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中国人が見た日本:博多紀行その三~博多千年門

九州地方の交通の要衝である博多駅の博多口を出ると、右手に長い陸橋があり、そこから数分歩くと、博多の古い町並みが見えてくる。 博多駅の地下から、長い通路を歩いて行くことも可能だ。

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まず目に入るのは、2014年に作られた真新しい木製の門で、榫卯(しゅんぼう)構造の、独特な雰囲気を持っている。 太宰府天満宮の人物により書かれた「博多千年」の文字が墨書きで刻まれている。

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背面の扁額には、中国径山万寿寺の戒興老師が書いた「万年正続」と正楷書で刻まれている。 「万年正続」という言葉は、経典を学ぶために宋の「取経」に渡った日本の名僧、栄西の作品にある。 日本茶の祖先であり、日本における臨済宗の開拓者でもある(詳しくは別記事)。

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この門の内外にある黒と白の2枚の扁額は、日中両国の文化の交流と融和を表現したものであることは間違いないだろう。

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白い扁額が博多湾を向いているのは、1000年前に日本船が朝鮮半島や中国に出航した方角であることが興味深い。 黒いプレートは、帰国者が上陸して向かったであろう太宰府(詳細は別記事)の方角を向いている。 ガイドによると、門の2枚の扉は太宰府の樹齢千年のクスノキ、それ以外はヒノキでできているとのこと。 門の上部にあるまぐさの白い模様は、博多織の独特の模様だという。

長い間、門の下に立っていると、砂金や硫黄などを積んだ日本の商船が中国に向けて出航し、海に消えていく姿が見える。また、中国の仏典や儒教の古典を積んだ宝船がぐんぐん海に近づき、無事に帰国した使者達が、この門をくぐり、長い間留守にしてきた大宰府に報告へ戻る姿が、浮かびあがってきたのだった。

【出典】https://www.toutiao.com/article/7094246337046594083/
【翻訳】松本忠之

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