一週遅れの映画評:『さかなのこ』割れないグラスの夢を見る。
なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。
今回は『さかなのこ』です。
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いやね、実は先週の映画評がめちゃくちゃスベってしまってwいまだに「なんでこれがウケんのじゃ!」とは思ってるんですけど……それでね、やっぱこう反応だけが目的でやってるわけじゃあないからそれはそれで良いんですけど、とはいえ多少はヘコむじゃん。それは結構がんばったものがウケなかったってことよりも「こんなに面白い映画のことを上手く伝えられなかった」ってことに対して。
だからね、今週は私的な大ピンチだったのよ。これで面白くない映画を引いちゃったら「今回はおやすみでーす!」ってなりかねなかったの。そしてこうやって話てるってぇことは、そうです!『さかなのこ』、まじド級の傑作だったのよ!
たぶん「週に1本映画を見て話す」なんてことやってなければ、絶対見てなかったと思うんですよ。だって「さかなクンの半生」だよ? 正直そこまで積極的に見る理由ないじゃん。いままで生きてきてさかなクンの人生を知りたいと思ったこととか1ミリも無いよ、あるか? 無いでしょ? それがよ、映画終わったときには「週に1本映画を見て話すみたいな、わけのわからんことやってなかったらこの作品を見ることもなかったんだよなぁ……良かったなぁ、わけのわからんことやってて」って思うぐらいに、面白い作品でギョざいました。
で、まぁさかなクンの基本情報として「幼少期から並外れた魚さん好き」ってのはみんな知ってるものとしていいよね? ただそれが危険性というか。あの時々電車マニアの、それもいわゆる「撮り鉄」って呼ばれる人たちの奇行が耳に入ってくるじゃない。不法侵入とか暴言とか。さかなクンがもし「てつどうクン」だったら、恐らくはそういったニュースに出てきてもおかしくねぇなというのをビンビンに感じるのね。
というのも、本作では幼少期のさかなクンを女の子の子役が、高校生~現在をのんが……ごめん話ズレっけど愚痴るわ、能年玲奈って女優さんは好きなんだけど、この「のん」って改名だけは話してても文字起こししてもすっげぇわかり難いのが超やりずらいわ。でね、そのさかなクン幼少期に出会う「ギョギョおじさん」って呼ばれる「めちゃくちゃ魚好きの無職おじさん」を本物のさかなクンが演じてんのよ。
いやもうこれ『さかなのこ』に言及してる全レビューで触れられてることだから、今さら私がこうやって話す必然性がないんだけど、それでもこのキャスティングに関する話は避けて通れないんですよ。そのぐらい強烈なインパクトがある。
それでね、さかなクンはそのギョギョおじさんと同好の士として仲良くなって、彼の家に遊びに行く。そこで夢中になって魚さんの話をしたり絵を描いてるうちに、門限を余裕でぶっちぎってしまって結果通報されるっていうw それでギョギョおじさんは任意同行されて、以降さかなクンはギョギョおじさんに二度と会うことはないんですよ。ほらもうあと一歩で「ヤベェ撮り鉄のニュース」と同じになる感じがめちゃくちゃあるわけですよ。
これってまぁ「ありえたかもしれないさかなクン」像なわけで、彼がそのお魚さん好きが高じたことで仕事を見つけられなかったら、そういう不審者無職おじさんになっていたという。でね、それは作中の「さかなクン」にも言えることで、つまりこの作品で描かれる「さかなクン」のヤバさはそのまま、現実のさかなクンにもこういう危ないトコあるよね? って話になるわけですよ。
高校時代のエピソードで、釣った魚を解体するのに他人からナイフを借りるんですよ。それで「お前(釣って食べるつもりなのに)ナイフ持って無いのかよ?」と聞かれて「持ってるよ。でも自分のが臭くなるからいやじゃん」って言ったり、アオリイカを捉えるために網が必要だ、ってなったときに他人の着てる服を「脱いで!」って剥ぎ取ってナイフで切って即席の網にしたりするんです。
しかもその直前に醤油を巡る言い争いで「(醬油の原料である)大豆なんてどうでもいいよ! お魚さんのほうがすごいんだよ!」って口走って「いや大豆農家の人とかもいるんだし、それを悪くいうのはやめろよ」ってたしなめられてるんです。
さかなクンがお魚さんのことを大好きなのは間違いないとして、だからといって「他人の好き」を肯定しているかというと別段そうでもないっていうか、私たちを違う世界を見ているから視野が広い気がするけど、全然そんなことはなくて。それって世間から理解されないさかなクンが、結局はその世間と同じくらいには他人を理解できていないしする気もない(いや、これに関しては「少なくとも作中での彼が若かったころは」という注釈が、近年のリアルさかなクンの発言からすると必要だとは思いますが)。そういう「好き」の視野狭窄さとか暴力性をしっかり描いているのがとても良いんですよ。
それでね、いま「違う世界を見ている」って言ったけど、なんというかこの作品でさかなクンはずっと夢の中の世界にいるみたいなんです。というのも最初は両親と兄のいる一軒家に住んでいたのが、高校時代になると小さなアパートで母親と二人暮らしになってんですよ。しかもその説明が一切ない。
こんなんどう見ても離婚(か別居)してるのは間違いないのに、なにもそのことに触れないんです。これってさかなクンの見てる世界では両親の離婚なんて現実の話は、大した意味を持ってないんですよ。夢みたいなお魚さんの世界以外は全部些細なことで、だから「このウマズラハギちゃんがいかにかわいいか」を語ることができても、「両親が離婚しました」は語ることができない。
それでもそのさかなクンが現実と向き合う場面があって、一人暮らしをはじめたさかなクンのところに、幼馴染がシングルマザーになって家を追い出され行くところが無いって転がり込んでくる。まぁすげぇのはそこでもさかなクンは「何があったの?」とか一切聞かないわけですよ、現実なんて些事だから。行くとこないならこのアパートで一緒に暮らせばいいじゃん、とも言わずにごく当然のように幼馴染たちを受け入れる。
それで暮らしてるうちに連れ子も懐いてくれて可愛いし、バイト行くときも窓から「行ってらっしゃい」と言われてなんか嬉しかったりで、さかなクンはその幼馴染たちと一緒に暮らしていく決意をひとりでするんです。お魚さんと過ごせる最低限のお金があれば良い生活からバイト先の店長に「もっとお金を稼ぎたいから、シフト増やして欲しい」って言ったり、アパートの半分以上を占めていた水槽をひとつふたつ残して処分したりで、お魚さんたちとの夢の世界から、こう現実の世界に移ろうとする。
で、その決意をした途端に幼馴染は置手紙を置いて出ていってしまう。そこでもやっぱり理由は語られないんです、他に男ができたか、それともさかなクンが大事なお魚さんの水槽を手放したのを見て「この人にそこまでさせてはいけない」と思ったのかはマジで不明で。
ただひとつだけ言えるのは「さかなクンは現実の世界に生きていけない」ってことなんです。それは本人の資質がそれに向いていない(これまであらゆる仕事に適応できない姿が描かれている)のもあるし、こうやって現実の世界で生きて行こうと思ったところで、その理由が失われていく。
それを示すのが、さかなクンには親友がいるんですけど、その人からある日ちゃんとしたフレンチのレストランに招待されて。そこで親友の彼女(それもタレントとして活躍してる美人)を紹介されるですね。で、将来の目標を聞かれたさかなクンが「お魚さんの博士になりたい」っていうとその彼女はクスクス笑って「いい大人なのに”お魚さんの博士”って」て言うんですよ。で親友はムッとした顔をして、結局その彼女をその場から追い出してしまうんですけど、それに対してさかなクンは「なにかあったの?」って言う。自分がバカにされたとか、それで親友が怒ったとかはマジでどうでもいいことだから、これっぽっちも把握してないんです。
でね、大事なのはそんな出来事じゃなくて。親友は彼女とワインで乾杯するときに、軽くグラスを持ち上げるだけで、まぁこれがマナーとしては正解なんですよ。一方で彼女が去ったあと、さかなクンとは「乾杯」つって「カチン」とグラスを合わせる、それももう一回「乾杯」と、つまり2回グラスをカチンと合わせるんですよ。
ここがねぇ、私はすごく好きで。マナーとして正しいのは彼女との乾杯なんですよ、ああいった高級店のグラスは非常に薄いから割れやすいこともあって。だけどさかなクンとの乾杯ではグラスをぶつける、それは夢の世界だからなんです。夢の中ならグラスは割れないでしょ? そうやって「夢の世界に住むさかなクン」を尊重してることの表明として、あえて「マナーとしては間違っている」乾杯をする。ここからその親友がどれだけさかなクンの持ってる世界を守りたいかが、如実に伝わってくるわけですよ。
それでね、ラスト。メディアにも出るようになったさかなクンが、小学生に「わーさかなクンだー!」って追いかけられるくらいの人気者になってるんですね、それでネギが飛び出ている買い物袋を下げたさかなクンはそこからダーッと走っていって、ドボン! と海に飛び込む。するとさかなクンの姿はお魚さんに変わって、海をスイスイと泳ぎ始めるんですけど。
このとき手にしていた買い物袋はどっかに消えてる。だってスーパーでの買い物は現実の話で、人気者のさかなクンは夢の世界の住人だからスーパーの袋なんか当然消えるわけですよ。
……これ私の記憶違いじゃないと思うんですが、最初らへんに話したギョギョおじさん。彼も登場するとき必ず買い物袋を下げてるんですよ、ネギが飛び出している。
さかなクンは家族とか友人とか、状況に恵まれて「さかなクン」として大成したけども、それはやっぱり夢の世界に生き続けてこれたのは針の穴を通すようなものすごい幸運があったからで、たぶん世の中には現実の世界で生きていくしかない何万人もの「ギョギョおじさん」がいるんですよね。ていうかこうやって金にもならない批評とかやってる私も「ギョギョおじさん」のひとりなんですよ、たぶん。
だからねぇ、これ笑いもふんだんにあるものすごく楽しい作品だったし、さかなクンのすごさとか、好きを貫く素晴らしさがしっかり描かれていたんですけど、それ以上にめちゃくちゃ厳しいシビアなことを伝えてきてるな、と思いました。
だけどそれゆえに「さかなクン」という存在の稀有さと、厳しいけどでも夢の世界に生きていける可能性はゼロじゃないと肯定している、なんだろうな「夢を描くからこそ、現実のキツさを隠さない」面が私には強く感じられて……そこがすげぇ良かったです。
がんばろう、私も。
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次回は『HiGH&LOW THE WORST X』評を予定しております。
この話をしたツイキャスはこちらの13分ぐらいからです。