路傍の虎
若い時分は貧乏旅行が好きでよく行ったものだ。一人旅の醍醐味は目的地を定めなくともよいところで、私はオートバイにまたがって好き勝手に方々を回った。もちろん自分探しなどに興味はない。私は当時から安月給だったし、酒も賭け事もしないから娯楽といえば必然的に女性ということになる。地方に行くと地方にしか存在しない性風俗店や性風俗店まがいの店というものが営業をしており、餅は餅屋にというわけで客引きの男に単刀直入に聞いてみるべきである。大抵の客引きの男は俗悪で倫理観は皆無だが、意外なほど良い教育を受けていたりするからままならないもので、丸い目を向けて話しかけたりしてはいけない。虎や熊に遭遇した場合と同じでじっと相手の目を見て、変な店を紹介したら鉤爪で動脈ごとえぐりとるぞという気概を持ちつつ明るくハキハキとすっきり聞こえる声で、すみません遠い街から来たのですが本番できる店はありますか?と聞くといい。客引きの男は必ず、いや警察の方ですか?真面目にやってますから勘弁してくださいと今にも土下座せんばかりで接してくる。ここですぐに3千円を渡そう。多くても少なくてもいけない。3千円を胸のシャツのポッケにねじり込む。旅行をしています。この地方でしかない風俗を教えてくれますか。男の目が虎のように光った。
ねじ式で見たことがあるような多重構造の抜け道を歩いていると、漫画にはないリアリズムを感じる。ソレは匂いだ。腐臭が漂っている。漫画では匂いまで嗅げない。魚の腸の腐った匂い。手を引いて歩いてくれる色黒の女は随分若い気がする。建物に到着する。まったく恐れ入った。路地という路地を縫うようにして現れた違法風俗店は爺さんと婆さんがやっているヤマザキショップである。え?と思うままに色黒の女は菓子パンだの駄菓子だのの棚の横を通って二階へ勝手に入っていく。私も彼女についていく。婆さんの声がする。風呂は沸かすか?女は風呂は入るけど熱くし過ぎないでねというような内容の地方言葉をつっけんどんに言い放つ。暑くも寒くもない季節だとしても得体の知れない男の身体だ、念入りに洗っておくべきである。女はコップにイソジンを注いで水道水を混ぜる。手慣れた手つきだ。私はうがいをしながら女のうなじに流れる汗に見惚れる。ヤマザキショップの婆さんに5千円。それから私に5千円。店に5千円。全部で1万5千円で遊べるけど、大丈夫?と女は私に聞く。私は2万5千円を渡して君には1万5千円だとハッキリと言う。痩せていて、色黒だが涼しい目元が気に入った。じゃあサービスしますから、と女は事務的に答えて金をしまう。風呂が沸くまでどうぞと婆さんが菓子パンとサイダーをお盆に乗せて持ってくる。お代を、というと女がもう払ってあるから、と地方訛りで言った。婆さんが必要以上に絡みつく視線を送ってきたのは嫌だったが、風呂に女と入ってから2階の煎餅布団で女と格闘している間中ずっと婆さんの目線がいいアクセントになった。色黒の痩せている身体はほとんど好みのタイプじゃなかったが、体力はあるし、地方の言葉や作法は面白い。
夕方になって女と私は蚊取り線香の煙を浴びながら、足と足を絡ませて裸で寝転んでいる。窓からはやはりカビと魚の死骸の匂いが漂ってくる。あなた。イカタコ大学の学生さん?と女は聞く。私は笑いながら違うよ、と答える。イカタコ大学の合宿所が近くにあってたまにナンパされたりするからさと面倒そうな口ぶりで女は話す。アダスはプロだすけタダマンなんてしないっちゃ、と女は言う。恋愛は懲り懲りだ。女は言う。同意だね、私は再び女に乗っかってしばらくゴシゴシやって薄い性液を彼女の薄いマン毛にだすとそっちの気が済んだ。イカタコ大学は金持ちの道楽息子とか箱入り娘が通う二流の大学でこんな地方の廃れた海岸リゾートの一角に別荘地を購入した理由がなんなのかは知らないが、大抵の若い男は手に負えないほど獣のように獰猛な自尊心を持て余し、昼夜問わず獲物を物色している。デンジャーだ。私は色黒の女に礼を言って別れる。高校卒業資格をとったらいつかイカタコ大学みたいな大都市の学校へ行って法律家になって虎や熊みたいに獰猛で射精のことしか頭にない人間を片っ端から死刑にするのが夢だと女は語った。彼女に隠れた知性があることをなぜか客でしかない私は誇らしく思った。
オートバイにまたがって私はこの街を通り過ぎた。暗くなって見通しが悪くなってS字カーブに差し掛かるとイタチのような何かが急に横切って運転を誤りガードレールの切れた部分に運悪く吸い込まれ私は崖から転落した。空中で回転しながら、私はぼんやりと鈍く光る赤い三日月をスローモーションで眺めたのだった。
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