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知覚を鍛えてクズにならない・見分ける

9月17日


はじめに

今回のまとめは今世間を賑わせている中居くん・松ちゃん問題を分析するような内容になってくる。
「ハニトラだったんじゃない?」
「結局どうなの?」
とその問題自体に囚われるのではなく、この問題の含む厄介な根本を見ていく。

見える奴になる

一対一で対話をしていて相手が寒そうだな、疲れているかな、眠そうだな、など相手を見ていると相手の様子が“見えてくる”ことがあると思う。

この“見える”が現代人ができなくなりつつある。

それはテンプレにはまり、「これをすれば相手は誰でも絶対に喜ぶ、外れない」ということにばかり熱を注ぎ、相手を”見ていない”からだ。

ここで考えるべきことは
「自分は本当に相手を心から喜ばせられているのだろうか」
「目の前のこの人を幸せに導いているのだろうか」ということである。

自分なんかが…と思ったり、私はなんでも与えられる!私はすごいんだ!と思ったりしている人がいたとしたら、少し立ち止まって考え直してほしい。

なぜなら、自己肯定感が究極になさすぎたり、ありすぎたりすると
人を埋め合わせに利用するからである。(権威を利用して)

自分は県知事だからやってもらって当たり前だろう、
私は母親ですべてを我慢しているんだから勝手に飲み会に行かないでよ、
自信なくて何にもできないから全部やって、お金頂戴、おうちにも泊まらせて、。
俺は有名人なんだからかわいい女の子を連れてこいよ、、、あっ。

こんな人たちがネットを見ていると、うじゃうじゃと存在している。
この人たちは相手を幸せに導くことができるだろうか。
「自分は違う」と思わずに、自分自身の言動を今一度見直してみてほしい。

告白はスジ悪

本来【合意・同意】とは、もらう側が要望しそれに見合ったものが与えられてそれを承諾したことによって成り立つ。

しかし、通信販売のように売り手が無理やり押し付けてきた場合、断るに断り切れないこともあるだろう。
この場合でも売り手から見れば契約は成立しているため、「合意しましたよね?」と言われてもおかしくないのである。

この仕組みが告白に持ち込まれてしまっている問題がある。
本来〔知覚〕によって恋人同士になったり、一緒に過ごしたりすることを選ぶことができるはずなのに、言語の〔合意〕によって恋人の契約がなされてしまっている。

宮台真司の言葉を引用して申し上げると「告ってイエス」という悲惨な流れになってしまっているのである。(人間関係が契約になっている)

この〔知覚〕というものは先述した通り、見えるかどうかの問題である。
相手が喜んでいるか、幸せに感じているか、をしっかり見る必要がある。

一緒に部屋に入ったんだからこれは合意だろ!
と勘違いする奴がいるかもしれませんが、相手にはあなたの存在が銃のように見えていた可能性もある。
としたらそれは本当の合意だったのでしょうか。


クズ化を防ぐ

では、見える奴になるにはどうしたらよいのか。

簡単に申し上げると、「自分ってどうしたら見える奴になるんだろう」と心の底から感じられるか、心に傷がついたかが重要である。

これは自分だけでどうにかなるものではない。
この気持ちは”気付き”によって起こるものであるため、その気付きがいつどこで何によって与えられるかは分からないのである。

じゃあどうしようもないじゃん!と思っているかもしれないが、案外そうでもない。

気づきとは感動ともとれる。
この感動を与えてくれるものが小説やアート、映画、音楽などである。
「自分は閉ざされた存在だったんだ」
「こんな考えが…!」
「この人の思いが伝わってくる、もっと知りたい!」

言語ではない〔知覚〕する力が育まれるのである。

全て言葉や情報、スペック、権威ばかりに頼ってしまう現代だからこそ、
人間のもともと持っている〔知覚〕を鍛えることが
今求められていることなのではないだろうか。


感想・まとめ

見える奴、知覚についてまとめた。
今世間を賑わせている問題の渦中にいる人が、もれなく全員見えていない人であることが改めて理解できた。

相手がどう思うか、今相手はどのように感じているかを
自分の都合のいいように解釈する人が増えてきてしまっているように感じる。
そのため、多様な人とつながったり、それが難しければ映画や小説、音楽、歴史などで様々な人の思いを感じとるチカラを培ってほしい。

まなちゃる🥟



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