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中国人が見た日本:博多紀行その一:長き時代を経て、新たな命を吹き込む
日本の九州北部にある福岡県に、日本人なら知らぬ人のいない場所——博多がある。博多は九州の中で最も往来の激しい交通の要衝であり、福岡県庁、福岡市役所の所在地でもある。
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古書を紐解くと、「博多」という文字は頻繁に出現する。かつて、九州の経済と文化の中心だった博多の名前は、現在の県名や市名をはるかに凌駕する知名度を誇る。
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6、7世紀ごろには、地理的条件の特殊性から、博多はすでに中日文化交流の重要な窓口になっていた。本州を出発点として太平洋側を抜けて出国に至る航路の最後の港が博多だったのだ。盛んな人の往来や貿易によって、博多は繁栄を極めた。それは、江戸時代に日本政府が「鎖国」を宣言し、長崎のみを国外交流の拠点と定めるまで続いたのだ。
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昨日、友人とともに博多を訪れた。残念ながら天候に恵まれず、春雨がしとしとと降っていたため、いっそのこと博多駅内で思い出に浸ることにした。“思い出に浸る”と言う訳は、筆者が福岡に留学していた当時、ここが通学の乗り換え駅であったためだ。留学期間中は勉学に集中していたため、博多の風情を気に留める余裕もなかった。
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今、博多を再訪して思うのは、「風景這辺独好(この地の風情や良し)」である。もっとも、現在の博多駅はかつての姿を一新している。2011年、数年にわたる改修・再開発を経て、交通・飲食・ショッピング・娯楽が一体となった総合商業施設として生まれ変わったのだ。
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博多駅の地下と最上階に位置する9、10階は美食の"集散地”だ。それぞれ特色のある店舗が軒を連ねている。ちょうどお昼の時間だったので、「利休」という牛タン料理店でたらふく食べた。牛タン料理は仙台市の名物だという。当時の魯迅先生もこの牛タンを食べたのだろうか。
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ご馳走の後は、春花が雨の中で美しさを競う屋上庭園を散策。屋上から遠くを望めば、古今の建築が互いに照り映え、美しい景色を作っていた。(続く)
【出典】https://www.toutiao.com/article/7085531823320646184/
【翻訳】Crash & Tackle