名前のない木 18章
奇妙な果実
雑草が生い茂る荒地の中で、螺旋状に掘ったことでそこだけ草が生えていない状態になっていた。
――ちょうど耕したようなカンジになっていいわねぇ・・・
何か木でも植えてみようかしら
母は掘り返された土を足で踏みながら呟く。
母と自宅に戻ったが、私は汗と汚れが気になったので、自宅にストックしてある甚平を自室だった部屋から持ち出し、シャワーを浴びる。
髪を乾かしてリビングに目を向けると、そこには一仕事を終えた父がビールを飲んでいた。
父の影響
父は母と結婚をする前、ジャズミュージシャンだった。そこそこ有名なジャズ雑誌で連載記事を書いていたこともあったらしい。
その影響で、私の自宅は盆から正月までジャズが流れる家庭だった。
私はプログレッシブメタルのジャンルに染まったが、好きな音楽のベースはやはりジャズであり、父の影響をもろに受けている。
私がお願いをしてピアノを習ったのは、自宅でジャズを演奏することだけが目的だったのだが、「ピアノが弾けるらしい」という噂から、音楽の先生が勝手に小学校の「学年別の演奏会の伴奏役」に任命したことに腹を立てていた。
普通に弾いてしまうと今後もやらされることに危機感を持った私は、個人でレッスンを受けていたピアノの先生に「個人的にこの伴奏のアレンジをしたい」と相談し、変拍子気味の間奏アレンジを完成させた。
そして、本番の演奏会で急に混ぜて弾いた。
事前にこっそり伝えていた同級生の指揮者は、指揮を止め私をじっと見る。
演奏会場になっていた体育館がザワついたが、無視して弾き続ける。
『そろそろ元の間奏に戻すよ』と事前に打ち合わせをしたとおり、指揮者に目線を合わせて頷く合図をする。
指揮者は再び手を振り出したが、リコーダーを吹く同学年全員のリズムが総崩れし、カオスな演奏となった。
この件が職員会議の議題に上がったそうで、音楽の先生は『彼(私のこと)は協調性がなさすぎる』と激怒したらしい。ただ、ジャズが好きだった担任の先生と教頭先生が、うまくその場を収めてくれたそうである。
その後は伴奏役を任されることはなかったので、私の目的は達成した。
家庭訪問で、担任の先生からこの話を聞かされた父はニヤッっと私を見た。
私がこういう性格になったのも、もしかしたら父の影響なのかもしれない。
ー
この日もレコードプレーヤー、真空管アンプ、自作のスピーカーを通して、クラシックジャズが流れている。
「おう、どこにいってたんだ?」
とソファーから立ち上がり、冷蔵庫から私の分の缶ビールを出して投げ渡してくる。それを受け取ると、私はリビングにあるL字型のソファに座り、ビールを開ける。
「母さんから、ずっと前の台風の日のことを聞いてね、ちょっと気になることがあったんでくぬぎの木のあったところを調べてたんだよ」
と父の反応を探るように話す。
「ん、何か分かったのか?」と聞いてくる。
「あの日落としたカメラを探しに行ったら、土に埋まってたのを見つけてね。
外に出たこと自体は全く思い出せないんだけど、自分が行動してたことは分かったよ」
「そうか」と普段から口数が少ない父。
機嫌が悪いのではなく、単純に素朴で無愛想なのだ。
白髪だが、年中畑や庭仕事などの肉体労働をしているために、体は筋肉質であり黒く日焼けをしている。
この背景を知らない初対面の方からすると「ヒサロで肌を焼いているボディービルダー」と高確率で誤認される外見である。
ー
銀行は毎年、新人研修後に支店配属が決まる5月~7月頃は、飛び込み営業シーズンになる。研修で教えられた通りにご挨拶がてら営業で飛び込んでくるのだが、基本的には母が対応をしていた。
ただ稀に父が一人でいるところに銀行の営業が訪問してしまうと、地獄の打ち合わせが始まる。
父は、どんな話を振られても『興味がない、そっけない』と受け取られる反応しか返さない。なんとか関係を作って、上司を連れてくるためのアポ取りを目標に頑張る新規の営業は、一人で空回りをし心が折れて帰っていく。
そもそも父は結婚後に転職し、銀行員だったのだ。
それを最初に伝えればすぐに話が終わる可能性が高いのだが、自分のことを語りたがらない性格と口下手な性質が見事に混ざり、不毛な時間になるのだった。
「最初からお断りすればいいのでは?」
と父に聞いたこともあった。
「それは可哀そうだからなぁ」
父本人は相手をしてあげている感覚だったことを知って、私は驚いた。
ー
そんな父なのだが、酒がある程度入ると途端にご機嫌になり、きわめて饒舌になる。
夕飯が出来るまで私は都内で買ってきたつまみを父に薦めながら、最近の経済状況や社会情勢などの話題を色々と振りつつ、2,3本の缶ビールが飲み終わった。
そして、買ってきたウイスキーを飲み始めた父は明るい表情になる。
ちょうどレコードが終わり、バックミュージックと話題がピタッと止まった瞬間があった。
すると、赤い顔をした父が苦笑しながら、
「お前にはよ、謝らないといけないことがあるんだよな」
と語り出した。
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