モヤモヤを解き放つ魔法の質問にモヤモヤしたけど、結局自分はありのままで100点満点なのだ。これでいいのだ♪
●魔法の質問にモヤっとしちゃった僕
「あなたの足りない部分はどこですか?」
「今日の私は100点満点中何点だった?」
「どうすれば100点になる?」
今日も、「こころのモヤモヤを解き放つ 魔法の質問 マツダ ミヒロ (著)」から、自己対話していこうと思ったのだけれど、
最初のこの質問で、いきなり引っかかってしまった😿
「あなたの足りない部分はどこですか?」
「今日の私は100点満点中何点だった?」
「どうすれば100点になる?」
ちょっとこれらの質問は、ある程度自分にOKをだせている人でないとキツイと思った。
自己肯定感が低い人の場合、「足りない部分」ばっかり考えちゃうし、「100点」の状態になんてなれたことないよね。
「どうすれば100点になれるの?」なんて聞かれたら、超責められてるように感じちゃう。
でもまぁ、言いたいことは分かる。きっとかなり昔の本だから表現が荒っぽいのかも。
僕が考えすぎなだけかな?😆
質問に答えるとするなら、
◆今日の私は100点満点中何点だった?
(今日の私は1~100の数字で表すと何?)
65ぐらいかな?
◆どうすれば100点になる?
(よりいい感じになるにはどうしたらいい?)
もっと早い時間から、自分と寄り添う時間を作れたらより良かったかな。
でも考えてみると、今日は今日でとても良かったような気がしてきた。
実際にはできていなかったり怠けてた部分もたくさんあるけど、それもOKな感じになってきた。
(えっまさか、これがこの質問の狙いだったのか?💦)
◆あなたの足りない部分はどこですか?
できるだけ早い時間から、やっていきたいことに取り組むこと。
***
なんて答えだった。
さらに今度は、自分なりの問いかけを自分にやってみる。
●今日の質問の何にモヤモヤしてるの?
足りないところは何?とか100点満点にするには?とかの質問が、「完璧にできないとダメだ」と言われてるような気がした。
日々完璧な人間として行動できないのはダメな人間だから、自分の改善点を見つけて欠点を取り除きなさい、って言われてるように感じた。
それが、「ありのままの自分でOK」という僕の考えと違うように感じモヤモヤした。
ありのままの自分でOKで素晴らしいんだってことを前提としていて、さらに今日、もっとしたらよかったこととか、もっと身に着けたいことを聞かれているのならOKだと思う。
この辺りのことは、ニュアンスとして共有している部分なのかもしれないけれど、僕はちょっと反応しちゃった💦
学校でテストの点数や偏差値で価値を量られてきた経験が反応するのかも。
あと加点主義ではなく減点主義での物のとらえ方や、
長所を伸ばすことに目を向けるのではなく、短所を失くすことに目を向けてきた弊害かな。
僕は小学生時代、「テストで100点をとらないとお小遣いをもらえない」という鬼畜モードだったので、自分に点数をつけることに反応しちゃうのかも😆
●自分が今、存在するだけで100点!
ありのままの自分が、ありのままそこに存在するだけで、本当は100点満点なんだと思う。
何を成し遂げるかとか、何を持っているかとかではなく、今、ただ「在る」ということが、めちゃくちゃ素晴らしいことなんだと、自分に寄り添いながら伝えた。
「あなたはありのままでいいんだよ。ありのままで自分のままで、そのままで100点満点だよ。」
「何かが出来なかったり失敗しても、減点されたり価値が低くなったりすることはないんだよ。」
「誰かの基準を満たさなくてもいいんだよ。」
「怒られたりダメ人間と扱われたりしても、関係ないんだよ。」
「いつも出来てることが、できない日があってもいいんだよ。
それでもあなたは100点満点なんだよ。」
「もちろん、もっとこうしたいって思うところがあったら、そうすればいいよ。今までできなかったことを、できるように頑張るのも素晴らしいことだよ。
でもそれをしなかったとしても、あなたは素晴らしいし完璧。100点満点です。」
「偏差値とか順位とか、人と比べて自分の価値が上がったり下がったりすることはないよ。」
「いくらお金を稼いでるからとか貧乏だからとか、そういったことも関係ないよ。あなたはあなたのままで素晴らしいんだからね。」
「できないことがあってもいいし
できないことを認めてもいいし
怠けてもいいし
欲望に忠実でいいし
嘘ついてもいいし
怒ってもいいし
病気になってもいいし
人を傷つけてもいいし
責任取らなくてもいいし
空気読まなくてもいいし
かっこつけてもいいし
かっこ悪くてもいいし
泣いてもいいし
人に頼ってもいいし
情けなくてもいいし
頑固でもいいし
わがままでもいいよ。」
「大丈夫だからね。どんなあなたでもいつも100点満点。100点以上です😆/」
そんなことを自分に言ってきかせた。
自分がまだまだ自分に許せていない、いろんな禁止事項が出てきた。
人を傷つけちゃダメとか、たくさんの人が思ってると思うけど、知らずに傷つけることもあるし、
傷つけちゃった自分を責めて、自分自身も傷つけるのは、やっぱり違うと思う。
人を傷つけてしまった自分でも、愛されていい。
●そのままの自分で100点満点だと思うとどう感じる?
なんか勇気がでてくる感じがする。
どんな自分でも100点だから、何かにチャレンジしようという気持ちになる。
「どんな自分も100点満点」という言いかたが、良い点数を取らなくちゃと意識し怖れていた自分を安心させている。
もうそんな心配をしなくていいんだと、心のどこかが安心して安らいでいる。
●ハイヤーセルフからのメッセージ
「スピリットの領域から見ると、あなたが発するどんな思考も行動も感情も、全てここで生きているあなただからこそ体験できる素晴らしい経験です。
何を考えようと、どんな行動をしようと、そこに否定や禁止はありません。
人間的に見ればとても醜く汚い行動だったとしても、そこにも必ず愛が流れています。
あなたが愛の流れから外れることはありません。
安心して、生きることの素晴らしさ、美しさを楽しんでください。」
●振り返って…
今日は簡単な質問から思いがけず、まだ受けいれきれていない自分を見ることになった。
でも「そのままの自分で100点満点」という言葉から、とても勇気がもらえることを発見した。
「まだ受けいれられていない自分」も100点。
このまま受けいれなくてもいいし、受けいれてもいい。
どっちでもいいのだ!😆
これでいいのだ(バカボンのパパ風😁)