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中国人が見た日本:日本が世界に誇るオペラテノール歌手・藤原義江記念館を訪ねて

李鴻章通りを少し登ると、「藤原義江記念館」という目立たない看板がある。 ISさんと私の旅行プランには入っていなかったが、好奇心で立ち寄ってみた。

静かな森の中の曲がりくねった道を抜けると、白い3階建ての、お世辞にも荘厳とは言えない外観の建物が見えてきた。 しかし、入り口にある看板に、6,7つの言語で書かれた看板を見ると、これは何か別のものであるような気がしてくる。

明治時代に下関で最初に設立された外国商社の一つ、ホー厶リンガー商会の代理店であるグラセン商会の経営者の息子の私邸として、1936年に建てられたものだ。関門海峡を見下ろす絶好のロケーションである。 かつては英国領事公邸でもあり、1983年からは藤原義家記念館となっている。これは、藤原氏の父親がグラセン商会の「頭」であったことに由来しているのだろう。

呼び鈴を鳴らすと、気品のある老婦人がドアを開けてくれ、CDから流れるテノール歌手のオペラに合わせて、いろいろと説明してくれた。

藤原は、1898年、ホームリンガー商会で働くスコットランド人の父と、日本人の琵琶奏者の母との間に、大阪で生まれた。 藤原は、何よりも父親の端麗な容姿を受け継ぎ、英日混合の顔立ちも目立たない。

日本に詳しい人なら「義江」が女性の名前であることを知っているであろう。マスメディアが発達していない時代には、多くの人が義江を女性と勘違いしていた。

女性的な名前を持つ藤原は、生涯を通じて多くの女性と極めて複雑な関係を築き、「女性収穫機」とまで呼ばれた。 しかし、それでも同世代のオペラテノールとして世界的に有名になり、藤原歌劇団を結成して世界的に影響力を持ち、彼自身も「我らがテノール歌手」と評されるようになった。 レコーディングの際、歌詞を忘れたり、歌い間違えたりすることもしばしばあったが、日本におけるオペラの普及と発展に貢献したことは間違いない。

記念館から、手入れの行き届いた芝生に立ち、関門海峡を見渡すと、義江のテナーがまだ耳に残っている。 根気強く案内してくれた老婦人に別れを告げ、下関を後にし、次の目的地へと急いだ。

【出典】https://www.toutiao.com/article/7106622436434674216/
【翻訳】松本忠之

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