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一週遅れの映画評:『あたしの!』「対等」なまま見下される怖さ。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『あたしの!』です。

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 でね、ちょっと反省みたいな感じになってることがあって、結論から言うと「私は人の服を褒めることができない」ってことなんですけど……えーとさっき話した美術館は友達と一緒だったんですけど……あ、実はもう映画の話に入ってます。たぶん文字起こししたとき、異様にヌルっとした始まり方してると思うんですがw 
 まぁ人類っておおむね外にいるときは服を着るわけじゃない。着てないと、おロープ頂戴になってしまうわけだから。しかも普段はあんま会えない友達とだから、それなりに着る物を考えるわけですよ。
 
 だけどね、私にはオシャレってやつがとんとわからない。というよりもほとんどの人は「オシャレ」って本当はわかってないと思っていて、だって世の中にはスタイリストって職業があるわけですよね? みんなが「オシャレ」に対する審美眼を持っているんなら、スタイリストって職が成立する余地なんて無いわけ。だけど現にある、ということは「オシャレ」を判断するのって実は専門職を必要とする技能だってことじゃあないですか。
 
 でも私にはスタイリストなんて付いてないわけで、自力で何とかするしかない。そこで着地したのが「変な服を着る」なんスよね。こう明らかに異様なものを堂々と着てやると「こんな変なものを恥ずかしげもなく着ている、ということはよくわからないけどたぶんオシャレなのだろう……」みたいに誤認させれるって寸法ですよ!
 その日もそれなりのイカれ服で(たぶん12/1の文フリも同じ格好で行くので、現地で会った方はぜひその目で確かめていただければと)、その目論見は上手くいったんですけどぉ。ここで大きな問題に直面するわけですよね。
 目の前にいる友達がですね、例えば黒をベースに落ち着いたオレンジ色のお花っぽい模様が散りばめられた、ちょっと「しゃらーん」とした生地の上着ですごく秋らしい感じと、靴が暗めの赤、紅って言った方が伝わるかな? そういう色したスウェード地のパンプスを履いていて。それが友達の雰囲気と合っていて「あらカワイイ」と思うわけですよ。
 だけど私には「オシャレ」がわかんない、しかもそのわからなさから逃げてるから「果たして自分なんかがお洋服を褒めていいものだろうか……」みたいな感じになって「あっ、あっ」みたいなリアクションしか取れない、それはどうなのよ的な反省をしていたわけですよ。
 
 という話がどう今回の『あたしの!』に繋がるかってことですが、さきにザックリとしたあらすじを言うと。
 小3の頃から親友の”あここ”と”充希(みつき)”。ふたりは高2の春、学校イチのイケメン男子に惚れてしまう。親友でありながら恋のライバルになってしまったあここと充希、いったいどちらがハートを射止めるのか?
 以上。って感じなんですけどw でもねいかにもクライマックスに来そうな……ネタバレするね。あこことその男が付き合いだすって展開が中盤ちょい過ぎぐらいで起こるんですよね。かといってそこから紆余曲折あって充希に乗り換え、ってこともない。
 つまりそこからわかることって、この作品の中心にあるのは「恋の行方」ではなく「ふたりの友情」ってことなんです。
 
 じっさいこの男はほとんど自分から動かないんですよね。基本的にアピールしてくるふたりに対して反応するだけ。だからここでは完全に男子が「トロフィー」と化しているわけですよ。割と昨今は「女性をトロフィーとしてしか認識していない男性」みたいなものが(特にフィクションでは)否定されていて、それは良いことだと思っているんです。だからその流れにおいて、この作品はミラーリングとしてめちゃくちゃ機能しているんです。
 
 まぁそれは全然メインの話じゃなくて、あここと充希はなんやかんやで仲たがいをしてしまう。だけどもう一度、友達としてやり直そうとする。
 そもそもこのふたりが親友になった経緯ってのが、いじめられていた充希をあここが助けたことから始まっていて。そういう意味ではちょっと力関係があって、それは現時点でも維持されている。つまり「助けたあここ」と「助けられた充希」っていうのが。
 そこでね、充希は言うわけですよ。自分もその男が気になるって言ったとき「あここはお互いに遠慮しあうのは止めようって。それって自分の方が上だって思ってるから言えるんだよね」って。ここでさ、良くある展開としては「充希があここに憧れがあったように、あここも自分にないものを持ってる充希に憧れていた」じゃん。
 でもこの作品は違うのよ。めちゃくちゃ正直にあここが「そう思ってた!」て認めるのよ。しかもね、その後も「それが間違いだった」とは言わないの。この力関係が「だからって自分の方が彼から好かれるわけではない」という第三者には無関係だよね、という結論にはなるけど、あここと充希の関係においては「うっすらあここが上」ってのは変わらないのね。
 
 ここすげぇな、と思って。こう友人同士の人間関係って当然対等よ、対等なんだけど、やっぱそれって「建前」の面ってあるじゃない。例えば最終的な決定権が誰にあるかとかさ、「対等ではあるけど、円滑な関係のために暗黙の了解としてある程度の上下があるとスムーズ」みたいな部分って避けらんないと思うの。ただその上下も時と場合で入れ替わることが健全なんだけどさ。
 なんかこの作品は、そういったことを包み隠さないんだな……っていう。おためごかしや建前で丸く収めない「正直さ」が、ここでは一番重視されているんですよね。
 そしてそれが、ミドルティーン前後がターゲットである作品で出てくるんだ、という驚きがあって。そうか、と。いまの若い人たちが直面している関係性の面倒くささって「建前」が持つ強さ。その「建前」から外れたら一気にバッシングを受けてしまって、「対等」という建前のまま暗黙の最下層に落とされる怖さがあって。
 だからこうやって「正直」であることを、自由に生きている、キラキラした輝くものとして感じているんですよ。
 
 で、最初の「私は人の服を褒めることができない」の反省に戻ると。私は「わかんないから逃げて黙ってよう」という態度を取っているわけで、それって全然「正直」じゃあないんですよね。「よくわかんねぇけどカワイイ!!!」って言うべきで、そこでなんか恥かきたくないからって「正直」さを捨てた自分をね、反省したわけですよ。
 
 そして映画について、正直に言うなら「先週の『ヴェノム』より、『あたしの!』の方が私にとっては良い映画だったわ!」です。恥ずかしくねぇぞ、こんにゃろう!!

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 次回は『矢野くんの普通の日々』評を予定しております。

 この話をした配信はこちらの18分ぐらいからです。


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