自分をおとしめる記憶が、自分を称える記憶になる!!
僕は昔(と言ってもそんなに前ではない)、自分が誰かとご飯を食べに行ったとき、
シェアしていて残った料理とか誰かが残した料理を、もったいないとか思って食べてました。
もうお腹がパンパンなのに…(++;)
食べ放題でも、胃袋限界以上に食べたりしてね。もう吐く寸前まで食べたり(>_<;)
そんな自分が嫌でした。
自分の体のことを大事にしていないし、なんかみっともないし。
それでそういう残り物を食べたり、必要以上に食べ過ぎたり、あっあと賞味期限切れのものを食べたりすることを、僕は
『残飯処理』
と心の中で思い、自分のことを
『残飯処理係』
と名付けていました。
残飯を食べる家畜の豚のようなイメージ(T0T)
そういう自分が嫌でそんな名前を付けたのか、自分が嫌いだからそんな名前をつけたのか。
無意識に自分を卑下するような称号を自分につけてたんです。
でもそんな自分と寄り添っていくなかで、自分がやっている残飯処理に対する別の見方ができるようになりました。
残さずに食べるのは、別に悪いことじゃないし、むしろ食べきれなかった人は僕が食べる事で喜んでいたかも。
賞味期限切れのものを食べるのも、どれも食べなくて捨てちゃうよりいいし、食べ物だって食べられたほうが嬉しいはずだ。
当たり前だよね。
ここに引っかかってない人にとっては、別になんでもないことだと思うんだけど、
引っかかってる当事者には、その出来事を悪くしかとらえられないんだよね。
それに自分と寄り添っていくなかで気づきました。
それで「残飯処理係」なんて名前はあまりにもかわいそう…、あまりにもあまりにもだと思って、
この食べる行為に、新しい自分なりの名前を付けることにしました。
聞いてて明るくなるような名前。
いろいろ考えたけど、今はこう呼んでいます。
『愛のSDGs』
SDGsの意義や問題に関してはおいておいて、なんとなくエコ的なイメージとしてとらえてます(^^)
『愛のSDGs』
こうやって自分の行為に自分が楽しくなるような明るい名称をつけて呼ぶようになったとき、
残り物や賞味期限切れを食べたり食べ過ぎちゃったりすることに、罪悪感や自己嫌悪をしなくなりました。
「むしろ良いことしてるじゃん!」
「俺えらい!」
になりました(^^)
同時に過去の『残飯処理』してきた嫌な記憶が、すべて『愛のSDGs』をしている良い記憶、楽しい記憶に変わりました。
「あーあの時みんなの残り物あさってたなぁ」
から、
「あーあの時みんなが食べきれなかったものを食べてあげてたなぁ
」
に変わったんです。
これって、心のありようが全然違うよね?
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『自分を貶める記憶だったものが、
自分を称える記憶になる!!』
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それって本当に素晴らしい!
エネルギーが戻ってくるんです。
むしろ元気になるんです。
自分をさらに好きになる行為になるんです。
すご!!
僕たちは自分の行為を無意識に卑下したり罰っしてる時があります。
でもその行為自体には、本当は良いも悪いもなかったりします。
それにどんな意味づけや名づけをするのかは、自分次第。
そして意味づけかた次第で、自分のエネルギーを奪うものにもなるし、
エネルギーを与えるものにもなります。
自分の気持ちに寄り添って、気持ちを認めてあげることで、気づきが得られます。
あなたの過去のすべての行為には、
その裏に「愛」がぜったい隠れています。
あなたは、本当に素敵な人なんだよ。
その素晴らしさを、見つけてあげようね。
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