『昨夜のカレー、明日のパン』《感想》
「嫉妬とか、怒りとか、欲とか――悲しいかな、人はいつも何かにとらわれながら生きてますからねぇ」
私はいったい何にとらわれているのだろう――
『昨夜のカレー、明日のパン』は、夫の一樹を亡くした主人公テツコと夫の父ギフが周囲の人々と関わりながら一樹の死をゆっくりと受け入れ、穏やかに日常を紡いでいく物語だ。
この本に惹かれたきっかけは、タイトルの「カレー」と「パン」。 体調が悪くお粥しか食べられなかった私には2つの単語が輝いて見えた。 読んでみると、作中に食べ物の描写はそこまで多くない。 美味しい料理の物語で食欲を満たせるだろうという期待は裏切られたのだが、残念とは思わなかった。 この本はまるでお粥のように、弱った私をやさしく温めてくれたから。
物語の中で最も印象に残っているのが冒頭のセリフ。 ある日突然笑えなくなり会社を辞めた客室乗務員〈ムムム〉こと小田宝にまつわる会話の中で、ギフがテツコに語ったものだ。 私は数か月前、ほぼ何も食べられない状態だった。そしてそこから長いこと、体調不良に悩んでいる。 私もきっと何かにとらわれて不調から抜け出せないに違いない。 〈ムムム〉に自分を重ねてそんな風に考えた。でも、何に?
すべての始まりは1年前。大幅な業務分担の変更がきっかけだった。 業務量が倍以上に増え、挑戦的な課題も与えられた。 年次が上がるにつれ業務の難易度が高まるのは当然のこと。 しかし能力の低い私は変化についていけなかった。 どんどん積み上がる書類に「どうしよう」と呟いて、立ち尽くすしかできない時もあった。 以前、「任せていただいた業務量が自分への期待だと思って頑張ります」 なんてとてつもなく生意気なことを言ってしまった手前、周りに助けを求めるなんて出来なかった。 仕事ができる人だと思われたくて、認められたくて、誰にも相談できなかった。すると周りがみんな敵に見えてきて、次第に心の中で耳を塞ぐようになっていた。
そして今年。昇格を果たしたのだがかえって重圧になってしまった。 「昇格した割に使えない。大した事ない。」と思われるのが怖くて、「もっと能力の高い人にならなくちゃ」とばかり考えていた。 いつしか何もないのに焦りを抱えるようになり、挙句の果てには好きな芸能人を素直に応援できなくなった。
こんな風になるなら昇格しなければ良かったのに、と思われるだろう。 しかし私にはどうしても叶えたい理想があったのだ。 それは誰にも干渉されず、自分のペースで自由に暮らすこと。 その第一歩として、まず生活する拠点を変えたかった。 最短で実現できる方法を考えた時、昇格して転勤することしか思いつかなかった。
作中でギフはこうも語っている。 「自分には、この人間関係しかないとか、この場所しかないとか、この仕事しかないとかそう思い込んでしまったら、たとえ、ひどい目にあわされても、そこから逃げるという発想を持てない。呪いにかけられたようなものだな。」
私は自分に呪いを掛け続けていたのだ。 「周りに認められたい」「自由に暮らしたい」 知らないうちに承認欲求と理想でがんじがらめになっていた。 己の能力を過信し、悲劇のヒロインぶって勝手に自滅していた。 なんと滑稽なことか。
理想を抱いて生きることは大切だ。 しかし今とのギャップに向き合い、それを埋めようとしなければ、理想は焦燥や絶望となってたちまち襲い掛かってくる。 私は自分の現在地を知ろうとせず、ただずっと上ばかり見ていた。 理想と自分の距離を知るのが怖かったのだ。 ずっと空を見上げていたら当然首が痛くなる。今の私はそれと同じ。 ならば一度目線を下ろして、どんなに理想が遠くたって、しっかりと今を見つめなければ。 現実を受け入れ、最初の一歩を踏み出そう。
実は先程のギフのセリフに続きがある。 「逃げられないようにする呪文があるのなら、それを解き放つ呪文も、この世には同じ数だけあると思うんだけどねぇ」
私を解き放つ呪文は――?きっとこの言葉だろう。
「前見てるのがちょうどいい」
こんな恥ずかしい話、コンテストに出して良かっただろうか。 今からでもやめるべきだろうか。そんな思いが何度もよぎった。 しかし私は応募せずにはいられなかった。 どうやらこのコロナ禍で何かに思い悩む方がとても増えているらしい。 私ごときがおこがましいとは思いつつ、たとえ独りよがりな感想文でも、どこかに共感したり、憐れんだり、はたまた馬鹿にしていただいて、どなたかが少しでも前を向くきっかけになれたなら—― そんな思いに突き動かされ、勇気を出して投稿してみた。
いま悩まれている方々と私、一進一退でも、お互いゆっくり歩みましょう。私達がいつか、自分をとらえる何かから解き放たれる日を信じて。
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