一週遅れの映画評:『仮面ライダー THE WINTER MOVIE ガッチャード&ギーツ 最強ケミー☆ガッチャ大作戦』希望の錬金術師
なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。
今回は『仮面ライダー THE WINTER MOVIE ガッチャード&ギーツ 最強ケミー☆ガッチャ大作戦』です。
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テレビでの『ガッチャード』がですね、かなり「良い」んですよ。
なんというか「ちゃんとやって欲しいことをやってくれる」という感じがあるんですが、ニチアサの「スーパーヒーロータイム」って「やって欲しいことをやってくれる」か「予想を裏切られたけど納得できる」を求めてる面がやっぱりあるんですよね。
それで「くぁ~! こういうベタなのが、やっぱ好きなんだよなぁ!」という方向性の作品をなんとなく「キッズ向けの中でも特に低年齢対象」として、「なるほど、そうくるのか……! でも確かにそれしかねぇな」という方向性の作品を「キッズ向けの中でも高年齢対象」と私はなんとなく捉えてしまいがちなんです。
で、ニチアサで言うと戦隊は比較的、低年齢層向け。ライダーは比較的、高年齢層向け。みたいなざっくりとした住み分けがされていた”時期もあった”と思うんです。もちろん個々の作品である程度の上下はあるし、もっと言うなら各話単位でも様相が違ってはいる。
で、今年は割とその立ち位置がはっきりと逆転しているわけです。『ガッチャード』と『キングオージャー』で。ただまぁ、そこで『キングオージャー』が成功してるか? って聞かれたら微妙な顔になるしかない部分があるのですが、それはまた別の機会に話すとして……さっき言ったように『ガッチャード』は(今のところ、って注釈をつけないといけないのは4クール作品の怖いところですがw)「ちゃんとやって欲しいことをやってくれる」の満足度がめちゃくちゃ高い。
満足度はめちゃくちゃ高いのです……が!!!
今回の劇場版『ガッチャード&ギーツ』は「本当にそうかな?」ってところを、きっちり突いてきてるんです。本当に私は「ちゃんとやって欲しいことをやってくれる」から楽しんでるのか? ってことを。
今回のお話は、レベルナンバー10のケミー・クロスウィザードによって景和たちがケミーに変えられてしまう。彼らをもとに戻すためクロスウィザードの作ったステージで他のレベルナンバー10のケミー5体を「ガッチャ」する必要がある。
それぞれのステージに向かった宝太郎たちだったが、その背後には恐るべき陰謀が隠れていたのだった……。
という感じで、まぁまぁ「おぉよくある劇場版の流れだ」って思うわけですよ。
すべてのレベルナンバー10ケミーを手に入れた宝太郎は、全てのケミーと仲間になって、錬金術師の友人たちに認められみんなからワッショイワッショイともてはやされ、自分の作った宝太郎ランチは大人気! めでたしめでたし、仮面ライダーガッチャード。完! で、映画は終わる。
わけもなくw この宝太郎にとって都合の良すぎる展開は、すべて「クロスウィザードの見せた夢」だということが判明するんです。これって「騙す」ことに長けていた『ギーツ』の英寿、という前作主人公に対してガッチャードの宝太郎がどういうキャラクターなんですか? っていうのを端的にあらわしているんですよね。
ここで宝太郎たちが繰り広げた冒険はすべて夢だったことになる。じゃあ何の意味も無かったのか? っていうと、その夢の中で仲間になった他のレベルナンバー10ケミー5体は「仲間になったまま」なんですよ! つまり例え夢の中で起きたことであっても、宝太郎の気持ちや頑張りは現実と変わらない。夢の中で仲間になったケミーとは、当たり前のように現実でも仲間のままなんです。
ここがすごく良いと思うんです。まず虚構に対する態度として、それは嘘の物語だけどそこで動いた気持ちは本物だよ! ってめちゃくちゃ無条件の肯定が行われている。その上で「現実の状況」と「夢で起きたこと」を、正しく「ガッチャンコ!」させているわけで、これが『ガッチャード』という作品でやろうとしていること……現実に縛られるわけでも、空想に耽溺するだけでもなく、その両方を一緒に手にする可能性を示している。
さらにですよ。さっき説明した「宝太郎にとって都合の良い展開」って、めっちゃつまんないわけですよ。これって最初に言っていた「ちゃんとやって欲しいことをやってくれる」って本当に面白いの? ってことになる。
都合が良いだけの話、それも「夢」って自分の頭の中だけで作られてるもので。だからそこには「自分の想定を超えるもの」って出てこないんですよね。自分の想像できる範囲、自分の知ってるものの範囲だけで、世界が閉じていってしまう。果たしてそれが面白いのか? って言われたら、宝太郎にとって都合の良い展開がつまんなかったように、絶対面白くないハズなんです。
だから「ちゃんとやって欲しいことをやってくれる」って事後的な話というか、見せられて初めて「自分はこれが欲しかったんだ!」と気づかされる。もちろんその「欲しい」自分の中にあるけれど、それを自覚して取り出すのはすごく難しい。
それを踏まえて、映画で九堂りんねは夢の中で行方不明になっている父親と話す。そのことで仮面ライダーマジェードに変身するための、ベルトと指輪を手に入れる。さっきも喋ったように、それは「夢」で結局そこで会話した父親も「りんねの中にある父親」でしかないわけです。だからマジェードに変身するための力は、最初からりんねの中に眠っていた。
それでも自分の中にある「欲しいもの」に気づいて、それを取り出すのは難しい。だけど宝太郎と同じように「現実でも夢でも、その気持ちは変わらない」から、りんねは夢の父親と現実を自分を「ガッチャンコ!」させて、力を手にすることができるわけです。
ところで。この「自分の中に眠っている力」を「希望」だと呼べるとするなら、りんねが変身するときに指輪を使っていたのと同じアイテムで変身する「指輪の魔法使い」のことをちょっと思い出していました。
魔法と錬金術は隣り合いながらも違うものではあるけれど、それを思い起こさせるのが「クロスウィザード」にまつわる物語だったことは偶然でもなんでもないと思っています。
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次回は『サンクスギビング』評を予定しております。
この話をした配信はこちらの18分ぐらいからです。