。
(ヘッダーの写真は子グマじゃなくてきんたろうです😅)