聲の形という作品(微ネタバレ注意)
はじめに
「聲の形」という作品をご存知だろうか
少年マガジンにて、2013年から2014年まで連載され、2016年には京都アニメーション制作でアニメ映画化もされた
感動作として名高い本作だが、感動と同じくらい不快な思いをする作品でもある
その原因は、他でもないキャラクターにある
現実以上に人間くさく描かれるキャラクター達は、感動と共に不快感をもたらしてくれる
それこそが、この作品の大きな魅力である
そんな本作について語っていきたい
なお、若干ではあるがネタバレを含むのであしからず
キャラクターの共通点
本作に出てくるキャラクターは、大抵性質が一緒である
いや、本作には限らない
他の作品、引いては現実世界においても、多くの人間がこの作品に登場する人物と同じ性質なのだ
その性質を一言で表せば、「自己満」
殆どの人間が自分の為に動いているのだ
誰かの為に動いているように見えるキャラクターもいるが、彼らもまた自分の為に動いている
自分勝手なキャラクター達
まずは、主人公でもある石田将也
彼の行動は、まさしく自己満足の代表的な物である
作中で結弦に指摘されているように、硝子に対する謝罪・贖罪も全て自己満足でしかない
自分がスッキリ自殺する為に、彼は手話を覚え、忘れ物を返し、そして硝子に謝罪した
それからの贖罪の行動も、自分の為でしかない
「硝子の為」と言いながら、硝子や結弦を困らせているのは、まさしく自己満の行動である
ヒロインの西宮硝子もまた、自己満足な行動が多い
それが顕著に現れているのが、度々口にする「ごめんなさい」という言葉と、自殺未遂であろう
「自分は人を不幸にする」と信じて疑わず、人の気も考えないで先走ってしまう
自分だけで完結し、そしてそれを言葉にし、行動に移す
私のせいで、私のせいで、と自分を責め立ててばかりで、他の人が見えていない
自分自身が自分を嫌いだから、自分を好きでいてくれる人の気持ちを蔑ろにしているのだ
結弦もまた、姉の硝子の気持ちを聞かずに、将也を姉に近付けないようにした
だが、これ自体は正しい行動であると思う
そりゃあ、かつて姉をいじめていた人間を姉に近付けたいだなんて思う人は居ないだろう
問題は、硝子と将也の会話を聞いて、というより見てからの行動
将也の名を騙り、SNSに迷惑行為をした事を自慢するような投稿をして、彼を貶めた
この行動について、結弦自身は「姉ちゃんの為に」と言っているが、彼女は姉の将也に対する気持ちをある程度知っていたはずである
それでも将也を傷付けるような行動をしたのは、個人の恨みから来るものであり、やはり自分の為の行動でしかない
将也の親友を自称する永束も、どこか「将也の親友」という立ち位置に自惚れている節があるように見える
事ある毎に関わろうとするその様は、自己満足で硝子と関わる将也にもどこか似ている
植野は過去に固執し、過去を取り戻そうと、他人の気も知らずに奔走するかなり身勝手な人間だ
佐原は臆病な自分を変えたい、というのが自分の根幹にある訳だから、他のキャラクターに比べればマシに映るが、それでもやはり自分の為に動いてるキャラクターに思える
真柴は深い関わりがある訳でもないのに、将也と硝子、そしてその周りの問題に踏み込もうとする、空気が読めない人間に思える
川井は「川井を許すな」とネット上で言われる程、あまりに身勝手な言動が多く、良かれと思ってしている行動全てが悪い方面に働いている
人間らしい生々しさ
どこかこじつけのようになってしまった部分はあるが、それでもこの作品のキャラクターの多くは、自己満の為に動いている
相手の事を考えているようで、自分の事ばかり考えている、そんな人間ばかりだ
そう言った人間くささが、生々しさが、この作品の感動の中心であり、不快な部分である
最後に
聲の形という作品は、ただ「いじめ」や「障害」をテーマにした作品では無い
小学生の純粋さと残酷さによるいじめ、その後の彼らの日常、石田将也の贖罪、そして各々の自己満足な行動……
それらを通じて、人間の本質と成長過程を描いた作品だと私は思う
そう言った部分が、生々しくて苦手な人だって多くいるだろう
胸糞悪いシーンだってある
だが、それでも一度は読んで欲しい、見て欲しい
不愉快でありつつ、感動的な名作だ
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