名前のない木 12章
新事実1
台風直撃の日、私は一人で外に出ていった。
これは私の記憶の中にも、これまで見てきた夢の中にも、
全くない新事実だった。
たしかに祖母が母屋に戻り、昼食をとった後の私の行動は、記述した内容通り曖昧で覚えていない。しかし「一人で外に出た」というのはありえない。
そんな特徴的な行動をとっていれば、忘れるはずがないのだ。
などと考えていると、母が話し出した。
私は、音声データの収集が癖になっていたのもあり、反射的にテーブルの上に置いてあるスマホの録音アプリを立ち上げ、録音を開始した。
「母視点1」
おばあちゃんが母屋に戻った後、あなたはぼんやりしたまま昼食をとっていたから色々声を掛けたんだけど、全部無視するんで心配したのよ。
食べ終わってから、無言のまま二階の部屋に戻っていったから、自室でゲームをするか、本を読むんだろう、と思って。
――更に続ける
そしたら夕方前ぐらいに、ガチャ、バタン、と玄関のドアが開いて閉じる音が聞こえたのよ。お父さんが外に出て行ったのかと思って、リビングを見たらテレビ見てた。じゃあ、台風の中でわざわざ外に出ていくのはあなたしかいないじゃない。
私は何も答えられず、ただただ聞いていた。
玄関のドアを開けて外に顔を出してみたら、やっぱり。
大きな傘をさして歩いていくあなたの後ろ姿が見えたのよ。
「どこにいくの、危ないから戻ってきなさい」
声を掛けたのに振りかえらない。追いかけるにしても色々と準備しないと、と思ってリビングにいるお父さんに声を掛けたのよ。
そしたら。
「さっき騒いでた木を確認しにいったんじゃねえかな?
すぐ戻ってくるだろ」
みたいな適当なことを言うんで困っちゃったわ。
仕方なく雨合羽と畑仕事用の長靴を引っ張り出して、外に出たわ。
雨より風が強いはずだから、と傘を差さずに雨合羽を用意して正解だったわ。
フードで耳がふさがれるから、音は聞きづらいんだけどね。
懐中電灯が必要な暗さだったけど、玄関に常備していたのが見つからなかったから、しばらく暗闇に目が慣れるのを待って、ぬかるんだ足許に気を付けつつ庭に出たのよ。でも庭を見渡しても、視界に入るところにはあなたはいなかった。
お父さんが言っていたように、”クヌギの木に向かった”っていうのは正解だろう、って庭の外周の小道に沿って歩いていくんだけど、ときおり周囲で風がうねる音とか、頭に被ってるフードに入ってくる風の音が不快だったのよ。
あなたが「死体がある」とか言ってたことは全く信じてなかったけど、さすがに嫌な雰囲気を感じてたのね。途中からあなたの名前を呼びかけながら進んだんだけど、聞こえてたの?
いや、全く覚えてない
と私は動揺して答えるが、それは想定内かのように母は話を続ける。
私はずっと記憶に残ってるのよ、この時のこと。
やっとクヌギの木が見えるところまでたどり着いて、驚いて立ち止まったわ。
最初に目に入ったのは倉の脇にいつも立てかけてあるはずの金属の梯子。
あなたが持ってきた懐中電灯が地面に落ちてて、ちょうど梯子の脚の部分の金属を照らしてて、鈍く白光していたのよ。
”なんでここに梯子が?”っていう疑問のすぐ後で、あなたが持ってきて立てかけたんだろうってすぐわかったわ。
次に、梯子が立てかけられた枝の先が裂けるように折れていたのが見えたわ。台風で割けたのかしら、と思ったわ。
でも、肝心のあなたがいない。名前を問いかけても返事がない。
梯子があるから木に登ってるのかしら、と思い、クヌギの木を見上げながら近くまで歩み寄ったんだけど、枝の上にいない。
視線を下げて周囲に目を凝らしてみたら、あなたを追って外に出たときに見た黒い傘が、地面に開いたまま、ちょうど柄が地面に生えてるシダ植物の茂みに被さるように落ちてたのよ。
その傘に足を向けるような状態で、茂みの奥にあなたが倒れてたのよ。
慌てて走り寄って声を掛けても、全く体を動かさないどころか、手足が伸びたままで全身が硬直したような体勢だったわ。これはまずい、ってすぐに分かったので、おんぶして自宅に運ぼうとした。
そのときギョッとしたのよ。
あなたが倒れてた奥の暗がりの草の茂みに「もう一人倒れてる」って錯覚をしたの。
「誰かいるわけがない」って思ってても。
硬直してるあなたが気がかりだったけど、確認しておかないとって思って、梯子を照らしてた懐中電灯を拾って、光を当ててみたわ。
割けた木の枝だったわ。
ただ、割け方が偶然にも、藁人形っていうか、首つり死体のような形になってた。首のように見えるのは、ぐるぐるに巻き付いた蔦がロープのように見えたからで、蔦はクヌギの木の枝と繋がっていたのだろう。
「あなたがこれを見たから、人が死んでるなんて言い出したんだわ」
って納得するぐらいの形状だったから、気持ち悪くなってきて。
あぁ、あなたはこの死体だと思った木の枝を確認するために、わざわざここまで来て、梯子を枝に立てかけて登って、この枝を下に降ろしたんだわ。
そのときに梯子から落ちたんだ
って状況がなんとなく分かったの。
「頭を打ってるなら一人で無理に運ぶのはまずい」
って考え直して、みんなに声を掛けに一度母屋に向かったのよ。
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