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一週遅れの映画評:『劇場版 きのう何食べた?』それらを全て、等価として。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『劇場版 きのう何食べた?』です。

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「そもそもこんな普通の恋愛話を見せられても、なに言えばいいってんだよ。惚れたハレたにそもそも興味ねーのに、こんなありふれた日常みたいなどこにでもある物語なんか語ることないって」

 ……みたいのを映画見る前には用意してたんですよ。こうやって週に一回、見た映画の話を「しなくてはならない」と謎の義務感に苛まれているので、こういう「とりあえず繰り出しとけば何とかなる」みたいなスキルセットは増えていくんですねぇ。ちなみにいまのは「リベラルパワーが高まりすぎて同性愛を殊更”普通のこと”扱いしはじめた人」です……もしそのうちこういう系の感想言い出したら「あ、やってんな」と思っていただいて大丈夫です。
 
 という入りをするってことはわかるでしょ?『きのう何食べた?』めちゃくちゃ良かったんですよ!
 
 そのね、全体の構成がすっごい上手くて。前半でシロさんとケンジが京都旅行に行くんだけど、そこでシロさんがあまりにも理想の彼氏としてふるまってくれるからケンジは「これはきっと何かあるに違いない、ここまで来ると浮気とか別れ話とかそういうレベルじゃない……もしかしてシロさん、死ぬの……?」みたいに思考が暴走するんです。
 それがね後半でほぼ似たような思い違いをシロさんもすることになる。これがよくある「ミステリっぽい迫り方をして、オチは勘違いで片付ける」んじゃなくて、その真相もはっきりと視聴者に提示してある。だからここでやってることって「わざわざそんな謎やスリルを使わなくても、この二人の関係はそれだけで面白い」っていう自信と信頼なんですよ。そういう意志がしっかりと感じられる作品がつまんないわけないじゃん!
 その前半と後半で役割を交代して同じ不安を抱える、それをどっちもコミカルさを前面にだしながら、でも当人にとってはシリアスな状況ではある。それがお互いにお互いを大事に思ってることが、一方通行でも偏りがあるけでもない通じ合った関係がそこにあることを同時にあらわしていて。
 
 これが作品のメインストーリーとしてあって、それを中心に「交換される関係」がそこかしこで展開されるのね。
 
 たとえばシロさんの父親が癌で入院することになるんだけど(それがまた食道癌っていうのが「食べること」を主軸においた作品としてめちゃくちゃ上手いんだけどさ)まぁ無事に手術は成功するわけ、その一方でケンジは父親と元から疎遠である日いきなり「死んだ」って連絡がくるんだけど別にどうってことなかったりとか、そういった比較がいたるところで出てくるのね。
 
 で、それがもっともあらわれているのが遺伝子(ジーン)と摸倣子(ミーム)の関係なんですよ。作中でシロさんは母親に「どうしても上手くできない」って肉団子の作り方を教わりにいくんです。シロさんはゲイで一人息子だから、遺伝子的な意味ではそこで伝達は終わるわけじゃない?でも「味」っていうものは母から子へ伝えられて、もしかしたらシロさんから誰かに引き継がれるかもしれない。料理が大きいウェイトを占めてるこの作品だけど、「どこかにあるレシピ」ってほとんど登場しないのよ。だけど友人から作り方を習うことはある。つまり人間関係、親子も夫婦だって人間関係だわな、そのなかで伝達し引き継がれる可能性にすごく自覚的
 それでシロさんの友人に孫が生まれて、その孫の名前が「悟朗」っていうんだけど、それがたまたまシロさんの父親と同じ名前なのね、それでシロさんはなぜだが少し嬉しくなる。そこでは遺伝子ってものの象徴である「新しい生命」にも、もうすでにミームがきちんと関与していて。
 そりゃあ生き物として遺伝子は強い。だけれどもそれと並び立つものとしてミームだって負けていないのだと。そこで料理というものに立ち返ると「生命維持」としての側面と「文化」としての側面がそこでは拮抗して並び立ってるわけで、そうか!だからシロさんの父親が入院してるシーンで母親はコンビニのサンドイッチを食べるのよ。それは病院って環境が生命維持の場面だから、自分たちで作って伝えてきた料理とは分断されたものが出てくるのか。
 
 だからそういった点でこの作品、同性愛に対するフラットな目があって。どんな愛の形も等しい価値で、遺伝子を伝えようがミームを伝えようが、それは等価であると。
 それは同時にヘテロな愛の形だって”同様に”、この同様には点括弧付きねw、”同様に”素晴らしいと語っていて。
 
 それでね、ここから私が一番感動した部分なんだけど。
 シロさんは弁護士で、たまたま殺人事件の弁護をすることになる。その被告人がホームレスなのね(ここでもまた「交換される関係」があって、それがまたいいんだけど)。これ……なんというか作品全体のストーリーとしてはあってもなくても成立すると思うんです。
 だからこそこのエピソードを入れたことには絶対に意味があると思っていて。
 
 えっとね、証言を集めていくとどうやらそのホームレスにかかった容疑は冤罪らしい、だけど裁判員裁判で有罪の判決が下ってしまうのよ。そこで上告しようと言う弁護士に対してホームレスは「もういいんです。自分たちはそこにいるだけで殴られて、罵声を浴びせられて。だれもまともにとりあっちゃくれないんです」って言うのね。
 これって被差別者で、マイノリティで、一昔前まではゲイも同じような扱いを受けていたわけじゃない?だからここで言いたい事って「マイノリティってのは性的マイノリティだけじゃないんだよ」と、LGBTだけが救われるべきマイノリティではないんだよと。同性愛に対するフラットな目と同様に、他のあらゆる少数派のことも忘れてない。
 わざわざこの逸話を織り込んだことで、作品の主線じゃないから小さく取り上げるのが精一杯なんだけど、でもそこを見過ごしているわけじゃないと、そういうメッセージをちゃんと受け取ったような気がして。
 
 それがねぇ私は本当に素晴らしいなと。めちゃくちゃ良かったし、上手いなと思ったところでした。

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 次回は『テン・ゴーカイジャー』評になっちゃうのって仕方ないよね……。

 この話をしたツイキャスはこちらの15分ぐらいからです。


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