一週遅れの映画評:『サユリ』元気ハツラツ!おまんこまんまん!
なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。
今回は『サユリ』です。
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いやー、本当にタイミングが重なるときは重なるもんよね。先週はいかにも私が見そうな映画ばっかりで……『ラストマイル』は当然として、サブカル感バリバリで原作も大好きな『箱男』に、ティーン向けラブストーリー邦画の『恋を知らない僕たちは』もあって。どれも「今週の映画評はこれです!」って言われたら違和感ないと思うんですよね。
でもね! 私は押切蓮介と白石晃士の両方とも大ファンで、その二人がタッグを組んだとあっちゃあ見逃せるはずが無いんですよね、『サユリ』を!
そもそも私がホラー作品が楽しんで見れるようになった理由のひとつに押切蓮介作品があるんですけど、これは『サユリ』の話とも繋がってくるので……とりあえずあらすじから行こうかな。
念願のマイホームを購入した神木一家。しかし家の中で奇妙な現象や、家族とは別の人影が出現する。それに怯える主人公・耳雄……じゃなかった則雄の弟、明らかに常軌を逸した行動を始める姉、悪夢にうなされる父親。そしてついにその父親が原因不明の心筋梗塞で急死してしまう。
それを皮切りに祖父は心臓マヒ、弟は高所からの落下、姉は自分の喉を包丁で刺し、母親は首を吊り、ついには則雄とボケた祖母だけを残して神木一家は死んでしまう。絶望に沈む則雄にも、家に住み着く奇っ怪な存在が迫ってくる。
だがそこに今はボケているが「昔はめちゃくちゃ怖かったばあちゃん」があらわれ、則雄の頭を引っ叩き”喝”を入れる。ボケていたはずのばあちゃんは、口に咥えたタバコの煙を吐きながら、家に取り憑いた悪霊に向かい「お前を地獄に送ってやるわ!!」と宣戦布告。ここに則雄とばあちゃん による「サユリ」への復讐が切って落とされた!
という感じで前半は家族に忍び寄る悪霊の怪異ホラー、後半はその悪霊に真っ正面から立ち向かう復讐劇っていう作品なんですが。めちゃくちゃ強烈なばあちゃんのキャラクターに引っ張られつつも、決してギャグやジャンルが変わるとまではならない「ホラー」テイストはしっかり残したまま進行する物語になっているんですね。
それでね、最初の話に戻ると私は昔ヤンマガを毎週買っていて、原作者である押切蓮介はそこから『マサシ!!うしろだ!!』ってホラーギャグ漫画でデビューするんです。まぁそれが個人的にはめちゃくちゃ面白かったんですけど、その後同じくホラーギャグである『でろでろ』の連載がはじまるの。
その『でろでろ』は、さっき良い間違えた”耳雄”ってキャラクターが、幽霊や妖怪を気合とガッツでブン殴って撃退したり、しょっちゅう反撃にあって痛い目に合うっていう作品なんだけどさw でも私はそこから学んだわけですよ。当時は「ホラー」作品というか「怖い」話に対して怯えていたんだけど、それをブン殴る耳雄を見て「あ、オバケなんて殴っちゃえばいいんだ」って気づいたんです。
あいつらってもう死んでるから、たぶん人権とか無いわけじゃない? だからどんだけボコボコにしても私は罪に問われないわけですよ! それがわかってからは「オバケ、コワイ!」って思っていたのから反転して、「オラーッ! 殴り倒してやるから早く出てこいや!!」って思うようになった。それ以来ホラー作品を楽しんで見れるように変わったんですよ。
ただそれってそのまま「幽霊がなんで怖いか」に繋がる話でもあって、まぁ日本の刑罰って重い罪に対して禁固か極刑になるわけじゃない? そのどっちも実体、つまり肉体を持っているから効果的な罰則になってると思うんですよ。肉体があるから「どこかに閉じ込められる」のは辛いし、死刑になるのとか嫌なわけ。
でも幽霊は肉体がないからそういう恐れとは遠い場所にいる、だからアイツらはやりたい放題できる。捕まる心配が無いまま、幽霊になった原因である憎悪を理由に行動する相手なんて、まぁそりゃ恐ろしいわけですよね。
言い換えると、私たちは肉体と精神っていうふたつのもので生活しているのに対し、幽霊は基本的に精神だけの存在になっている。肉体っていう枷が無いぶん幽霊は好き勝手に振る舞える、一方で私は肉体があるから制約がかかるけど代わりに「いざとなったらブン殴れる」という強みを持っている。
だから幽霊に対抗するためには「肉体があるぞ!」というアドバンテージを押し付けていくのがもっとも有効なんだ! っていうのがそもそも私の持っている世界観なんですよ。
で、この『サユリ』では悪霊である「サユリ」に復讐するため必要なものを、ばあちゃんは「生命力だ」って言い放つわけ。そのために「命を濃くしろ」と。こんなん私の持ってる感覚と完全に一致しているじゃない! まぁそれもそのはずで、押切作品があり→その影響で私に生まれた価値観が→押切作品が原作の映画と重なり合う、というのは当たり前といえば当たり前の話で。
そうやって肉体のアドバンテージを押し付けるためにやるべきことは、メシを喰い、体を動かし、家を綺麗に掃除して、ぐっすり眠る。ここで語られてることは「正しい生活をする」ってことなんだけど、その奥にあるのは「欲望の肯定」もっというと「快の追求」だと思うんですよ。
ものすごくプリミティブな人間の反応として快/不快があって、肉体的な喜びってそのまま快に繋がっている。それは精神しか持たない幽霊には決して届かない部分だから、肉体があることのアドバンテージとしてすごく有効に働く。例えばラップ音とか不気味な気配とかのいわゆる「霊障」みたいなものって、そこに居合わせた人を精神的に「不快」にさせて攻撃してきてる。だからそれを肉体的な「快」で打ち消していくのってものすごく有効なわけですよ。
そして快、ここでは肉体の喜びには当然だけど性欲も入ってくる。体が気持ちよくて、しかも生殖っていう死んだ人間には絶対にできないことって、幽霊に対する圧倒的な強みになっていくの。だからサユリがおぼろげな影になって襲いかかって来たとき、ばあちゃんは「則雄! なんか言ってやれ、笑えるなるべく下品なやつがいい!」、つまり下ネタをブチかませと言うわけですよ。そこで則雄は「元気ハツラツ! おまんこまんまん!!」と言い放つ。
たとえば念仏とか祝詞を唱えるよりも、はるかに強力なパワーを持ってるわけですよ「元気ハツラツ! おまんこまんまん!!」は。だってこんな言葉が飛び出してくる場で、怖い存在が力を発揮できるわけないじゃない。思わず「バカww」って笑っちゃうような、でも生命に溢れた言葉がある場所は、幽霊からもっとも遠いところにあるんだから。
ただまぁそれでもサユリは別の機会に襲ってくる。そこで則雄のことを心配してくれていた同級生の住田って女の子が、サユリにさらわれてしまうのね。このままじゃ住田が殺されてしまう、と慌てる則雄にばあちゃんは「お前はその子に惚れとるんか?」って聞くわけ。それに対して好きだって答えた則雄に「それをぶつけて救い出せ!」って命じるの。
で、則雄はサユリの作り出した気持ち悪い異空間に飛び込んで、手を伸ばしながら「住田とヤリたい!!」って叫ぶんですよ。ここがね、私はめちゃくちゃ納得してしまって。「好きだ」って感情だけの話で乗り込んだら、幽霊の思う壺なんですよね、だってそれは精神面の話だけでしかないから(実際、死んだじいちゃんの思い出に浸ろうとしたばあちゃんはサユリに襲われているし)。だけど則雄とばあちゃんはここまで「肉体があること」を武器にサユリへ抵抗してきた。だから肉体の快をぶつけないと住田を助けることはできない。
好きだという想いを肉体を使って表現するなら、ここで「ヤリたい!」以外の正解ってないんですよ、絶対。
ただね。ちょっと難しいのはサユリが怨念を持ってしまった原因で、彼女は実の父親から性的虐待を受けていて、しかもそれに気づいていた母親は見て見ぬふりをしていたって背景がある。同じ「性欲」ってことなら則雄の「住田とヤリたい!」も、サユリを襲った彼女の父親も、変わんないわけですよ。
じゃあどうして則雄のそれはサユリへの抵抗になって、サユリ父のそれは憎悪を生むのか。そこにあるのは性欲を向けられる相手の立場で、住田は則雄の「ヤリたい!」に対して受け入れることもできるし、当然断ることもできる。そこにあるのは対等な関係としての正直な想いで。
一方で親子って、まぁ完全に力関係があるわけじゃない。父親の行動をサユリは跳ね除けることができない、更にはそれを止めれるはずの母親もサユリの苦痛を無視していた。そういう中で一方的に欲望の対象として扱われたことが、サユリの怨念を育ててしまう。だから終盤、サユリは自分の元家族に復讐を(それは則雄とばあちゃんが復讐したのと同じように!)するんだけど、自分を犯した父親はケツからバールを深々とねじ込まれて殺害され、見て見ぬふりをしていた母親は両目を潰されるという形で決行されるの。
私はね、人間の「欲望」というものが大好きで、基本的にあらゆる欲望を肯定しているんです。それは当然、則雄の「住田とヤリたい!!」のことなんだけど、同時にサユリ父の欲望も否定できない……って言うとアレなんだけどさ、欲望自体は仕方ないじゃんね? と思うんですよ。実行する/しないの話とは別でね。そこではサユリの「健やかに暮らしたい」って欲望が傷つけられているわけだし。
だけどサユリ父のも含めて欲望それ自体には倫理とか法律とかが働くべきじゃないと思ってる。だからばあちゃんがとった復讐方法だって法に照らし合わせたら許されないことなんだけど、でもそれだけじゃ図れない正しさがそこには宿っているわけ。その部分については押切蓮介の『ゆうやみ特攻隊』って作品が扱ってるんだけど、まぁそれはまた別の機会にするとして。
なんにせよこの作品が大好きなのは、いままで何度も話してるけど私は全人類が幸福になるべきだと思っているし、そのためには「欲望」の充足が絶対に不可欠なわけですよ。誰かの幸福を願うときには、そこにある「欲望」を肯定しなくちゃならない。不幸、の象徴として悪霊がいるとするなら、それに対抗して幸福になるために「快の追求」っていうものを押し出してくる姿勢は、ものすごく私の生きる指針と重なり合っているからなんです。
ユーモアと生の気配によって不幸=幽霊を無効化できる場の空気を作る「元気ハツラツ! おまんこまんまん!」も、「ヤリたい!!」っていう欲望を高らかに声に出すことで愛を伝えながら同時にお互いの合意を探っていくところも、本当に素晴らしかったと思います。
これ年間ベストどころか、これまでの生涯で映画ベスト10を上げても入ってくる作品ですよ。私にとっては。
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次回は『きみの色』評を予定しております。
この話をした配信はこちらの13分ぐらいからです。