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一週遅れの映画評:『ゴジラxコング 新たなる帝国』この「王」に仕えるのは?

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『ゴジラxコング 新たなる帝国』です。

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 いや『WORST』かよ
 
 って思わず口から漏れちゃうくらい、なんか「ヤンキー漫画そのまんま」な話になってんですよw
 前作によってコングは地底高校の番長になって一応は平穏になった生活をしていて、ゴジラは前回の抗争で「もっと強くならなくては」と感じ各地の不良校へ赴き番長狩りをしていた
そこに過去に起こした事件によって保護観察処分だった伝説の不良スカーキングが、再び活動を開始する。その傍らには弟を人質に取られてスカーキングに協力せざる得ない、柔道高校女子トップ選手であるシーモの姿があった。

 ざっくり言うとそんな話でした、いやマジでマジで。スカーキングを倒すためコングがゴジラに協力を仰ぐんだけど、「久々だなぁ、やろうぜ!」って問答無用で殴ってくるゴジラ。それに最初は両手を左右に振って「違う違う、今日はそういんじゃないから!」ってアワアワするコングなんだけど、数発殴られたところで「やめろっつってんだろ!!」って殴り返してしまって結局ガチ喧嘩になるところとか声出して笑っちゃったもんね。
 それを「あんたたちいい加減にしなさい!」って頭をはたいて止める、ゴジラの幼なじみで近くの定食屋の娘がモスラちゃん
 
 と、まぁ冗談はここまでにして。いやでもいま喋ったことはマジだし、結構な本気なのよ? 完全に不良漫画/ヤンキー漫画のライン上にこの作品はあります。ドッかん、ズッかん、魔神銃
 ……えっとぉw この作品ってずっと「対比」が描かれているわけですよ。めちゃくちゃわかりやすいところで言うと、ゴジラがエネルギーを得るために強大なパワーを貯め込んでる北極海へと向かう。そこにはティアマットと名付けられた、龍みたいなモンスターがいてそいつと戦うんですね。一方、同じタイミングでコングは地下世界の湖にいる巨大海蛇と格闘を繰り広げている。
 ティアマットと海蛇。どちらも手足の無い棒状の体躯を持っているから、サイズとか脅威度は違うけどほぼ同様の相手を倒している。そしてゴジラはエネルギーを得るために、コングは食料とするためって動機も同じなんです。だけどゴジラはそのエネルギーを独占するのに対し、コングはちょっと敵対関係にある子猿にその肉を分け与えてたりする。
 
 それとかスカーキングは他のコング族を力で支配している「王」で、コングは地下世界の「王」ではあるけれど同族の仲間なんてひとりもいない。同じコング族の「王」でもこんなに環境と生き方が違うぞ、っていうのをやっている。それに対しゴジラは間違いなく地上世界の「王」だけどコングと同じく仲間はいない、それでも集団生活がベースにあるコング族と同族のいないゴジラでは他者への依存度がまったく違うわけです。
 つまりスカーキングとコングで「支配か孤独か」という対比構造を描きつつ、コングとゴジラで「孤独か孤高か」というアングルも同時に描いているんですよね。
 
 それでこの「対比」は怪獣たちだけじゃなくてあらゆる部分に持ち込まれている。
地下世界に住む人類のイーウィス族、その聖地には巨大水晶で作られた三角形の建造物がある。そしてその聖地から地上世界に出るためのゲートが開いているんですが、その行き先がエジプトの砂漠――つまりピラミッドのある場所なんです。つまり地下と地上で同じ巨大な三角形の建造物が作られている。
ここでちょっと「太古の時代には地下と地上で文化交流があったのか?」って思わせつつ、地下世界の水晶ピラミッドはイーウィス族の生活を維持するのに必要な、つまりは「生きている人」のために作られた設備で。一方で地上世界のピラミッドは皆さんご存知のとおり巨大なお墓、つまりは「死んだ人」のために作られたものじゃないですか。さらに、さらにですよ。一般的に地下って黄泉の国、死者の国だとされているのにも関わらず、この作品では地下が生/地上が死という関係になっているわけです。

 他にも前作でゴジラとコング(そしてメカゴジラとキングギドラ)の争いで活躍した言語学者アイリーンは重要なポストに就いているのに対し、陰謀論者であるバーニーはネットで嘲笑の的になっているし。
最終的に協力関係になるゴジラとコングがお互いの利害関係だけに留まらない「互角に戦える相手」だからこそ手を組めるのに対し、スカーキングとシーモは一方的な支配関係であったりといった対比も行われているわけよ。
 なんでこんな「対比」構造が描かれるかっていうと、前作ラストで地上世界に住むことになったイーウィス族の女の子が「私の居場所はどこなんだろう?」って地上と地下を比較して悩んだるわけ。彼女にとって地上世界での生活はひどく不自然でイマイチ馴染めていない、一方で地下世界のイーウィス族とは価値観や世界観が近くてすごしやすそう……そういったふたつの世界に挟まれて、見比べながら、彼女がどっちを選ぶのか? というのが人間側の物語として重要だからなの。
 前作の『ゴジラ vs コング』で私はコングを「神と人の間にいる、ギルガメッシュのような存在」と読み解いたけど

ここではイーウィス族の少女が「神話の時代に留まるか、人間の時代に進むか」という選択を迫られていて、それは正に『ゴジラ vs コング』の続編である部分なんですね。
 
 ヤンキー漫画的なお話も、ひたすら対比構造でテーマを繰り返す演出も、そして続編としての意味も含めて、とても楽しい作品でした。
 
 ……ところで、スカーキングを倒したコングは地下世界に戻り、支配されていたコング族を解放して「地下世界の王様」になったわけじゃない?
 そしてここでも対比構造があるとすれば、コロシアムで丸まって眠るゴジラもまた同じく「地上世界の王様」というわけで。じゃあそこで王に傅くのは誰かって言ったら、そりゃあもちろん私たち人類だってことになる。
 
 ゴジラは人間の味方だってアイリーンは言うけれど、そこまであの怪獣は信用できる「王様」なのかしら?

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 次回は『バジーノイズ』か『マイ・スイート・ハニー』評を予定しております。

 この話をした配信はこちらの18分ぐらいからです。


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