「いい推しの日」ということで
11月4日。
1104の語呂的に「いい推し」の日ということで。(大遅刻)
推しのことと、今後の推し活についてちょっとだけ触れたいと思います。今回は文量短めです。
今年、推しに言われてすごく嬉しかった一言
「推し」と言ってもキャラクターの推しだったり、三次元の推しだったり、色々あると思います。僕は二次元・三次元の両方に推しがいるんですけど、自分が「推し」という言葉を使う時はだいたい後者の女性声優のほうです。
やっぱりお互い生身の人間なので、喜怒哀楽を共にできたり、色々経験をしながら、一緒に年を取っていくのが楽しいんですよね。そんな推し活で、誰とは言わないんですが応援させて頂いている推しから今年すごく嬉しい言葉をかけていただきました。
また来てね!…とか言わなくても、あるぴさんは絶対来てくれるよね(笑)
なんでこれが嬉しかったのかと言うと、「はい!認知ゲットー!」とかでは全くなくて。。。
僕の推しってあんまり自己評価が高くないようで、”自分の”ファンがいるということについて懐疑的な言葉を昔からよく発していたんですよ(そんなことないのにね…)。それでもやっぱりプロだから、ステージだと不安なんて見せずに最高のパフォーマンスで魅せてくれて。リーダーをやっていた時はファンには見えない色んな重圧もあったと思うんだけど、あの当時の姿はとりわけ本当に格好良かった。
そんなあなたが好きな個人のファンもちゃんといるんだぜっていう事を伝えたくて、ずっとお手紙を書いたりとか、現場に顔を出したりとか、あの手この手で応援をしていた訳だけども。
やっと、、、やっと認めてくれたんだなと。。。あなた個人を追って来るファンがちゃんといること。
初めて個人イベントでお話してからもう何年も経ってるので、何年もかけた我慢比べに勝ったような、そんな気分でした。だから嬉しかったんですよね。。。なので、言われた相手が仮に僕じゃなかったとしても、すごく嬉しい気持ちになったと思います。
今後の推し活について
すみません、正直ここから先はあんまりいい話じゃないです。。。
詳しいことは何人かの人にはお伝えしたんですけど、推し活のスタンスを少し考え直して、しばらく一人か、気の合う人とだけで静かにのびのび推し活をしていこうかなと思っています。
推しから離れるとか、推し変をするとか、そういう事ではなく、あくまで変えるのはスタンスであって、今後も応援を続けることは変わらないです。
何でっていう理由をぶっちゃけてしまうと、色んなところでオタクをしているお陰でオタクの知り合いもたくさん出来たのですが、時々どうしても目についてしまう推しに対して不誠実な言動をする人達から、ちょっと距離を取りたい。そうしないと自分が持たないかもしれない…と思ったからです。
敢えてビジネスライクな言い方をするんですけど、例えば自分が客商売をしていて、お客さん一人一人に誠心誠意対応するけど、ずっと無反応が続いたり。客商売じゃなくても自分で為した仕事の成果について上司から何もフィードバックがなかったり。そんな事が続いたらどうですか?仕事人として今自分がどういう立ち位置にいるのか、わからないでしょ。不安になるでしょ。それでも此方は客なんだから、消費者として楽しむだけ楽しませて貰えばいいし、何も返す義理なくない?…と言うだけなら別にいいんですよ。そういう姿勢も理解しますし、それで正しいと思います。ただ、普段ろくにフィードバックもしないし、公式が企画募集しても全く反応すらしないくせに、「ウチの推しはSNSあんまり見ないからいい」とか、何の根拠もなしに「〇〇が良くないんじゃないか」みたいな陰謀論じみたことを吹聴する一部の人達のことは個人的にどうしても気になってしまいました。
そしてここだけは釘を刺しておきたいんですが、「ウチの推しはSNSあんまり見ないから」って、一体どういう神経で言ってるんですか?
自分のために対価を払って、わざわざ時間を割いて来てくれているお客さんのことを、私は見ません。見ようとすらしません。顧客の情報を調べるというマーケティングの基本すら私はできません。そういう人なんです、私の推しは。という侮辱的な発言だと思うのは、僕だけですかね?
応援しているのなら、やっぱり推しと一緒にすごせる時間は続いて欲しいじゃないですか。推しにあれこれ要求して、思った通りに推しが動いてくれないと怒って攻撃するようなオタクはさすがに論外ですけど、応援をするということは「期待する」ということとは不可分だと思うのです。「あなたのこういう所が好きです」とか、直近のイベントが自分の求めているものと違ったとしても「次はまたこういう企画を見たいです」とか、ポジティブな伝え方だっていくらでもできるし、建設的な内容であれば期待していることは全然伝えて良いと思うんですよ。そういう声を通じて皆は何をすれば喜んでくれるんだなっていう手応えを伝えていくのが良き推しとの関係だと僕は考えてます。要するにこれが言いたいんですけど、払った対価・時間に対して良いサービスが提供されたら、ちゃんと「良かったよ」と伝えたり、求める水準のサービスが提供されなかったとしても「一緒に改善していこうよ」という姿勢が愛だと僕は思うのです。コンテンツを続けていくための建設的な意見を出しても改善されないからって言うならまだ分かる、でも普段何もしないくせして愛情を欠いたネガティブな言動を見てしまうと、どうしても推しが一人置き去りになってしまっているように見えて、なんだか寂しい気持ちになってしまうのであります。。。
自分も仕事等でそこそこ忙しい中で、お金と時間を割いて推しに会いに来ている訳です。それはやはり、推しとの充実した時間を過ごしたいと思うからです。しかし残念ながら人間って、いい事10個よりも悪い事1個のほうがどうしても心に残ってしまう。さらに自分の本当に良くない癖で、ふとした事をきっかけにあれこれ考え悩んでしまう。念のために言っておくと特定の人達をけしからんと思うよりも、自分が静かに病んでいきそうな気がするという意味合いのほうがむしろ強くてですね。果たしてこんなんで自分は純粋な気持ちで推し活を楽しめているのだろうか…そもそもそんな葛藤を抱きながら応援されて嬉しいのだろうか…んじゃあ、しばらく静かに応援するかぁ!…ということに思い至った訳でした。
後半はとても良くない話題だったと思いますし賛否もあると思いますが、いい推し活とは何かを考えるひとつのきっかけになればと思います。
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