中国人が見た日本:眼科医HR氏とのいくつかの思い出(下)~子が父から受け継いだ中日友好~
スタッフのひとりが、1990年代に中国の病院に寄贈された機器に感動した思い出を語ってくれた。アメリカから輸入した数億円もする高級で高機能な眼科検査機器は、数年しか使われていなかったが、院長は新しい機器を購入し、「古い」機器を中国に寄贈することを決めた。
中国の税関の規定により、新機材の申告と関税の支払いが必要で、最終的に関税+送料で500万円以上かかり、すべて院長の自腹で中国に到着した。
500万円以上は、日本円の為替レートが低水準で推移している現在では、25万元程度にしかならない。 しかし、1990年代当時は、40万元、50万元は下らない。当時の中国の都市部の人々の平均給与は、数百元/月程度であった。 HRさんは、父親の遺志を継いで行動してきたのだ。
2005年に留学から帰国してからは、毎年HRさんから年賀状が届いた。 HRさんご夫妻には子供がなく、可愛いペットの犬を飼っていて、家族の一員として毎回年賀状に登場していた。 社会人になってから何度も日本に出張しているが、福岡に行くと必ずと言っていいほど、HRさんご夫妻にお会いしている。
2019年の新年、HRさんから年賀状が届かず、心の中で不吉な予感がした。 その年の夏、日本出張の折に福岡に寄り、2日間滞在した。ご夫妻は、私たちがよく知っている福岡市内の小さな居酒屋で私を受け入れてくれた。
その夜、HRさんはワインをたらふく飲み、目を赤くして、父君が前年に亡くなり、数日前に一周忌を迎えたばかりであることを話してくれた。落ち込みながら酒を飲み終えると、別れ際にHRさんは、死の床での父君との言葉を教えてくれた。「私の願いをお前が叶えてくれて、とても安心している。これからも続けてほしい」と。 HRさんの話を聞きながら、赤いビートルカーのそばでお辞儀をする老紳士の姿が鮮明に脳裏に蘇ってきた。
今回の来日では時間に比較的余裕がある。HRさんにアポを取って、またあのレストランにいって旧友を温めようと思う。
【出典】https://www.toutiao.com/article/7114618487623975459/?log_from=6feb9f65bb9e48_1665023319137
【翻訳】松本忠之