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#7 1986年&87年の憂鬱1

小田急線の梅ヶ丘駅から歩いて3分のところにブラジリアン柔術ジム SPARCREW を開設した大川です。
1986年に中学を卒業し高校に入学するのですが、家から一番近い歩いて5分の公立校受験に見事に失敗し(当時の茨城県は公立校>私立校が高校受験の標準でした)自転車で15分の滑り止めの私立マンモス校に通う事になりました。今から考えると、この学校に進んで良かったと思える事も多々あるし笑い話なのですが、当時はこれが人生初めての挫折か、、と感じるほど打ちのめされました。これが挫折とか当時の自分がいかに幼く青二才だったのかは、この1年後に気付いて大人になっていきます。

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当時は制服のエンジ色のブレザーを着るのがとにかくダサくて嫌でしょうがなく、また全国レベルのスポーツ強豪校かつ規律に厳しいマンモス校で、自分達の入学時の受験生徒数は高校野球の影響で全国一だったと後々聞きました。中学は結構自由で皆勤賞だったのに高校では3年に上がるタイミングで出席日数が足りずに留年しかける程、不登校で学校嫌いになっていました。
茨城県南はヤンキー文化が根強いのでヤンチャな人達も回りに多かったのですが、自分は髪を染めたり改造バイクに乗ったりするような感じではなくて、学校には校則を守りながら通う地味な生徒で、外では校則で禁止されているバイト&暇つぶしの銀玉遊びに行き(茨城県南は銀玉王国なので高校教師と中で出会すも度々あった)溜まったお金を趣味の音楽に注ぎ込むという生活でした。

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当時はもうスラッシュ・メタルやハードコアを中心に雑多に何でもかんでも聴いていて、アンスラックス、メガデス、スレイヤー等の来日公演は当然行きましたし、チケットを購入していた1986年11月のメタリカ初来日公演は当時一番好きだったベーシストのクリフ・バートンが直前にツアー中の交通事故で亡くなり打ち拉がれ行きませんでした。続く

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ブラジリアン柔術ジム SPARCREW スパークルー
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