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一週遅れの映画評:『BLOODY ESCAPE 地獄の逃走劇』未来を選べ。人生を、住みかを、感情を、そして”血”を選べ。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『BLOODY ESCAPE 地獄の逃走劇』です。

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 これテレビアニメの『エスタブライフ グレートエスケープ』の続編、というよりも関係性としてはスピンオフとかに近いんかね?
 ざっくりと設定から説明すると、近未来では人類が少子化だなんだでこのままでは絶滅するぜ! となって、それを解決するためにまず人類を改造して獣人とかスライム人間とかを実験的に作ったりしてる。
 それに加えて「クラスタ」っていう単位で地域を分割管理して、その「クラスタ」ごとに特異性を持たせて絶滅回避に有利な環境を模索しているわけ。で、そのクラスタが街ごとの特色を過剰に反映している、例えば「秋葉原クラスタ」ならサブカルチャーと電子機器だけで街が構成されてるし、今回の舞台となる「新宿クラスタ」には風俗店とヤクザしかいないっていうw
 
 で、そこにあるのは管理社会だから勝手にクラスタを移動できない。新宿クラスタに生まれたら一生、風俗とヤクザだけの世界で生きていくしかない。当然、それが辛い人がいるわけで、違法にクラスタから脱出させる仕事を請け負っているのが「逃がし屋」というお仕事。その「逃がし屋」を描いたのがテレビアニメの『エスタブライフ』だったわけです。
 
 この『ブラッディエスケープ』だと、その「逃がし屋」の面々はチョロっと出る。主人公たちをクラスタから脱出させる依頼を受けた協力者としてちょこっと活躍するぐらいかな。
 それで脱出する主人公ってのが新宿クラスタに生まれた女子高生と、他のクラスタからすでに逃げている途中の”吸血鬼”っていう二人で。まぁ風俗とヤクザしかいない新宿クラスタだから、女の生き方は風俗嬢になるかヤクザに囲われるしか選択肢が無い。もちろんそれに適応できる人もいるんだけど、主人公の女子高生は「広い世界」に対する憧れがある。
 
 一方”吸血鬼”は、これさっき話した人類を改造するって施策の(たぶん)失敗例っぽくて。後天的に血液を変異させることで、超回復能力と高い身体能力を得ている。代わりのその血液の変異に耐えられないと死んじゃうっていう、だから子どもを作るのがめちゃくちゃ困難になってしまった。
 人類の生存って意味では失敗しているわけだから、その吸血鬼たちは見捨てられて独自のクラスタに引きこもってる……というか「外に他のクラスタがある」ことすら知らないような状態で何世代も生き延びてきた。そこに外のクラスタから逃げてきた幼少期の主人公は、その後天的な血液の変異に適応して受け入れられる。
それで初めて自分たち以外にもクラスタがあることを知った吸血鬼たちは、自分たちが滅亡しないために外の世界への侵攻を計画する。そんな中で大人になった主人公の体に突然変異が起き、彼の血液が吸血鬼たちにとって猛毒になってしまうわけです。
 それでまぁなんやかんやあって、主人公は育ったクラスタから逃げ出さなくてはならなくなっている……って状況なのね。
 
 ここで面白いのが、吸血鬼たちって種の存続を第一に置いている。だから個人の幸福とか意志とかが存在しないですよーって思想なの、個人がどうなろうと全体にとって有益であることを重視している。イメージとしては『マッドマックス4 怒りのデスロード』のイモータン・ジョーの国に近いと思う。
で、女子高生主人公のいる新宿クラスタのヤクザも、代紋とか体面とか見栄を重視していて吸血鬼ほどじゃないけど、個人の権利とかは蔑ろにされている。つまりどちらも個人主義を否定した全体主義を掲げる集団なわけ。主人公の二人はどちらもそういった集団からの脱出を目指している
 吸血鬼なんてモロに「血」を媒介とした集団で、ヤクザもその関係性が「家族/ファミリー」に例えられるじゃない? つまりここで描かれてるのはどちらも「血」からの逃亡、つまり『ブラッディエスケープ』なわけですよ。
 
 そして「血」から逃れることと「クラスタ」からの脱出が両立するのは、えっとね基本的人権の中には「移動の自由」ってのがあるじゃあないですか。移動の自由が無いってことは、生まれた場所でずっと生きてくことになる。そうすると物理的接触が絶対に必要な妊娠、子どもを作ることにめちゃくちゃ制限がかかる。つまり「その場所」にいる決まった範囲の相手としか生殖できない。
そうなると「血」によって人を定義するのが容易になるから、「生まれによるカースト支配」が固定できるようになってしまう。だから基本的人権で「移動の自由」を挙げなくてはならないし、『エスタブライフ』『ブラッドエスケープ』で描かれている社会構造がどれだけ悪辣かってのがよくわかる。
 この移動の自由を扱った作品って結構あって、例えば……パッと思いつくの私の好みのせいで富野作品になっちゃうけどw『ザブングル』『ブレンパワード』『キングゲイナー』とかそういう話だったじゃない。そういった系譜の中に『エスタブライフ』ってのはあるんですよね。
(一応補足しておくと、この「移動の自由」には当然「移動しない自由」も含まれています。だから能登の震災を受けた地域に「そこでの暮らしを放棄しろ」って言うのはめちゃくちゃ最悪の発言なんですよね。実際に強制的な移転、例えばダムに沈む村とかあるわけだけど、これ「公共の福祉」と「基本的人権」の衝突問題としてすっげぇ複雑な法解釈と権利を巡る裁判とかあるわけ。そういうのを全部フッ飛ばした放言は単純にバカですよ、バカ
 
 それでね『エスタブライフ』では「逃げようとしても、逃げられないもの」を描いていて、それはこの『ブラッディエスケープ』でも引き継がれている。主人公の吸血鬼は突然変異で血液が猛毒になってしまった、それは当然自分の体にとってもダメージがあるから、定期的に他の吸血鬼から血を貰わないと死んでしまう。つまり「吸血鬼という血から逃れたい」と思っても「吸血鬼の血が無いと死ぬ」っていう矛盾を抱えている。
 一方で女子高生主人公は、新宿クラスタから逃げて横浜クラスタを目指すのだけど……実は彼女の両親は元々その横浜クラスタからやって来てるのね。だから彼女はむしろ「血」を求める、自分の血縁がやってきた場所へとルーツを辿ろうとしているんですよ。
 「血」から逃れようとしているけど、「血」を求めてしまう
 
 ここで重要になるのが吸血鬼主人公が逃げ出した理由で、吸血鬼クラスタのリーダーがいるんだけど、その妹が主人公の毒による事故で死んでしまったのね。そこで主人公は「同族殺し」として処刑されかけたから脱出してきた。
 さっき話したみたいに吸血鬼は全体主義だから「同族殺し」として主人公を追う。だけどリーダーにとっては妹の仇なわけさ、だから個人的な怨みがある、あるんだけど吸血鬼たちはそういった「個人的な意志」を否定している。その集団のリーダーとしては「妹の怨み」があるとは認められない。あくまで「全体が受けた損害」のためで、妹個人の悲劇としては認めて貰えない
  
 主人公たちが逃げたのは「全体として血」って言えるんですよ。集団を形成する血縁とか場所っていう「血」、でそこから個人であるために脱出する。その先で「自分のための血」、個人的な親子であったり、自分が生きるための血を必要とする。
 つまりは「自分を埋没させる血」から逃げて、「自分を成り立たせる血」を求める。全体の一部ではなく、”私”を中心にした世界を獲得するためのエスケープで。だからここで語られているのは「血から逃げても、逃げられない」ではなく、「自分で血を選ぶことができる」希望なんですね。
 だから吸血鬼のリーダーにとってこの主人公は倒すべき相手ではあるんだけど、同時に彼が「個人」になることで初めて「全体の敵」ではなく「妹の仇」だと認めれる可能性が開かれる。立場上、押し殺さなくてはいけない感情を「解放できた姿」が主人公なわけですよ。
 それは妹の悲劇を、ちゃんと悲劇として受け止めるために、リーダーにとっても希望であるのかもしれない。そういう結果として「吸血鬼のクラスタ」から逃げられなかったリーダーにも、その気持ちを「逃がす」場所を与えたことは、『エスタブライフ』で何度も語られた「逃げたい人を逃がす」という逃がし屋の活動でもあったんじゃないかな? と思いました。
 
 あとどうでもいいことなんですが、『エスタブライフ』見てると「このカッコいいイケメンクールな主人公吸血鬼も、あの踊りやったんだなぁ……」というおかしみがあるので、できれば何話か『エスタブライフ』見てから『ブラッドエスケープ』を見た方が絶対面白いッス。

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 次回は『カラオケ行こ!』評を予定しております。

 この話をした配信はこちらの13分ぐらいからです。


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