駱駝革命は私の中でも革命だった
武道館、あの時はまだSUPERBEAVER?wって小馬鹿にされることも多かった。あのころとは違う、満を持して凱旋じゃなく、ツアーの中でしかも3days、満員御礼。たまアリも3年前はコロナ禍で半分しか入れなくて声出しも出来なくて。それでもこんな広いところでできるなんて凄いとは思ってた。でも同時に悔しい気持ちもあった。
わたしならこのアリーナをライブハウスに出来んのに。って。
幸せのために生きているだけさを始め、アルバム曲も全て敢えて聞かず現場で初めて1から新曲を聞くってのをしばらくしてなかったからしたくて、聞かずに望んだ。
歓ぶ姿に、何度救われてきただろうって歌詞に脳裏を過ぎるのは「嬉しそうな顔してあなたがステージにあげてくれるから」って泣いたぶーやんの姿や感極まって泣くメンバーの姿。私はビーバーに救われ続けていたけどビーバーもまたあなたに救われ続けて今こんなに沢山のあなたに囲まれて仲間が増えて嬉しいんだ。そう考えて涙が止まらなかった。
切望。ビーバーがずっと言ってること、地に足つけて歩いてきたって、歩いてるって。私はその言葉に鼓舞され続けてきて地に足ついてないなって時もあったしビーバーを真正面から受け止められなくて避けてたこともあったけど色んな経験をして咀嚼し続けてきて今は地に足つけて歩めてる。自信がある。グッと踏み締めて私の誇りだ、大好きだ、凄くいいんだって周りに伝えても伝わらなくて俯いてもう1人で追うからいいよって思ってた。もう俯かなくていいぜ。って、そんなドンピシャに言うなよ。対峙で、伝えあって、だから愛をお互いに感じられるんだろってモヤモヤしていた、なんでも受け入れてくれるって勘違いすんなよって。無償の愛じゃない。またドンピシャに言われて胸が熱くなった。私が見て感じてきた彼らは間違ってなかった。
値千金はもう聞いていた曲だけど、武道館に響く「また、ここから」そのフレーズに熱くなるものがあったな。
東京流星群、6年前と少し違う空気感。なんだろうな、この曲は何となくずっとビーバーと寄り添って歩いてきてるって感じがすんの。だから変わってってんだよな。線引き隔たり一切合切を排除、その言葉が私好きなんだ。普段できないじゃんなかなか。手放しにそれが出来る存在ってなんて尊いんだろう。
美しい日、手拍子とシンガロングがいつもグッときちゃうんだ。会場に響く手拍子とあなた一人一人の声に泣けるんだよ。クロスしてあなたの真ん中にあるものがひとつの場で一緒になる。ぶーやんも言ってたけどほんとにロマンだ。予感も同じ。「予感のする方へ」ってアルバムVerで聞いたあなたたちの声にまだ、また、これを聞くまで挫けられないって規制自粛だらけの世の中で踏ん張ったんだ。
武道館で初めて聞いた小さな革命。もう全てがグサグサに刺さった。「当事者であれ」ずっとずっと言い続けてきた言葉でそれがまだ身に染みてない人だって増えたよな、でもそれがでかくなるってことで…ってモヤモヤしてたんだけど音楽で訴え掛けてきたってことはずっと当事者意識を持ってた私はやっぱり間違えてなかったんだよなって涙が止まらなかったな。
一気にとか大きくとかいきなり走るとかじゃなくていいんだよ、小さな革命、ゆっくりそれぞれのペースでさ共に音楽作ったりしたいよね。いつかもしかしたら飲みに行ったりできる友達ができたりするかもな。
初めての武道館の頃、
「SUPERBEAVER?なにそれ?w」「しらないw面白い名前w」「何?ジャスティンビーバー?w」「ロックバンドなのに礼儀正しすぎない?w」
って言って小馬鹿にしたヤツら、今こんなにたくさんの仲間できたんだ。私が信じて誇りだと胸張っていえないような気持ちにさせたオマエら、見ろよ。これがSUPERBEAVER。馬鹿にしたこと後悔しろ、ざまぁみろ。って思ってる。
もっともっと一緒に音楽したい。ずっとずっとずっとずっとずっとずっと地続きなんだって。
まだ初心者だから?ライブもまだ初めて行ったばかり?そんなの関係ない、音楽しようよ。好きを大切にしてこうよ。
あなたが居てくれてるから今のSUPERBEAVERがあって、悔しい気持ちを抱えてきたわたし達が報われてんの。ありがとう。ほんとにありがとう。
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