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名前のない木 21章


祖母

久々の快眠がとれた私は、午前中からサービス付き高齢者住宅の入口にたつ。
祖母に会うためである。いつものように受付に入ると、面会者(私)の名前と相手(祖母)の名前を記帳する。

記帳すると、受付の職員が祖母がいる部屋に連絡をとり、面会確認がとれれば面会できるシステムである。
事務職員の顔ぶれは見慣れており、入口に入ると「あぁ〇〇さんのお孫さん」と先に挨拶が来るような関係になっていた。

自室にいる祖母から返答があり「面会できる」とのことで、3階の部屋へ向かい、スライド式のドアをコンコンとノックをしてから、入室する。

介護士のケアが室内に行き届いているのが、消毒済みのアルコールの香りですぐに分かる。縦長の6畳ぐらいの風呂トイレ付のワンルームだが、年々小さくなる祖母には十分な広さだろう。部屋の奥の大きい窓からはベランダに出れる。元々森林を開拓した立地のため、ベランダから見える風景には林が広がっている。

祖母と顔を合わせると、お互いに笑顔になる。
腰はだいぶ曲がってしまったが、白内障の手術が成功してからは生き生きとした眼が戻ってきた。まだまだ元気そうだなぁと感じる。

「ばあちゃん、今回は1か月経ってないけど来たよ。」と声を掛ける。

「仕事忙しいみたいなのに、よく来たねぇ」

と、祖母ははっきりとした声と口調で話す。依然と全く変わっていない。

「台風すごかったねぇ、母屋も色々壊れたところがあったんだってねぇ」

やはりこの話題になる。

「雨どいが壊れたみたいで、来年には全体を付け替えるようだね」


「そうみたいだねぇ。母屋の雨どいを取り換えたのは50年以上前じゃないかね。元から何カ所かは調子が悪いところもあったからねぇ」

――祖母はやはり覚えている。

「椿」

私は、祖母が乗り気になるために、もう少し違う話題を挟みたかった。
祖母の趣味の一つに園芸、特に「椿」がある。
この話題を報告をするために、既に母からヒアリングをしていた。

祖母の椿への愛は、今でいうところのマニアの領域である。
実家の椿の種類は50種類を遥かに超えており、そのほとんどは祖母が蒐集し育てたものであった。
植え替えや接ぎ木、差し木などはもちろん、成長促進や成長抑制、葉の状態から健康状態まで見抜いてしまう。
私が生まれる前までは、国内の遠方からはるばる庭園を見に来る人がいたほどだったらしい。

『チャドクガ』という毛虫が発生するシーズンが近くなると、
背が小さい祖母から頼まれて、椿の頂上付近から消毒をする。
シーズンに入ると、学校に登校する前に一緒に見廻りをするのが日課であった。
今は母がそれを引き継ぎ、「椿」の管理人になっている。

時計をチラッとみると、祖母との会話が1時間ほど経過している。
ひとしきりこの話で盛り上がったところで、いよいよ本題に踏み込む。

「――そういえば、桜の木の枝が折れちゃったのは残念だったよ。
 幹自体は大丈夫みたいだから、父さんも母さんもホッとしてたよ。」

「台風で庭の大きな木の枝が折れるのはいつぶりだったろうねぇ」

自然に、私が振った話題に乗っかってくれる。
ここで、事前に準備していた内容を一気に切り出そうと決める。

「祖母ちゃんは忘れてるかもしれないけどさ。
 自分が小学生のときの外で倒れていた台風の日のことなんだけど。
 昨日父さんと母さんから今まで伏せていた話を聞いてさ・・・
 祖父ちゃんも祖母ちゃんも気遣って、話を伏せてくれてたんだよね?
 ありがとうって伝えたかったんだよ。」

これは本心であり、伝えたいことである。
同時に、『祖母が過去を忘れていないこと強調したいがため、話に乗ってくれるように誘導する』作戦である。

――ただ、台詞を棒読みするような、ひどい話し口調になり、
  自分の演技力のなさに絶望する

それでも、祖母は眼をギラっと光らせ、自信がある表情で私を見つめる。

「忘れる訳がないでしょう?あの台風の日も大変だったからねぇ」

―乗り気になってくれた、と私は嬉しくなる。

「・・・もう全部聞いたのかい」

「それじゃ、質問してくれたら答えますよ」

これまで私と祖母の間で続けてきた「祖母の記憶を記録として録音する」やり取りの最初に、
祖母が発する『いつもの決め台詞』を引き出せた瞬間である。



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