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石内都 STEP THROUGH TIME

ずっとながめていたい、この場にずっといたい、と感じた美術館の企画展は稀にあり、これもその一つだった。
桐生市の大川美術館で開催中の「石内都 STEP THROUGH TIME」展が素晴らしく、まるでこの企画展を行うためにこの大川美術館が存在したのではないか、なんて本気で思ってしまうくらい、互いの思想や展示内容が活かされた内容だった。

写真家、石内都による展示は自身の歴史をたどる〈絶唱・横須賀ストーリー〉に始まり、母親の遺品を撮ったシリーズ〈Mother’s〉、近作の桐生を撮ったものまで、かなりボリュームのある内容で見ごたえがあった。
私が特にグッときた写真は、1977-78年頃の作品〈APARTMENT〉シリーズだった。
古いアパートの壁のひびや、住人の部屋に貼った山口百恵のポスター、共同洗面所の水道やタイル…  建物の独特なかび臭さやほこりっぽさ、雨の日の湿った匂いまで感じられるような写真ばかりで、しばらくながめては先に進み、また戻ってながめた。
特にいいなと思ったのは、当時使用していたタイトルシリーズ名の入った板の看板や、写真の解説文をそのまま掲示、使用していることに感激した。
新しく作り直すのではなく、約50年越しに保管しておいたものを、そのまま使う。
板は歪み、色も褪せていて、昔よく見かけたフォントは、かすれて読みにくかったが、めちゃくちゃかっこよかった。
よく見かける“昔のもののように見せるエイジング風にしたもの”とは確実に違うものだった。額装してある写真もあったが、プリントした印画紙をそのまま壁に貼っていたり、そのラフさにも惹かれた。
きれいに整えたものは、それはそれで気持ちの良いものだが、必要以上に整い過ぎているものに、私たちは飽きているのだ。

水道山の急な坂を車で登り、山の中腹にあらわれたこの大川美術館に初めて訪れた。
小さな受付を抜けると、外からも見えたガラスブロックがあり、外の様子と木々がいくつも見えた。ここでもう、私は今日来てよかったとしみじみ感じ、この部分を写真に撮ろうとスマホを掲げてみた。
しかし画面上に見たそこは、ガラスブロック特有の美しさや、差し込む光がまるで失われていたため、撮るのをやめた。
撮影禁止の場所だったのかもしれないが、館内全体には、写真OKやNGの案内はなく、監視員もいない。
美術館が客を信頼しているこの感じを、私はとても好きになった。
写真を見ながら進んでいくと、この外観からは全く想像のつかない、奥の深い構造になっていた。小さな展示室がいくつもあり、そこからは目の届く範囲に大きな作品も見え、シームレスな室内になっていた。さらに階段を降りると迷路のような地下で、順路の案内はなかった。
まるで、自分の好きに見ていいよと言っているようなメッセージを勝手に感じた。
時間をさかのぼるような動線と、部屋どうしをつなぐ2段ほどの階段を行き来し、STEP THROUGH TIMEとつけたタイトルからイメージする空間そのものだった。

庭園の見えるカフェの隣にある小さな図書室には、美術史、図鑑、図録等がぎっしりと詰まっていた。手前のテーブルには石内都本人の書籍や関連本が並べられていたので、椅子にすわり数冊をパラパラ読んだ。
その中でも特に覚えているのが
「からだとはごみのようなものかもしれない」という一文だ。
からだは美しいどころではなく、通俗な生物(なまもの)だと言い切る。
それを凝視するには、写真が一番向いているという。
写真は、表面と内面、全体と部分、あるいは美しさと醜さを、一瞬で逆転させる。撮るたびにその快感を感受している、といったような内容だった。

隣のカフェには女性客がいて、店員にずっと話しかけていた 近所のできごとをずっと

私が石内都のことを知ったのは、昨年くらい最近のことだ。
以前の私だったら、それが自分に深く刺されば刺さったほど、知らなかったことをとても恥ずかしいことだと思っていた。
しかしそんな風に思うことはなく、今までの書籍をゆっくり読んだり、今後の活動を気にしていけばいいことだ。

充分に堪能して、外に出てから、あたりを少し散策した。
水道山の頂上の矢印があったので登ってみようと歩き出したが、長い階段の途中で、車の中に置いてあるスニーカーに履き替えればよかったと後悔した。
頂上から町並みをながめ、石内さんが撮った桐生の写真を断片的に思い出し、今度は桐生市内を歩いてじっくり散歩してみたいと思った。私は桐生のことを何も知らないが、好きな街だ。
まずなんと言っても、名前がきれいだ。
あと好きな理由としては、、、ちょっとすぐに思いつかないので、まあ、考えておきます。

山の頂上から階段をまっすぐ降りたはずなのに、登り始めた場所とは別のところにたどり着いた。不思議に思いながら駐車場までさらに歩き、車に乗って急な坂道をゆっくり下った。
そしてまたなぜか、来るときに登ってきた坂とは別の、知らない道路に降り立った。
全く意味がわからないまま、私は水処理センター付近にあるスパイスカレーのお店へ向かった。