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一週遅れの映画評:『がんばれいわ!!ロボコン ウララ〜!恋する汁なしタンタンメン!!の巻/スプリンパン まえへすすもう!/人体のサバイバル』どうせ面白い。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『がんばれいわ!!ロボコン ウララ〜!恋する汁なしタンタンメン!!の巻/スプリンパン まえへすすもう!/人体のサバイバル』です。

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 いやぁむっずい!無理だよ無理!こんなの!
 一応3作品同時上映で『ロボコン』『スプリンパン』『人体のサバイバル』の順番なんだけど。
 えーとね、まず町の中華屋にロボコンが落ちてきて、お手伝いはじめて、タンタンメンの出前にいくんだけどスープが全部こぼれて、でその汁なしタンタンメンがロビンちゃんに恋をするんだけど……もうこの時点で説明はお手上げだよ!!
 でもねすっげーーー面白いの。ずっと、本当にずっと、1秒の隙もなく画面が面白い。それも「わかるけどわからない(前提は飲み込めるけど、そこからそうはならんだろ)」っていうのと「わからないけどわかる(どういう状態なのか理解はできないけど、そうなったらこうするしかないわな)」が交互に襲ってくる。常にわかる/わからん、わからん/わかるが目まぐるしく入れ替わって、本当に退屈しない。
 いやこのめちゃくちゃなんだけど連続性があるっていうのは、本当に視聴するジェットコースターって感じで頭ぐわんぐわんするぐらい面白い。怪作、としか呼べない凄い作品だと思う。
 歴史には残らないけど、記憶には残る。そういうタイプのやつです。
 
 そんでロボコンが終わって「すげーもん見たなぁ……」って余韻を吹き飛ばす、いやまさか私もロボコンの印象が吹っ飛ばされるなんて思ってなかったですよ!『スプリンパン』は本当になんて言ったらいいのか……。
 
 スプリンパンって女の子がね、色んな星を旅しながら歌って踊るっていう3DCG作品で……なんかそう言うと「ああ要するにプリキュアのエンディングみたいなやつでしょ?」って思うじゃん?いやね、パっと見た感じは確かにそうなんだけど、全然そんな枠に収まらないの。
 スプリンパンが辿り着いた星で、もとは王子だった緑の山みたいなやつと出会って、「困ったことがあったら相談しろ」っていうリンゴリーダーと一緒に楽しく踊る。そうすると同い年くらいの雪?の精霊?の女の子があらわれてバレエを踊って。楽しいけど別れは来て、名残惜しいけどさよならするわ。
 っていうのが5分で終わるっていう……前提としてあるはずの説明を一切消し去って「いまここの出来事だけを理解しろ」っていう、なんていうか映像の咀嚼を強要する暴力みたいな。
 だから、この例えが伝わるかな?伝わって欲しいんだけど「バイストンウェルに関する知識ゼロで見る『リーンの翼』第一話」っていうのが、私の感じたものに一番近い気がする。
 とんでもない情報量が詰まっている鉄塊をブン投げられたような衝撃。
 で、それをこう脳みそフル回転でなんとか把握しようとしているところで、スプリンパンが自分のお母さんの話をするの。正直かなりアバンギャルドなキャラデザしてるから、どんなすげーママンが飛び出してくるかと思ったら、超普通w たぶん近所のスーパーで大根買ってて違和感ないくらい普通なのw
 もうねそんなのお出しされたら脳が焼け死ぬって、まじで。
 それで放心してるところにスプリンパンが「どんなことでも どうせ面白い」って歌うのよ。なんかねーそれがグッと胸に入ってきちゃってw放心してるからw
 そうだよなー、どんなことでも最後には面白いって思えたらいいよなぁー、そういう姿勢で生きていきたいなぁ、スプリンパンはいいこと言うなぁ……そうか、スプリンパンは、面白いんだ。みたいな悟りを開いてしまう。きっとダンスモーションとかめちゃくちゃ丁寧&美しいっていう地の強さがそれを支えてるであろうことは、なんとなく理解できた。それだけは何とか。
 
 でもね、私『Gレコ』の1話とか『リーンの翼』1話とか、めちゃくちゃ好きなんですよ。どうやっても脳の処理が追っつかないぐらいの膨大で新しい情報の波に翻弄されていると、うっとりしちゃうというか「あぁきっとこの(フィクションの)世界は、現実と同じくらいに複雑でとっちらかっていて、そして息づいてる」ということに感動して、これからその世界の一端を覗き見れると思うと、すごくワクワクしちゃう。きっと想像もつかない凄いものがこの先で待ってるんだろうなぁ!って。
 それとは別に、毎年毎年「新しいライダー」「新しいプリキュア」「新しいアイドル」と出会わさせられるキッズ向け作品を見てると、「あー、新しい戦隊かぁ。こうやってまた新しいものをイチから咀嚼させられて、読み解いて……そんで、どーせ面白いんでしょ、はいはい、知ってる知ってる」みたいな感覚ってわかってもらえると思うんだけど……。
 楽しみではあると同時にちょっとだけ面倒な、だけどやっぱり見て、きっと私はそれで面白いって言ってるんだろうなぁ……みたいな「面白いものがやってくることに対する、諦め」みたいな奇妙な感覚って、すごく「どうせ面白い」って言葉が腑に落ちる。
 そうだよな……それって正に「どうせ面白い」なんだよな。

 
 最後に控えてるのが『人体のサバイバル』で……すごく言いづらいんだけど、私はこれが一番キツかった。
 リアリティレベルとかって話があるじゃん?それで言うと『ロボコン』はゲージ振り切ってるし、『スプリンパン』は測定不能。その中で『人体のサバイバル』は比較的この3つの中ではリアリティレベルが高めで……だからこそ、「それは倫理的にアウトだろ」「その技術は何をどうやってんの?」「さすがに無理なのでは??」っていう感想が出てきてしまう。
 いや「いきなり汁なしタンタンメンが喋りだす」がOKなのに!?って自分でもビックリするんだけどさw
 それでもそこまで荒唐無稽が許されるかって、作品によって違うわけで、だから本当は『人体のサバイバル』はもっとこうめちゃくちゃなものが土台になってるって、そう思って見てれば大丈夫だったんだけど、なまじ導入がちゃんとしてるぶん
 いやごめん、絶対ロボコンとスプリンパンの粗さに麻痺してたから「ちゃんとしてる」って思っちゃったんだけどw だからこれは私のアプローチミスで、そういった意味ではロボコンもいなせたし、スプリンパンともがぷり四つに組めたけど、なぜか人体のサバイバルに対しては受け身を取り損ねた!?って感じかな……。
 
 いやでも「ノウ博士」のところに「DR.BRAIN」って出てきて「その脳なの!?」って衝撃とか、医療系学会の発表で「心の持ちようで病気は治る!」みたいな完全アウト精神論にスタンディングオベーションとか、これ単体で劇場作品になったら、マジでヤバいでしょ。たぶん人体のサバイバルはロボコンとスプリンパンに救われたと、私はそう見ます。
 
 でも、でも
「どうなことでも どうせ面白い」
 ねっ!!!!

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 この話をしたツイキャスはこちらの16分ぐらいからです。


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