Johnny Deppの裁判で過去に受けたDVを思い出す
Johnny DeppはEdward Scissorhands (シザーハンズ)で知り、一味違う役者だなと思っていたけど別に大ファンではない。なので、なぜ最近行われた元妻との裁判に見入ってしまったかがしばらくわからなかった。暴力で傷ついている、ただ我慢するしかないものすごく複雑な苦痛が垣間見られる様な裁判だった。
裁判が終盤に差し掛かった頃、なぜ会った事も特に大ファンでもない二人の役者の離婚がここまで気になるかがようやく分かった。過去に自分もDVを受けていたな、と、恐らく初めてじっくり向き合うきっかけをこの裁判を見つけた気がする。私も10年以上前に当時一緒に暮らしていたパートナーから数年間に渡り、多い時は毎日、暴力を受けていた。
Johnnyが本当にどこまでの暴力を受けていたかは誰も知ることは無いと思う。女性がDVを受けても男性が受けても、多くの場合、受けた側はそれを隠す。人に隠し自分に隠す。人に隠す為に自分にも隠す。逆もある。自分に隠す為に人にも隠す。身の回りで起きているDVを見ても、自分が受けたDVを思い起こしても、暴力を受ける理由が自分にあると信じて疑わない様になる。この文章を書いていても自分を「被害者」と書けない自分がいる。
男性である自分がDVを受け始めると、防御をどうするかがポイントになる。男性であるが故に、飛んでくる足や拳を静止しようとすると相手が逆上し暴力だ、と騒がれたことも多々あった。結局丸くなって、手当たり次第に身を守れそうなものを頭から被り、相手が気がすむのを待つしかない。
DVに限らず言葉の暴力も理解に苦しんだ。殴る蹴ると言った行為を何か別のものと取り違えることはなかなかないが、言葉は違う。言葉の暴力を受ける側が痛みを感じるのは随分時間が経った後の事もある。言葉の暴力は何の前触れもなくいきなり飛んでくることが多い。なので防げない。ただ気付かないふりや、我慢はしやすい。
Johnnyの元妻もそうらしいが、私に暴力を振るった当時のパートナーは、二人の関係が終わる直前に差し掛かると、自分はDV被害者だ、と主張し始めた。今回の裁判は陪審員が7名いたが、Johnnyの元妻の要望により1年間は陪審員の身元は公開されない。おそらくだが、自分の元パートナーもそうだが、自分の最も醜い姿が世間にバレるのがかなり怖いのだと思う。その為にかなりのエネルギーを使って相手を攻撃する。結局最後まで暴力を使い、相手の動きを制御する。
DVを受ける側は常に、なぜ暴力を受けるのか、自分のどこがそうさせるのか、を問う。ここがポイントだと思うのだが、私はどんな状況でも双方の視点や気持ちを理解する事を重要としている。恐らく多くのDVサバイバーも同じだ。相手の理由を理解しようとする。少し理解ができると、ああ、暴力を振るわれても仕方ないかな、と思うようになる。今思い返すと理解できた気がしていただけかもしれない。
暴力を振るわれても仕方ないと思うだけではなく、相手の恐怖などもわかってくると、ほとんどの場合、我慢をする以外前進の仕方が見えなくなる。相手も目に見えない憎悪と戦ってるんだな、と理解し始めると、怪我をしない様に、痛みを誤魔化しながら生活する、と言うサイクルに入る。
男性がDVを受ける場合、顔などに物をぶつけられない限り、ほぼ後が残らない。時々友人などにに心配されるような傷が残った場合は、「パートナーに一発くらっちゃった」、と笑いながら誤魔化すと、ほとんどの人が笑い流す。おそらくほとんどの場合、男性の私が殴られても仕方が無い何かをしてしまった、と解釈するのだと思う。今回の裁判でも議論になったが、男性がDVを受けた場合、そに逆の場合とは周囲の反応と理解が全く違う。
裁判を見ながらフツフツと昔負った傷がまだあまり癒されていない事に気が付いた。私は我慢強い方だ。医者やマッサージ師にもよく言われる。だからDVも耐えられた、と思っていた。そうではなく、向き合うタイミングをものすごく遅らせることが出来ただけな様な気がする。
我慢強いだけなら良いのだがプライドも高い。色々認められない。自分の弱さやコントロール不能な状態に陥った事など。今回の気付きでもう少し楽になれたら良いなと思いながら書いている。
我慢の仕方について、プライドについて、自問の仕方について、DVサバイバーとして本当の回復について、相手の恐怖について、色々まだ整理が必要な様だ。