1/25に新商品を販売します!

どうもマサルです。

遂に念願の水産加工品が2024年の1月25日に販売できることが決定しました!

何を販売するかはまだ秘密です。楽しみにしておいてください!

「今までも商品出してたじゃん?念願ってどういうこと?」とお思いの方もいると思いますが、実は魚介類を捌いて冷凍するまでの加工を一次加工といい、調味料を加えたり加熱処理する過程を二次加工といいます。

一次加工は比較的に申請や処理が簡単で、今までも夜光貝や伊勢海老を冷凍したものを販売することができていました。しかし、二次加工は非常にハードルが高く、今回の商品を出すまでになんと2年半の月日を要してしまいました。まさか、当時高校1年生だった学生が高校3年生になってしまうほどの月日を準備期間に要してしまうとは。

さて、今日はそんな2年半も要した水産工場の立ち上げの葛藤でも書いてみようと思います。マサルが愚痴ってるなーぐらいの感覚で読んでもらえると嬉しいです。

僕は19歳の頃にYouTubeを始めてからずっと「結果出せないなら死ね。死にたくないなら生きてる間中努力しろ。」と自分に言い聞かせてきました。

本当は18歳のタイミングでYouTubeの計画を作ったのですが、僕は失敗するのが恐ろしく行動力が無く行動に移すまで自分を説得するのに1年かかってしまいました。

YouTubeを始めてからはその信条どおり、全財産と遊びたい年頃の全ての時間を一切合切賭けて、週5でアルバイトをして休みなく動画編集や喋る練習に明け暮れました。祝日も年越しの瞬間でさえも動画編集をしていたことを覚えています。
また、全財産と自分の時間を全てを賭けたぐらいでYouTubeで頭角を表せると思っているほど自分に才能があると自惚れてなかったので文字通り命もかけました。多くの方から見ると『変なもの』を食べる動画を出していたのは、半分興味でしたが、半分は「YouTuberとして結果を出せないなら死んだ方が良くない?」といった狂気じみた感覚でした。

まあそこまでやっても数字は全く付いてこなくて、ただただ食中毒にあたりながら一銭も稼げない仕事を1日も欠かさず行う日々が続きました。当時付き合ってていた彼女には「いつまでそんなこと続けてるの?」と呆れられ振られました。

しかし2年ほど続けたタイミングでようやく結果が出るようになりました。

これが終わりの始まりでした。

狂気じみた努力をしてようやく辿り着いた成功体験から、19歳の頃に打ち立てた信条はより一層強固になり、どれだけ上手くいかないことがあっても「単なる努力不足。もっと頑張らなきゃ。」と思うようになりました。果てには「ほぼ全ての物事は努力次第で解決できる」と思うようになりました。

そんな感じで島の漁業を盛り上げるという行政ですら成し得ない無理難題こそ「俺がやらなくて誰がやるんだ」と思うようになりましたし、『たとえ水産工場を立ち上げたことが無くて実力不足でも、努力次第でなんとかできるだろ』と思っていました。

ただ、よくある話ですが、全く知らないジャンルの仕事は割とキツめに見積もっても人がやってるのは簡単に見えるし、実際にやってみると信じられないぐらい大変なものです。

水産工場を始めてからというもの、YouTubeの企画をして撮影をして編集をして、さらに土地を探して交渉に行って衛生管理を学んで魚の鮮度劣化に付いて学んで仕入れの交渉をして市場分析をして従業員の雇い方や指示を出す側の振る舞い方を学んで融資の交渉をして顔を広げる飲みに行って、飲みに行ってたら「あいつ飲み歩いて金持ちアピールして印象悪い」と言われ「それは誤解だよ」となだめに行ったり。
例を挙げればキリがないですが、もはやいくら仕事効率を上げようが努力量を増やそうが対応できないレベルの仕事量になってしまいました。

たくさんの大人に「その年齢と経験値でやるビジネス規模じゃないから損切りしないと人生終わるぞ」と忠告を受けました。しかし大勢の前でやる宣言もしてしまった上に多額の支援を集めた以上、「ごめん。やっぱ難しそうだから辞めるわ!」と自分の考えを曲げるような勇気は僕にはありませんでした。

とにかくガムシャラに一つ一つ問題解決していきました。

永劫終わらないように見えた課題も、土地の契約を決め、工場を立ち上げ、衛生面の問題をクリアし、少しずつではありますが加工品の販売までの筋道が見えるようになってきました。

そして建物の建設は開始から約1年で終了し、その数ヶ月後に今回販売する商品の開発が決定しそれに向けて動き出しました!

思えば『凄いスピードでそこまで持っていったな』と思いますし努力自体はそこまで大変では無かったのですが、今だから言いますね。

当時、所持金4000万円ぐらいあったのですが設立に1億円かかるということで6000万円借金して工場を立ち上げました。
少しでも選択をミスったら自己破産に追い込まれる金銭状態で、同時にスタッフの人生に多大な迷惑をかけてしまうというプレッシャーもあり精神的にかなりの負担になっていました。

そんな中、6月に商品の味の開発がようやく終わり、あとはさまざまな検査やパッケージングのところまで完成しました。ここでようやく商品リリースの4割が完成といったところです。

それと同じタイミングで、なるべく漁師のリアルを知ってもらって、新商品のバックグラウンドまで見てもらいたいという思いから1ヶ月漁師生活の撮影を開始しました。この動画は実は6年間の集大成で「努力次第でダイエットができるよ!」だったり、「努力次第で目標をどんどん叶えていけるよ!」という、『今何かしら頑張っている人の背中を押せるものになればいいなー』っと思って作りました。

しかし、6月の毎日10〜14時間の撮影、7、8月の異常な日程での編集に僕の体は耐えきれませんでした。
どうやら僕は休みなく仕事をできる体力を持っていたわけではなく、単に疲れに対して鈍感なだけだったようで、6年間にわたる酷使で8月中旬にぶっ倒れてしまいました。

倒れてからというもの、2時間連続で起きてるだけで意識が飛ぶほどの眠気に襲われ、気絶時に転けて折れた4本の背骨の激痛で意識がある間ずっと冷や汗が止まらない日々が続きました。さらに記憶力と思考力もほぼ失いました。
自分に努力という呪いを掛けてきた人間が、努力はおろか自分の生活すらろくにできなくなりました。結果のみを考え努力を生きる理由にしていた僕は、その何一つすらできなくなった状況に言い表せないほどのショックを受けました。

それと同時に『沖永良部島の一次産業を盛り上げる』と旗を立て、2500万円も支援していただいたたくさんの方々、僕の考えに賛同して前職を辞めてまで仕事をしてくれてるスタッフの面々、「私が持っててもお墓に入るだけだから君にかけるよ」とお金を握りしめて僕に渡してくれた島の住人の方。色んな人の顔が思い浮かびました。

たくさんの人の人生を巻き込んだにも関わらず自分の体調管理すらできなかった不甲斐なさ、そして回復の見込みが分からないレベルまで体を酷使してしまった自分の責任の重大さを認識し、正直どうすれば良いか分かりませんでした。


何一つできなくなった僕は努力することを諦め、スタッフの皆んなに仕事を託して3ヶ月ほど療養に専念することにしました。

そして、なんとこの3ヶ月間でスタッフだけで商品を完成まで持っていってくれたのです!

完治まで2年もかかると言われていた僕もまさかの3ヶ月で仕事をできるまで回復することができました。今回の失敗で、今の事業規模は僕1人の努力では絶対に太刀打ちできないところまで来ていると痛いほど理解しました。そして人に頼ることの重要性を学ぶことができました。
これからは自分の体力に依存した努力ではなく、人に頼り頼られ協力し合って作品を世に出していこうと思います。


そんなこんなで2年半にわたる執念と、その執念に付き合ってくれたたくさんの方々の協力のおかげで遂に1月25日より新商品をリリースできることになりました!

前回、夜光貝や伊勢海老を販売した際にたくさん意見を寄せられていた
・調理せずに食べられるものがいい
・送料が高すぎる
・到着が遅い
以上の3点を全て解決した僕らの最高傑作です!


販売まであと1ヶ月と少し。沖永良部島の味覚をぜひご賞味あれ。


さて、島の漁業を盛り上げるという無理難題、ようやくスタート地点です!

「俺たちがやらなくて誰がやるんだ!」

スタッフのみんな、ファンのみんな、地元の皆さん、全員でこの途方の無い夢を叶えられる未来を作れるよう精進していきます。

マサル1人では何もできないので、どうか皆さん頼らせてください。
これからも応援よろしくお願いします。


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