婚前契約書って、あり…?なし…?
10年くらい前だろうか、たまたま婚前契約書の雛形に出会った。誰でも無料でダウンロードしてOKだよ、というもので、Facebookでつながっている程度の知人がつかったという話だったのだろうか、たまたま見つけたのだろうか、経緯は不明だけれど、興味本位でそのサイトから婚前契約書の雛形をダウンロードしておいた。それからまったくつかう予定が現れなかったのだけれど、ふと、そんなもの持っていたなとデータを引っ張り出してきた。
同じサイトは見つけられなかったけれど、今、検索をかけてみても、いろんなところで雛形はダウンロードできるようだ。ちょっと試しに検索してみてほしい。あっさりした1枚ペラの文面のものから、公正証書としてきっちりとした文面のものまで、いろいろある。ちなみに、がっつりしたものだと、以下のようなことが挙げられている。
お金について
家事分担について
子の養育について
親族関係について
生活態度(無断外泊、ギャンブル、携帯を無断閲覧しないなど)について
別居について
離婚について
昔は婚前契約というと、財産や権利をたくさん持っているようなハリウッド俳優たちや海外のお金持ちがやるもの、みたいなイメージがあった。けれど列挙されているものを見ると、まぁ事前に話し合っておいた方が良いだろうね、ということばかりに見える。
素人なりに、婚前契約書の良し悪しをざっと考えてみる。メリットとしては、結婚前に漏れなくダブりなく必要なことを事前にすり合わせることができることだし、自分にとっての当たり前を押し付けたり、相手から押し付けられたりすることなく相談し合え、夫婦として、新しい家族形態を共に作り上げる感覚が生まれるだろうし、責任感も生まれるだろう。
一方のデメリットとしては、特に公正証書の形式だと堅苦しいことこの上ない。結婚は勢いだとも言われるけれど、その勢いにも尻込みしてしまうほどだし、ひとつひとつ考えないといけないことは重たく、どちらかともなく怖気づいてしまうかもしれない。何が何でも、とにかく結婚がしたい!というときには出さないほうが得策だろう。ざっと考えるとこの程度、まだまだいろいろメリット・デメリットがあるだろう。
勢いで結婚することもまったく否定しないし、えいや!という気合のようなものがないと結婚できない気持ちもよく分かる。その上で、ちょっと、この婚前契約書というものを、二人で考えて結婚というプロセスを歩む…というのを一度経験してみたいな〜と思ったりする。
その理由は大きく2つある。まず、ひとつ目のマイナス方向からとして、蓋を開けてこんなはずじゃなかった…をできるだけ避けたいというのはある。
自分にとって借金が当たり前じゃなかったりしたら、相手に「借金はある?」なんて聞く発想に至らない。だけれど、こうやって契約書として項目が並んでいれば、まぁ上から順番に確認しているだけだから…という感じですり合わせができそうな感じがしている。きっと打算ばかりで結婚するわけじゃないだろうから、やっぱり恋は盲目で、相手のことが見えているようで見えていないことも多くあると思うのだ。若いときは気合で乗り越えられるかもしれない。でも今は、あとから発覚したら「事前に聞いておけばよかった…」と後悔しそうな気がするのだ。その後悔が少なくなるかも知れない。(ゼロには絶対にならないだろうけれど。)
そしてふたつ目のプラス方向からとして、メリットにも書いたけれど、夫婦として二人の当たり前を作っていく、二人の家庭を作っていくというプロセスを大事にしたいと思うからだ。
個人が2人集まると、そこにはチームが生まれる。会社を立ち上げた場合は「法人」として、会社にも一つ、人格が生まれる。この新しい人格形成って大事だと思うのだ。他人が一緒になるのだから、一人で自由気ままに生きるのと同じようにしたいというには無理がある。私にも変化が必要だろうし、相手にも合わせてもらうことも必要だ。私に合わせて!と押し付けるのは簡単かもしれないけれど、相手から押し付けられるのも簡単で、何もせずに100%ピッタリ合うことはあり得ないだろう。
これも若いときなら話し合わずに察したりして「仕方がない、相手に合わせようか」と思うこともできるのかもしれないけれど、今は変化を押し付けられることは絶対に無理だ。結果的に私が合わせることになっても構わない部分はあっても、コミュニケーションをとってからにしたい。
そんなことを考えていると「理想通りにはいかないのよ」なんて、外部(主に既婚者)からの声が聞こえてくる気がする…幻聴だろうか。さて、「理想通りにはいかない」ってなんなのだろう?その発言には、いくつかの見落としている点があるように思う。
・「私たちはうまくいかなかった」「私たちはうまくいっていない」の公言にすぎない
そんなこと、いろいろ考えたってね、たいていうまく行かないのよ!という人の、うまくいく、いかないのサンプルはどれくらいか?せいぜい、自分のうち、周りの友達数人…というレベルじゃないだろうか。子どもが「学校で、みんな持っているから買って!」と言い出すのと同じだ。みんなって誰?と聞くと、だいたい数人。数を数えるのに、1人…2人…それ以降はみんな!と勘違いしてしまうのだ。厳しいかもしれないけれど、所詮、自分のうちはうまくいっていないのよ、と教えてくれているレベルの発言なんじゃないだろうか。婚前契約書を結んだ経験者1000人くらいからアンケートをとって、良かった点、改善点を聞いてみたい。どこかに調査結果があるだろうか。
・理想は都度変えていくもの
婚前契約書の場合は、契約締結時の感情が含まれる。また、親族関係についてだと、結婚前は互いの親が健康で元気に過ごしていても、結婚後何年かして急に病気になるなどの変化が現れているかも知れない。そうしたときに、最初にこうやって契約したから、とは言えない部分が現れて、見直しが必要になってくるかもしれない。理想はあくまでその当時の理想である。とはいえ、状況が変わったときに一方的にどちらかが契約を破棄したり書き換えたりすることを許すわけではない。「変わったときには、それはそれで話し合いましょう」と約束しているということがポイントなのだ。だから、理想通りにはいかない、というのは、理想が固定化されているときの言葉で、理想もまた変化していけばいいのだ。
・うまくいかなくて当たり前、だからすり合わせる
とはいえ、「理想通りにうまくいかないのよ」というのは、内心100%同意する。そうなのよ、人生は型どおりにはならないのよ、うまくいかないのが当たり前なのよ。理想通りに行くのが当たり前じゃないし、だから無理してでも理想に合わせましょうよ、というのでもない。うまくいかないのが当たり前だからこそ、何かが目の前に立ちはだかったとき、乗り越えたり、避けたり…ということがポイントになってくるんじゃないのか。それが西洋式の結婚の誓いの「病めるときも健やかなるときも…」ってやつじゃないのか。
・「あなただからうまくいった」という側面
逆に、こういうパターンもあるかもしれない。「私たちはこれでうまくいった。うまくいかないほうがおかしい」と押し付けてくるパターン。恋愛系になると途端に増えるこの押し付けは一体なんなのか。一組が成功したからといって、それが普遍の成功パターンとは限らない。たまたま運がよかったのかもしれない。いろんなめぐり合わせがよくて、衝突が生まれなかっただけかもしれない。そうすると「それはあなただからうまくいった。うまくいってよかったですね!」と返事するしかないのではないか。ケース・バイ・ケースなのだから、だから私たちは、私たちのベストやベターを、私たちで模索しないといけない。
そんなことを思ってはいるのだけれど、パートナーには上手に伝えないと「えー…めんどくさい」と言われてしまうかもしれないという不安はある。まったく真剣に考えてくれず、このことに関して相手にしてもらえないかもしれない。私がどれくらい丁寧に伝えられるのかにかかっているのかも知れないけれど、大事なことからは「めんどくさい」「しんどいから」と逃げてしまう性質のある相手なのかもしれない…ということは見抜くべきポイントなのかもしれない…。でもそうしたときに、果たして、冷静な態度が取れるのか?結局、自分も、たしかに、こんなにいろいろ事前に考えてもね…なんて流されてしまいそうな気もする。そして、あれ…?ってことにならなければいいのだけれど。
正直、これをパートナーと一緒に考えたって、すれ違いは生まれるだろう。盲点となって事前に気づかず、あとから「はぁ…こんな問題が生じるなんて!」ってこともあるかもしれない、ないかもしれない。だから、あまり深刻にはなりすぎなくていいのだと思う。
ただ、婚前契約書のポイントはひとつ。夫婦として二人の当たり前を作っていく、二人の家庭を作っていくというプロセスを大事にしたいということ。だからこれに「あなたがおもしろいと思うのならば」と付き合ってくれる人なのか、「めんどくさい」と言ってしまえる人なのか、リトマス試験紙にも使えるのかもしれない。
そして、めんどくさいと言われて終わりなのではなく、そこから、きちんと私が思いを伝えられるかも、きっと今後に関わってくるだろうし、それに向き合い直して、なるほどと理解を示してくれたら、いい未来を築けるのかもしれない。…し、いろいろやっても、結局「ダメだったわ!(てへっ)」ってなかんじで離婚するかもしれない。だって未来は誰にもわからないから。ま、それはそれな人生だ。
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