名前のない木 06章
静止する振り子
ギシ、ミシ、ギシ
私が大声で騒いでいたのを察知したのか、母屋の回廊と私の家のキッチン兼ダイニングとを繋ぐ「渡り廊下」から誰かが向かってくる。
こういうとき、見廻りにくるのは祖母の役割である。
私の部屋がある家は、以前2階建ての古い離れがあった場所に新しく建てられたのだが、その離れと母屋をつなぐ渡り廊下は壊さずそのまま残したため、築80年以上経っている。
当時新築だった家から古民家である母屋をつなぐ渡り廊下を歩くと、「異なる時空間が繋がり自由に時代を行き来する、振り子のような感覚」がたまらなく好きである。
渡り廊下の床は老朽化によってかなり軋む。
誰かが歩いてくるのが、渡り廊下との仕切りのドア越しに分かる。
ダイニングで言い争いしている母と私、椅子に座った父は、音に気付き沈黙し、全員の視線がドアに集まる。
ガチャ
ドアを開けたのはやはり祖母だった。
「こんな台風の日に何を騒いでるんだい」
との祖母の問いかけに、興奮している私が発言しようとするのを制するように、母が「私が騒いでる理由」を呆れたような口調で一通り説明する。
すると、みるみる険しい表情になった祖母が一言
「・・・それは〇〇様(先祖の名前)の木かい?」
予測していた返答ではなく、唐突な質問だったことで母は面喰う。
祖母が私に叱るように誘導する話し方をした母に、内心怒っていた私も面喰った。
1章で説明させていただいたように、私の実家はいわゆる「旧家」である。
代々この地に住み続けているということもあり、
「一族に子供が産まれるとお祝いに子の名前を付けた木を植える」
今でいうと”記念樹”のような風習が続いている。
物心ついたころから、祖母からは庭仕事のアルバイトを頼まれ、その過程で庭の色々な木を見ては「これは〇〇様の木でね、、」というような説明を受けていた。
ただ、木が枯れてしまった場合には、新しい木を別のスペースに植えることもあるので、世代でまとまって植えられている区域だけでなく、同世代でも離れたところに植えられている木もあり、全てを把握するのは困難であった。
(木が増えすぎたからなのか、世代で一つにまとめられた木も存在する。)
当時、そのご先祖様の木の全体配置を把握していたのは「祖父と祖母だけ」であった。
私はそれを覚えるために画用紙に手書きの庭の俯瞰図を書き、木の位置をマークし、それぞれの”木の名前”を記載した地図を作成し、夏休みの自由研究にしたことがあった。
それを学校に提出したところ、教師からは高い評価を得た代償に、祖父が今まで見たこともない怒り方をしたことを覚えている。
ー
祖母の横で面喰う母の表情を見て、少し冷静になった私は、「祖母が私の主張を肯定的に受け止めてくれたのではないか?」という気持ちが湧いてくる。
ええっと、クワガタが獲れるクヌギの木、
クヌギの木は「名前がない木」だよね?
と、祖母から聞いたご先祖様の木が、どの木のことを指しているのか分からなかったのでこう答える。
ただじっと私を厳しい表情で覗き込むように見つめた後、祖母は
「・・・それなら後は任せておきなさい」
と、その一言でやり取りが終わってしまった。
母と私はあっけにとられて立っていたが、祖母が渡り廊下との仕切りドアをパタンと閉め、ギシミシと音を立てて母屋に戻っていく。
私は通勤を見送って急遽休日になった父をチラッと見たが、缶ビールを1本空けていた。
「祖母との一連のやり取り」を見ても一言も発さず、眉間に皺が寄った難しい表情をしたまま、おもむろに2本目の缶ビールを手に持つと立ち上がり、テレビのあるリビングへ歩いていく。
母も何を言うべきなのか分からないのだろう、手持ち無沙汰をごまかすように料理に取り掛かる。
私以外は「日常」に戻った
私は、自分だけ”切り離された世界”に取り残されたような錯覚に陥った。
意識が過去に囚われ、振り子が停止してしまい、戻れるはずの現在に戻ってこれなくなった感覚。
貧血のときに視野が徐々に狭く暗くなるような眩暈を感じ、近くにあったダイニングの椅子に腰かける。
「それは〇〇様(先祖の名前)の木かい?」
頭の中で、祖母の言葉が何度も繰り返し再生される。
眩暈によってふらつく頭が重力に勝てず、うなだれたような姿勢になりながら、その言葉の意味を探ろうと思考を張り巡らせていたがうまくいかない。
しかし、次第に
「任せておきなさい」
との言葉の連なりに変わっていき、眩暈が収まっていく感覚になっていく。
いつのまにか閉じていた目を開けると、キッチン兼ダイニングの出窓から覘く、外の台風で荒れ狂う庭の風景をぼんやりと認識した。
ただ、その後自分が何をして過ごしたのかは思い出せない。
平日なのに自宅にいる父が珍しかったため、リビングで一緒にテレビを見ていたのだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?